戦争の記憶
今朝のあさイチで、茨城県の阿見町に有る予科練平和記念館からの中継をやっていた。
阿見町は、土浦の隣の町で、霞ヶ浦の沿岸部に有り、昔、海軍航空隊が有った所。
私の父が勤務していたことが有る。
父親は、海軍の軍医だった。
終戦になり、父親が、幸い生きて帰ってきたので、その後、無医村に入り、医院を開業した。
私は小学校低学年だったが、毎晩父親はお酒を飲み、悪酔いし、暴れていたのを思い出す。
戦時中のことを考えると、飲まないではいられなかったらしい。
それでも、戦時中の事を色々話してくれた。
南方の島にいた父に転勤命令が来て、本土へ戻って来たとき、交代で島へ行った若い軍医が、島の玉砕で亡くなった事など、思い出すと話してくれたが、飲まずには話せなかったのだろう。
今も、世界のあちこちで、戦争は起きている。
決して戦争はしてはいけない。
今も、3月10日の東京大空襲の時、空が真っ赤になり、黒い燃えかすが沢山飛んでいるのを見たのを覚えている。
母親が、東京が燃えていると教えてくれた。
今度、土浦へ行ったら、記念館へ行ってみるつもり。
見てきて、息子や孫達に話してやる。
阿見町は、土浦の隣の町で、霞ヶ浦の沿岸部に有り、昔、海軍航空隊が有った所。
私の父が勤務していたことが有る。
父親は、海軍の軍医だった。
終戦になり、父親が、幸い生きて帰ってきたので、その後、無医村に入り、医院を開業した。
私は小学校低学年だったが、毎晩父親はお酒を飲み、悪酔いし、暴れていたのを思い出す。
戦時中のことを考えると、飲まないではいられなかったらしい。
それでも、戦時中の事を色々話してくれた。
南方の島にいた父に転勤命令が来て、本土へ戻って来たとき、交代で島へ行った若い軍医が、島の玉砕で亡くなった事など、思い出すと話してくれたが、飲まずには話せなかったのだろう。
今も、世界のあちこちで、戦争は起きている。
決して戦争はしてはいけない。
今も、3月10日の東京大空襲の時、空が真っ赤になり、黒い燃えかすが沢山飛んでいるのを見たのを覚えている。
母親が、東京が燃えていると教えてくれた。
今度、土浦へ行ったら、記念館へ行ってみるつもり。
見てきて、息子や孫達に話してやる。



