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2007年08月06日

ゆうばりフォーラム1日目その4

『次世代を担う若者が創る医療・福祉とは』

18時からの夕食会の後、20時過ぎから1日目最後のセッションです。
登壇者はNPO法人全国地域生活支援ネットワーク代表理事の田中正博さん、NPO法人ホップ地域生活支援センター代表理事の竹田保さん、NPO法人当別町青少年活動支援センターゆうゆう24の大原佑介さん、コーディネーターは浦河日赤病院の高田大志さんでした。



田中さん、竹田さんは47歳前後で、今福祉の第一線で活躍されている中心世代。大原さん、高田さんは27歳前後でこれからの福祉で活躍が期待されている若者世代ということで、セッションが組まれていました。
田中さん、竹田さんはどのようにして福祉の分野に入ってこれまでどういった活動を行ってきたかを話されていました。お二人の活動は、これまでの福祉の流れと一緒に歩んできたようなもので福祉の勉強に最適でした。
一方、若手代表の大原さんは今活動をされている「ゆうゆう24」の紹介を中心に話されていました。
三人の話で共通していたことは、障害のある人やその家族のニーズに沿って、福祉の制度外のことをどのようにやっていったかということでした。田中さんのレスパイトサービス、竹田さんの移送サービスがそれぞれの今の福祉制度の中で位置づけられ、一方大原さんのゆうゆう24は今の福祉制度の枠には入らないが、これから考えていかなければならないことをモデル的に実践しているということが印象的でした。

以下はいつものように山田のメモです。<田中さんメモ>
○レスパイトサービスが日本で普及していない時から取り組んでいた。その後、レスパイトサービスを日本で普及するための取り組みを始め、地域生活支援を実践しているみんなで集まっていろいろ話し合いをした。それがきっかけとなり、平成桃太郎の会を結成したのは30代前半。そこから今の全国地域生活支援ネットワークにつながっている。
(夕張・若者に向けて)
○頑張っている人がいれば応援してくれる人がいる。
自分の弱みを強みに変えるために、素になって考え見つめ直す。弱みを逆手にとる。あきらめないことが一番大事。

<竹田さんメモ>
○自身、身体障害があり、いろいろな支援を受けていた。そのお世話になった恩返しから福祉の分野に入った。それまではコンピューターのプログラマーだったが、福祉器具の開発や移送サービスの研究・実践に取り組んできた。今はNPO法人と社会福祉法人を立ち上げ活動を行っている(北海道・札幌市)。これからは今の活動を次の世代にどうつなげていくかを考えていきたい。

<大原さんメモ(ゆうゆう24の活動を中心に)>
○北海道当別町にある札幌医療大学のボランティアセンターとして立ち上げた。空家を利用して活動拠点とした。当別町も協力的で、立ち上げ3年間の家賃補助をしてもらった。その後、廃園になった保育所を改修して移転をした。現在、ボランティアで学生が500人登録している。
○制度外の自主事業として、いろいろなことをしている。
○高等部を卒業した知的障害者が学べる場が必要と考え、札幌医療大学でオープンカレッジを行っている。大学周辺の知的障害のある人に来てもらい、学ぶということを体験してもらう。その時に学生がマンツーマンで付き添うことによって、仲間づくりという側面もある。
当別町には独居老人が400名いる。安否確認のために話し相手になる。それだけではなく、地域の人を巻き込んで支援につなげていく取り組みも考えている。
○障害のある人の支援の一つとして、学校教育現場への支援もやっていく。
○レスパイトサービスを立ち上げた最初は年間46回の利用だった。最初は学生ボランティアということでなかなか信用が得られなかった。さらに一歩進んで、今はパーソナルアシスタントサービスをやっている。障害種別や障害の有無、年齢に関係なく、個人のニーズにあわせてサービスを提供していく。
○夕張市にある総合福祉会館はなます荘の指定管理を今月から引き受けることになった。夕張の福祉を変える活動をやっていきたい。
○夕張で学び合い、その経験を自分たちの街の活動の参考にする。

ゆうばりまちづくりフォーラム・人にやさしく 山田泰久
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