12年度 第9回親子学級[2012年10月31日(Wed)]
2012年度 第9回親子学級
『 なぜ、そんなに“まわり”を気にするの? 』
今回は教育ジャーナリストの青木悦さんからお話を伺いました。
子どもを取り巻く環境
現在の子どもを取り巻く社会は生きにくい社会。
子育てに正解も失敗もないので、気づいたら変えればよい。「子育て」をしようとせず「子どもと一緒に生きる=人生の伴走者」になって。
不変な『いじめ』問題
どこにも本音を出せない・出す場所のない子ども達。いじめを受けても親に本当のことを言えない。
中学生から相談を受けたことがあるが『青木さん、親には絶対言わないで・・』と言って親を悲しませたくない・迷惑を掛けたくないと子どもは親に気を遣う。その一方親は我が子が判りません・何も言ってくれない・うちの子に何があったのか・・と言ってくる。
幻の子ども像
ある講義の時に、半分に折った紙の左側に「私が腹立つ子どもの言動(一日の姿)」を書いてもらい、反対の右側には「どのような子が理想の姿か」を書いてみてもらった。
<左側:現実>===<右側:理想>
・朝起きない ←→ 朝は「さわやか」に起きる
・挨拶ができない ←→ ご近所さんにも元気に挨拶する
・食べるのが遅い ←→ すべての行動を速やかにできる
心の中にある『あるべき子ども像』と比較して、今いる生身の子どもを比べている。右側に書かれているような子どもはいるわけない。
例えば、、
・校庭の花や虫に興味を示すことのできる子 ←→ 号令で早く並ぶことができない
・1番早く並びたいと速やかに動くことのできる子 ←→ 花や虫に興味を示すことができない
↓
子どもの発達過程において同時期にこのような相反する二つの感性を持つことはあり得ない。
今持っている大切なものよりも、無いものを我が子に求めてしまっている。情報の多い現代は余計な情報も多いため、周囲と比べて同じものを求めてしまう。それぞれが持って生まれたもの、成長も違うことを考えて!子どもは親から批判されてしまうことがとても怖い。
事件の犯人像
1999年の羽田全日空ハイジャックをおこした28歳、池袋通り魔事件の23歳、2000年に渋谷で夫をバラバラにした30歳の妻、奈良で家に火をつけた高校1年生、2008年に秋葉原で7人を死亡させた犯人など・・・・これらの犯人に共通していたのは、
・偏差値トップの高校出身
・15〜6歳の頃までは周囲が何の問題もない良い子に見えていた → 親の要求する幻を演じていた
子どもに対して家庭で出来ること
・子どもに望むだけでなく大人も正直に生きなきゃダメ。
ギリギリで自殺を食い止めた子どもの話によれば、母親が自分の前で泣いていたとき・親が感情を出してきたとき=親が弱さをさらけ出した時に子どもは自分の気持ちを打ち明けることができる。
・子どもは外で頑張っているんだから家での多少のワガママは疲れを癒していると考えて欲しい。
子どもにとって学校は「舞台」であり家庭は「楽屋」。気を抜ける場所であって欲しい。
・3歳児神話の「3歳までは母の手で育てる」ではなく、「3歳までは母なるもの(父・祖父母・近所の人・身近な人々)の手で育てる」。母のような存在を増やしていくことが大切。
・『うちは3人家族だからもめると2対1になったけど、僕はいつも一人ではなく必ず2の方に居た』と30過ぎた頃に息子が話してくれた。あまりに夫婦一致していると子どもの逃げ場がなくなるので、役割分担をして子どもの見方になることが大切。
子どもに対して社会で出来ること
子どもは色々な人に育てられていくもの。
自分は物心着いた頃から20歳頃まで父親からの暴力を受けて自殺の方法ばかり考えていた。生きていく価値がないのではないかと思っていた。精一杯頑張っている中、もうこれ以上頑張れない状況だったので周りから『頑張って』と言われるのはもうたくさんだった。当時の先生に『ようがんばりゆう』(土佐弁:よく頑張っているなぁ)と声をかけられた時、自分のことを見てくれている人が居るんだと思えた。
先週、学級第8回の保育室だより(子ども達の名前はすべて仮名です)
『 なぜ、そんなに“まわり”を気にするの? 』
今回は教育ジャーナリストの青木悦さんからお話を伺いました。
子どもを取り巻く環境
現在の子どもを取り巻く社会は生きにくい社会。
子育てに正解も失敗もないので、気づいたら変えればよい。「子育て」をしようとせず「子どもと一緒に生きる=人生の伴走者」になって。
不変な『いじめ』問題
どこにも本音を出せない・出す場所のない子ども達。いじめを受けても親に本当のことを言えない。
中学生から相談を受けたことがあるが『青木さん、親には絶対言わないで・・』と言って親を悲しませたくない・迷惑を掛けたくないと子どもは親に気を遣う。その一方親は我が子が判りません・何も言ってくれない・うちの子に何があったのか・・と言ってくる。
幻の子ども像
ある講義の時に、半分に折った紙の左側に「私が腹立つ子どもの言動(一日の姿)」を書いてもらい、反対の右側には「どのような子が理想の姿か」を書いてみてもらった。
<左側:現実>===<右側:理想>
・朝起きない ←→ 朝は「さわやか」に起きる
・挨拶ができない ←→ ご近所さんにも元気に挨拶する
・食べるのが遅い ←→ すべての行動を速やかにできる
心の中にある『あるべき子ども像』と比較して、今いる生身の子どもを比べている。右側に書かれているような子どもはいるわけない。
例えば、、
・校庭の花や虫に興味を示すことのできる子 ←→ 号令で早く並ぶことができない
・1番早く並びたいと速やかに動くことのできる子 ←→ 花や虫に興味を示すことができない
↓
子どもの発達過程において同時期にこのような相反する二つの感性を持つことはあり得ない。
今持っている大切なものよりも、無いものを我が子に求めてしまっている。情報の多い現代は余計な情報も多いため、周囲と比べて同じものを求めてしまう。それぞれが持って生まれたもの、成長も違うことを考えて!子どもは親から批判されてしまうことがとても怖い。
事件の犯人像
1999年の羽田全日空ハイジャックをおこした28歳、池袋通り魔事件の23歳、2000年に渋谷で夫をバラバラにした30歳の妻、奈良で家に火をつけた高校1年生、2008年に秋葉原で7人を死亡させた犯人など・・・・これらの犯人に共通していたのは、
・偏差値トップの高校出身
・15〜6歳の頃までは周囲が何の問題もない良い子に見えていた → 親の要求する幻を演じていた
子どもに対して家庭で出来ること
・子どもに望むだけでなく大人も正直に生きなきゃダメ。
ギリギリで自殺を食い止めた子どもの話によれば、母親が自分の前で泣いていたとき・親が感情を出してきたとき=親が弱さをさらけ出した時に子どもは自分の気持ちを打ち明けることができる。
・子どもは外で頑張っているんだから家での多少のワガママは疲れを癒していると考えて欲しい。
子どもにとって学校は「舞台」であり家庭は「楽屋」。気を抜ける場所であって欲しい。
・3歳児神話の「3歳までは母の手で育てる」ではなく、「3歳までは母なるもの(父・祖父母・近所の人・身近な人々)の手で育てる」。母のような存在を増やしていくことが大切。
・『うちは3人家族だからもめると2対1になったけど、僕はいつも一人ではなく必ず2の方に居た』と30過ぎた頃に息子が話してくれた。あまりに夫婦一致していると子どもの逃げ場がなくなるので、役割分担をして子どもの見方になることが大切。
子どもに対して社会で出来ること
子どもは色々な人に育てられていくもの。
自分は物心着いた頃から20歳頃まで父親からの暴力を受けて自殺の方法ばかり考えていた。生きていく価値がないのではないかと思っていた。精一杯頑張っている中、もうこれ以上頑張れない状況だったので周りから『頑張って』と言われるのはもうたくさんだった。当時の先生に『ようがんばりゆう』(土佐弁:よく頑張っているなぁ)と声をかけられた時、自分のことを見てくれている人が居るんだと思えた。
先週、学級第8回の保育室だより(子ども達の名前はすべて仮名です)
ブログ担当のつぶやき
今回も心に響く(=胸が痛む)お話しでした。自分の子が持つ大切な個性よりも、持っていないものばかりを求めてしまっているなぁ。2009年にも青木さんのお話を聴いて「幻の子ども像を追わないようにしよう・・」なんて思っていたはずが、やはり周りと比べてばかりだったなぁ。。と反省。無い物ねだりはやめようっと