海のジグソーピースNo. 226 <海洋・水路の都―16世紀から21世紀へ進化する江戸東京の姿>
[2021年09月24日(Fri)]
「海洋国家日本」というのは、近年に限って頻繁に使われているスローガンではありません。例えば、江戸時代では、まるでピラミッドを建造するような「天下普請」を通じて近世的な巨大城下町が築き上げられましたが、築城に用いられる石垣、木材の調達には、海運・水運が大きな役割を果たしました。また、熊本城、岡山城、姫路城、名古屋城、小田原城などの城下町、さらには近世築城技術の集大成である江戸城(図1)の建築には、土地の埋め立てや堀から作られた運河などの高度な土木技術が貢献しました。つまり、江戸は貿易や物流などの経済活動が盛んとなった海の都であったと言えます。
16世紀の江戸では入封した徳川家康が築城のみならず、まちづくり計画(図2)に基づいた城下の整備を行いました。“江戸”という地名の由来は「川の海に臨んだ江の戸(入り口)」を意味しますが、江戸時代の中ごろにはロンドンやパリを凌ぐ人口100万人を越える世界最大の都市となりました。近代以降は日本の首都として政治、商業、技術革新の中核を担い、周辺地域と併せて日本の人口の43%に相当する4,400万人の人口を有しています。効率的な交通機関網、ビジネス、活気あるグローバルなサプライチェーンが東京で活発化しているその背景には、こうした近代都市への進展に繋がる江戸からの歴史的な都市計画が重要な役割を担ったと言えます。そこで、この歴史遺産となる体系的な都市計画の重要要素を3つ紹介したいと思います。
【水路工学を用いた海の都市】
日本の戦国時代から徳川幕府の封建制度への移行期に設計された江戸では、まず全国の大名によって大規模な運河の堀や江戸湊沿岸の潟湖の埋め立てが行われました。当初これらの工事は、パワーバランスを考慮した命令として行われましたが、最終的には忠誠心の証という言わば「特権的な居住地を得られるというインセンティブ」として提示されました。全体的な都市計画により、江戸を洪水のリスクから守ることにも成功し、運河は資源の物流(図3)と井戸水の供給システムとしても利用されました。また、スパイラル状に都市構造を設計したことで、21世紀の現在に至るまで拡大し続けることを可能とした「未来志向型の設計」であったことも特筆すべきことです。
【災害リスクの軽減整備による強靭な都市】
日本は環太平洋地域に位置する島国であるため、地震や津波、暴風雨など、ほとんどすべての自然災害にさらされています。しかし、何百年にもわたって、行政や社会システムによる支援が、災害後の安定と迅速な復興を支えてきました。これは「レジリエンス〜―時的には倒れても、より良く、強く築き上げる」という特徴が根付いているからとも言えます。このような精神は、乗り越えられないと思われていたものを抑止し、逆に包括的な成長のために多くの住民を惹きつけてきました。
【Society 5.0に向けたイノベーションの町】
江戸は徳川幕府の「参勤交代」による地方の大名と多くの人員を連れて行き来させることにより、大金を稼いだとも言えます。また、クリエイティブな産業が盛んになり、より高度な専門性が求められるようになりました。現代の運河は、その地理的重要性が生かされ、高速道路として陸上交通の発展に変わっていきました(図4)。2015年から現在まで、東京港は日本一の地位を確立していますが、これはLNGや水素などの代替エネルギーの出荷が寄与しています。人々を中心とした環境に配慮した輸送、生産、コネクティビティで脱炭素社会を迎えるために、超スマート社会、すなわち「Society 5.0」に向かっていると言えます。
東京のような安全に配慮し、経済発展に伴う効率性を兼ね備えた都市はどこにもありません。災害にさらされ、ダメージを受けながらも、レジリエンスを持って前進する都市です。21世紀では、人口減少が深刻化しているにもかかわらず、利便性、経済・社会発展に考慮した東京は、人口流入先として最も魅力のある都市と言えます。歴史的な江戸、そして東京のまちづくりに含まれる重要な要素は、グローバルな新興都市へ実装化するための政策的示唆を与える可能性が十分にあります。江戸から東京へのまちづくりという経験に基づく深い知識が下支えすることにより、東京は革新的で持続可能な開発への都市計画のショーケースとして大いに役立つと言えるでしょう。
海洋政策研究部 黄 俊揚