海のジグソーピース No.215 <太田昌秀博士を偲ぶ>
[2021年04月30日(Fri)]
笹川平和財団海洋政策研究所が以前大変お世話になったノルウェー在住の太田昌秀博士のご遺族から、四十九日を迎えての訃報をいただきました。
当研究所の原点にあるシップ・アンド・オーシャン財団(Ship and Ocean Foundation: SOF)は、日本財団笹川陽平理事長(当時)の下、世界に先駆けて、日本・ノルウェー・ロシア3ケ国による北極海航路啓開研究開発事業(International Northern Sea Route Programme: INSROP)を行い、財団の英文名称の頭字語であるSOFが広く世界に知られるようになった時代があります。ロシアは、ソ連からロシア連邦に変貌しつつあった混乱期の事業です。ノルウェーではオスロ郊外のThe Fridtjof Nansen Institute(FNI)が、ロシアではサンクトペテルブルク所在のCentral Marine Research and Design Institute(CNIIMF)が中核となって事業を進めました。当時のオスロには、1964年、ノルウェーの奨学金を受けて北方圏の地質研究に携わり、1972年からNorwegian Polar Research Institute(NPRI)の研究者として地質学研究に従事していた北海道大学ご出身の太田昌秀博士が居られました。
太田博士は、バレンツ海周辺の陸域での基盤岩の研究で知られ、スピッツベルゲン島では、古生代のカレドニア造山帯で、初めて青色結晶岩(藍閃片岩)を発見し、プレート・テクトニクス論に一石を投じたことで知られています。INSROP事業でお世話を願った時分には、太田博士はノルウェーに骨を埋める決意を固められ、その後定年を迎えた際には、NPRIがトロムソへ移転するのを機会にオスロ残留を決められ、以降NPRI嘱託の研究者となる道を選ぶと言う、私生活上誠に慌ただしい時のようでした。しかし、快く我々の申し出を引き受けて下さり、様々な貴重な助言をいただくとともに、INSROPに係る会議に出席していただき、睨みを効かせて下さいました。
オスロでの最初のINSROP会議では、世界の第一線の研究者による研究を遂行すべきとの日本の主張は、科学委員会では太田博士のFNIへの発言を得て、また理事会では笹川理事長の理に適った指導力にて、Norwayがようやく合意して事業骨格が決定、最終的には14ケ国、390名の研究者の協力が得られました。太田博士は虚心坦懐でしたが、信念の人でもあり、北極研究のあるべき姿は、奇しくも当時の財団の理念と一致し、その実現に向けて、おぞましくも山積する障害物をどう取り除き、ゴールに到達するのか、毎回、酒を肴に議論が尽きることはありませんでした。また、北極点ツアーが始まると日本人ツアー客のためのツアーガイドを務められ、貴重な航海記録写真の数々を頂戴しました。
FNIの建屋は北極遠征を敢行したフリチョフ・ナンセンの研究所を継承しており、庭にはそのナンセンのお墓があります。また、ナンセン個人の研究室も現役時代のまま大事に保存されています。たまたま、ナンセンの研究室に立ち入ることが許されて大感激をしたことを太田博士に話すと、何とか見学できないか、頼んでくれとのことで、これきりとの約定で、見学が許され、再度感激を新にする機会を得ることができました。太田先生の喜びもひとしおで、世界視野での行動規範を再確認したとの思いを話されました。
悲しくも幽明境を異にすることとなり、ここに謹んでご冥福を祈念致します。
特別研究員 北川 弘光