• もっと見る

海洋政策研究所ブログ

海洋の総合管理や海事産業の持続可能な発展のために、海洋関係事業及び海事関係事業において、相互に関連を深めながら国際性を高め、社会への貢献に資する政策等の実現を目指して各種事業を展開しています。


海のジグソーピースNo. 234 <海からの「ジグソーパズル」> [2022年01月27日(Thu)]

 私は考古学者ではありませんが、失われた世界にあったすぐに実用に耐えないような遺物の発見というロマンが特に好きです。チェスやルービックキューブがなくてももちろんのこと、銅像や絵画は眺めなくても生きていけます。しかし、こうした非機能的なものは遠い過去の時代の人間のあり方についてユニークな洞察を与えてくれるのではないでしょうか。そして、その視点は、私たちの社会を見直すきっかけにもなると思います。エジプトの砂漠や中米のジャングルなど、人を寄せ付けない極限環境には、こうしたものが多く残されていますが、最近まで行けなかった海底、特に地中海にもこうしたものが多く残っているはずです。例えば、南仏のコスケール洞窟に出入りしていた先史時代の人々の創作意欲を知る1万年近く前までは、海水面が今より100m以上低かったからです。同じように、その東にあるエーゲ海で起きた嵐は、古代ギリシャ人の心を知る新しい窓を私たちに残してくれました。私は常々、古代ギリシャ人の文学、哲学、芸術の才能に感銘を受けていますが、1900年にアンティキティラ島沖で難破した大量の荷を積んだローマのガレー船から回収された古代ギリシャの銅像の傑作品は、その感銘をさらに深めることとなりました。私が数十年前にアテネを訪れた際、これらの修復された銅像や工芸品を実際に目にしましたが、芸術家が表現しようとした理想を紀元前300年頃のイオニアの都市国家で多くの人々が共有していたであろうことに思いを馳せずにはいられませんでした。しかし、その時は、同じ難破船から引き上げられた小さな石灰化したブロンズの塊がこの古代人が持っていた全く別の天才について何かを語ってくれるとは思ってもいませんでした。

 この難破船から回収された銅像は、古代美術の再発見として、当時の文化界に大きな衝撃を与えました。その他の回収物にも驚きもありましたが、その中にあった靴箱ほどの大きさでの謎めいたブロンズの物体は最初ほとんど無視されていました。しかし、その破損された謎のブロンズ像に対する驚きは、年月を経て増すばかりで、今に至って大きな発見につながりました。

 銅像と謎の物体を積んでいたのはローマ船で、紀元前70年から60年にイオニア地方の沿岸都市ペルガモンかエフェソスから航海していたようです。クレタ島とギリシャ本土を結ぶイオニアからローマへの通商路を西に航行中、おそらく嵐に遭ってアンティキティラ島近海で沈没し、2000年後に再発見されるに至ったのでしょう。1900年、嵐を避けるためにこの島に寄った海綿採集船に乗り込んでいたダイバーが離れる前に海綿採集の試しにダイビングをしました。海に飛び込んだダイバーが海底で最初に目にしたのは、砂地から突き出た人間の手足、次に馬、人の顔などの破片、そして質素な箱でした。箱はおそらく「ついでに」という感じで持ち込まれたのでしょう。

 これらの銅像はすぐにつなぎ合わされ、よく知られるギリシャ人が理想としていたアスリートの心身の落ち着きぶりを示しましたが、その中で秀でたのは現在「アンティキティラ島のエフェベ(青年)」と呼ばれている像でした。


 一方、石灰化したブロンズの塊はあまり注目されませんでしたが、ある日亀裂が入り、それが割れてブロンズ製の歯車であることが明らかになりました。歯車の原理は古代世界でも知られていましたが、貿易船の美術品やワイン壺の中からこのような遺物が発見されることは、全く予想外でした。また、当時のものとしては珍しく、コインサイズの青銅製歯車の1mmほどの歯が正確な間隔で仕上げが施されていました。

image002.jpg
The register.co.ukantikythera_mechanism.jpg

 驚きはすぐさま広がりましたが、それが何であるかは、少しずつ分かってきたり、長い間壁にぶつかったり、「ユリイカ」(ギリシャ語でEurekaに由来する感嘆詞)と声をあげたくなるほど答えに悟った瞬間もありました。最初のヒントは、破片に記された数字がバビロニア時代から知られていた天文周期の月や年に一致したことでした。例えば、19は月の満ち欠けの周期の年数、252は日食の予測に使われる月の周期の月数のように。しかし、1970年代に2次元X線検査をしたところ、機械と呼べるに値する物体の中に30個もの歯車があり、しかもそれが互いに入り組んでいて、表面からは全く見えないことが判明しました。歯の正確な数を把握するのがこの段階から鍵になることも分かりました。しかし、歯が欠けたこともあり、機械そのものの用途が掴めなかったのでレントゲン写真を見ても、歯車の意味を解明するに至りませんでした。

 その後、1990年にリニアトモグラフィーという初期の3D技術を用いた2度目のX線検査が行われました。2005年には、さらに高解像度の3D画像とデジタル画像技術により、これまで読み取れなかった表面の詳細が明らかにされ、まさにユリイカの時がきました。複雑な歯車列の仕組みがはっきりと見えるようになり、中の歯車やプレートに刻まれた文字さえ解読できるようになりました。これで歯車の複雑な配列を決める論理まで分かるような手引書に当たるようなものでした。

image003.png
Scientific American, January 1, 2022; Credit: Tony Freeth and Jen Christiansen
(graphic), UCL Antikythera Research Team (model)

 この新しい情報により、歯車が当時知られていた月や太陽、5つの惑星の周期と一致していると結論づけることができました。背面には2つの文字盤があり、月の満ち欠けの周期を追跡するカレンダーを表示して、日食の発生と色まで予測していました。また、前面にはこれらの天体を実際に回転させながら表示するというミニプラネタリウムのようなものだったと考えられています。

 楕円軌道が知られていなかった時代に、「アンティキティラ島の機械」が着目したさまざまな天体の周期の関係性を理解していたことは、それだけで驚くべきことだと思います。しかし、私のようなカジュアルな愛好家にとっては、ハンドルを回すだけで難解な知識を瞬時に提供できる機械式モデルにこれらの概念を構成し、それを機械にモデル化するというアイデアが最も印象深いところでした。世界の歴史の中で先行者がおらず、ヨーロッパでは14世紀の時計まで、1500年間も同等の後継者がいなかったことを考えると偉業というしかありません。

 ギリシャの美術や建築の傑作は、原型から発展の弧を描き、その頂点に達した後、緩やかに停滞していく過程を描いています。「アンティキティラ島の機械」に関する研究者の報告では、このメカニズムを「悪魔のように複雑」と表現しているが、私にはこれほど複雑な工学的技術が、たった一度だけ突然出現したのだろうかという疑問があります。刻まれた碑文には、都市国家コリントとその植民地のひとつであったシラクサの暦学的名称との関連が紹介されているが、そこの最も有名な人物は言うまでもなくアルキメデスでした。この機械が作られた時期は、紀元前200年から紀元前70年の間と思われますが、シラクサが侵略され、アルキメデスが亡くなったかなり後となります。しかし、もしかしたら、「アンティキティラ島の機械」はアルキメデスが構想し、彼の死後も続いた研究や技術の伝統の産物である可能性もあるかもしれません。近い将来、このような海からのジグソーパズルが、偶然の産物にせよ、研究の成果にせよ、数多く生み出されることを期待したいと思います。

海洋情報発信課 ジョン・A・ドーラン

コメント