海のジグソーピースNo. 231 <近代海洋絵画史にみる科学とアートの関わり>
[2021年12月10日(Fri)]
「国連海洋科学の10年」で社会的成果として挙げられている7つの目標、すなわち「7つの海」の一つに、「夢のある魅力的な海(an inspiring and engaging ocean)」があります。これは科学コミュニティが人間の生存・経済活動に直結する要素に加えて内的な要因を重視することを表明したという点で、非常に重要な一歩であったと言えるでしょう。Claudet 2020によると、海洋リテラシーの向上は、科学・経済とならんで海洋におけるサステイナビリティ確立のための柱の一つであると考えられています。海洋リテラシーの向上を目指す上で、科学と社会を繋ぐための「科学コミュニケーション」が重要視されていますが、その一つの表現方法の一つにアートの存在が挙げられます。2021年11月にイギリス・グラスゴーで行われたCOP26 におけるVirtual Ocean Pavilion(VOP)オープニングイベントでも、海洋酸性化をテーマとした詞が朗読され、科学とアートの一層の結びつきに対する期待が述べられました。そこで今回のブログでは、科学コミュニティからアプローチされることが未だ多いとは言えない科学とアートの関係について、歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。2021年に入ってから、フランス近代派やゴッホ、印象派といった近代絵画に関する展覧会が国内各地で開催されていることや、印象派絵画の巨匠であるクロード・モネの誕生日(11/14)を先日迎えたことを踏まえ、アートの中でも近代絵画、特に近代の海洋絵画にスポットを当ててみることにします。
18世紀から19世紀に起こった産業革命に伴う科学技術の発展は、近代美術の誕生そのものに影響を与えたと言われるほど、大きな変革をもたらすものでした。鉄道や蒸気機関など新しい輸送形態と産業の誕生は、人々の生活や労働形態を変化させただけでなく、都市部への人口集中や資本主義の発達にも寄与しました。交通網の整備や新聞・雑誌の登場、そしてフランスで起こった市民革命も相まって、これまで一部の権力者に限られていたアートの鑑賞が一般市民にも広がる、いわゆる「文化の大衆化」が起こりました。当時の西洋画壇において隆盛していた新古典主義は形式や主題・写実性を重んじるものであり、歴史画・宗教画を至高とし、風景画を低俗なものとする伝統的な価値観が色濃く残っていました。この中で、上述した社会背景の変化から、美とは様式に囚われた絶対的なものではなく、既存の各個人がもつ主観的なものである、という価値観の多様化が生まれました。現在ロマン主義と呼ばれている絵画群は、これまで重視されていた理性や合理性に対し、絵画の上に自己の心情を投影することを目指したものです。イギリスの画家ウィリアム・ターナーは、海の風景画を多く描きながら、その中にある人間の存在をはるかに超えた強大な力を表現しようとしました(図1)。今日私たちの周りで多くみられる「メッセージ性」を持つ海洋絵画のルーツとして、この時代は重要な意味を持っていると言えるでしょう。ロマン主義の台頭に対し、画家の主観すらも徹底的に排除し、私たちの目に映るありのままの自然や人々の暮らしを描こうとしたのが、19世紀中ごろのフランスを中心に起こった写実主義です。ギュスターブ・クールベは、伝統的な手段を否定し、目の前にある風景に対して脚色も現実逃避もすることなく、ありのままの自然を描きだすことを目指しました(図2)。私たちが美しく愛おしいと感じる、ありのままの海を描く風景画は、この時代に端を発していると言えるかもしれません。クールベは作品を通じて社会的声明を発する社会芸術家としても知られており、農民や労働階級などの現実をありありと描きだしています。これも科学技術発展の反動として広がった市民の間の貧富の差をとらえたものであり、その意味で間接的にではあれ科学とアートが交わった例と言えるかもしれません。その後、ロマン主義で重視された個人の感覚世界、そして写実主義で目指されたありのままの自然の描写は、自然を通して画家の目が捉えた一瞬の光を描くという印象派絵画に結実していきます。
ヨーロッパ内部における文化芸術の価値観の変容に加え、輸送・旅客技術の発達、それに伴う西洋列強の植民地化の進展は、海を越えた世界、すなわち西欧から見た異文化との接触を加速させました。19世紀中盤以降は万国博覧会が開催されるようになり、オリエンタリズム(東方趣味)やジャポニスム(日本趣味)など、これまでの西洋画壇になかった対象や画法が見られるようになりました(図3)。また、写真技術という新たなメディアの出現は、写実絵画の地位を脅かすことになりました。画家たちは「絵画でしか表現できないもの」の追求を意識するようになり、新たな表現様式や、人間の内的世界の描写に挑戦しました。このような流れの中でフォービズムやキュビズムのような技法の探求が試みられ、のちにダダイスムやシュールレアリスム、そして抽象絵画といった想像力を重視する美術運動が発展することとなります。
このように、様々な形で近代絵画の形成・進展に寄与した産業革命ですが、人間活動の拡大によって生まれた地球環境問題という負の影響が長い時間を経て表面化してくるのに応じて、皮肉にも新たな文化芸術の展開に結びつくことになります。それが、近年気候変動や生物多様性の減少、海洋プラスチックなど人類共通の課題に対して、蓄積された科学的エビデンスも踏まえた上で、サステイナビリティの重要性についてアートを通して啓発しようとする試みです。このような現代美術の特徴は、海の美しさそのものをinspireするのに限らず、海における課題について人々をinspireする、という現代特有のものとなっています。現在も、海洋研究開発機構やウッズホール海洋研究所、水産研究・教育機構などの科学者コミュニティに属する様々な研究機関が、アートを通した海洋リテラシー向上のための多様な取り組みを実施しています。
世界は海で繋がっています。そして、アートは国境も言葉も超えます。だとすれば、これらの間の結び付きについて可能性を模索するのは、非常に自然な発想ではないでしょうか。
アートが超えるのは言葉だけではありません。ターナーの海が肌に打ち付ける波の冷たさを、モネの海が柔らかな潮風と陽光を感じさせてくれることは、アートが時代も越えて私たちをinspireすること、そして海とのengagementを再確認させてくれることの証明であると言えるでしょう。このような、科学とアートという、より広い意味での”Transdisciplinary”な取り組みを前に進めるための機会としても、海洋科学の10年に寄せられる期待は大きいと言えます。私たちの目の前にある美しい海を写実的に描いた作品が、200年後に「古典主義絵画」と言われないような世界になることを願っています。
海洋政策研究部 田中 広太郎