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海洋政策研究所ブログ

海洋の総合管理や海事産業の持続可能な発展のために、海洋関係事業及び海事関係事業において、相互に関連を深めながら国際性を高め、社会への貢献に資する政策等の実現を目指して各種事業を展開しています。


海のジグソーピース No.85 <内部波の話> [2018年06月20日(Wed)]

 内部波は、現在では地球上に普遍的に見られる現象であると同時に、気象、海洋・地球物理・化学の分野では、重要な現象として広く研究が行われています。このような内部波も、19世紀から20世紀半ばまでは、稀に観察できる現象として知られ、とりわけ、船舶航行時における内部波生成は、どちらかと言えば異界のものの仕業と考えられていました。

 フィヨルドや海氷縁の開水面では、海水と氷の融解水からなる密度成層が比較的浅い水深に発生することがあり、船の寸法が小さい時代では、特に朝方の静寂な時間帯で、船を動かそうとした時、舫綱を外し忘れたか、アンカー投入のまま、発進したような感覚を抱いた経験が、数多く語られました。当時は、このような現象への研究が行われていませんでしたし、これは静穏な住まいで微睡む水神の怒りに触れ、船の動きを止められたのだとする噂が蔓延したこともありました。やがて科学の目がこの現象に向けられました。19世紀末、フィヨルドの調査を行ったV.W. Ekmanは、その報告書の中で、密度成層が存在する場合に船を発進させると、密度成層に内部波(内部重力波)が発生し、この造波抵抗のため船の進行がままならなくなることがあると述べて内部波はようやく異界の仕業から解放されました。Ekmanは、1904年、小型模型での実験を行い、この現象を論じた、”On Dead Water: The Norwegian North Polar Expedition 1893-1896”を発表しています。ただし、Dead waterという表現は、成層の存在が船舶の運動に与える影響を示唆した、ノルウェーの物理学者Vilhelm Bjerknesに始まるといわれ、欧米では、この用語が広く定着しています。日本の海洋学では、その直訳「死水」または「止水」があてられることが多いようです。

 日本では、有明海の曳き幽霊が知られていましたが、動力船では、船長の観察力、注意力がよほど優れていない限り、密度成層があっても、発進時にこのような現象を感知し得ないため、何時しか忘れ去られてきたと思われますが、2年ほど前、海上保安庁巡視船「わかさ」の湯山典重船長の詳細な観察記(湯山典重「操船者から見た幽水現象について」『水路部技報』第14号(1996年2月))を拝見し、世紀を経て、新たな1頁が開かれた思いを致しました。湯山船長は、これを「幽水」と命名されましたが、日本人の感覚では、死水より幽水の方が現象名称には相応しいように思えます。

 成層上下の海水比重比∆ρ/ρは、海洋では、10のマイナス3乗、 フィヨルドでは3×10のマイナス2乗程度で、成層水深は、かなり多様です。成層界面は実際には比較的狭い水深幅でなだらかに連続していますが、理論計算上では、船の喫水に比して密度変化層が薄いと仮定して、厚みのない密度層を仮定するのが常套手法です。

 内部波の一般的な特性から、内部波造波による船の抵抗問題のあらましは推測できること、加えて、具体的な数値計算はかなり面倒なため、内部波造波抵抗の基本的な研究は、1900年代半ばで収束してしまいました。また、船が動力を得て次第に巨大化し、大きな推進力を得たことから、船の内部波造波抵抗の実用的な価値は当然消滅し、研究課題から外れて、内部波といえば、応用数学および海洋・地球物理学の見地から進められるようになりました。内部波研究の主題は、内部波の励起、生成、砕波、減衰、不安定性、海洋水混合への影響などへと変わり、衛星リモートセンシングをはじめ、観測機器の進歩により内部波観測データの蓄積も充実しつつあります。さまざまな内部波がありますが、内部波周期が慣性周期と同等以上であれば、地球の自転の影響を受けることになります。古くは旋回性の内部ケルビン波が、十数年前には衛星リモートセンシングによるベンガル湾の見事な内部波映像が多くの研究者を魅了しました。海洋の波の安定性問題は、理論や解析的手法においてとても魅力的な問題ですので、多くの研究があります。

 内部波造波による抵抗に関する問題について、特に計算機による数値流体力学の発展により、現在では非線形領域の扱いを解析的に挑戦するもの以外、完全流体を仮定しての伝統的なポテンシャル論に取り組む研究者は皆無のようです。今回のブログでは、事情がありまして、内部波生成に起因する造波抵抗の問題を紹介することとしました。内部波が発生する場の境界条件が面倒な場合を除けば、解析的アプローチにはさして問題はないと思われましたが、事務用パソコンによる数値計算は、かなり面倒であることが演算着手以前から想定されました。そのため、ワークスペースの確保、途中の計算データの掃き出しと再投入、C言語ベース、事務用パソコンで有利なExcelの活用を試みました。

 内部波造波抵抗の計算では、低速域での急峻なhumps、hollowsが現れることが予想されるため、これらの極大値、極小値の計算には計算時間の関係で断念し、無次元速度の計算間隔を細かに採ることで対応しましたので、極小値、極大値は、真の値より若干小さめとなっている可能性がありますが、内部波造波抵抗の概要を知る上では問題はありません。

 船体(特異点にて形成される物体)の深さ・船長比、D/L=10とし、内部波造波抵抗を際立たせるため、Dは上層の厚さに限りなく近い場合の計算例を図2に示めします。抵抗値は、船の排水容積にて無次元化してあります。海水密度ρ、船の速度U,排水容積を∇とすれば、無次元抵抗は数式().jpgです。なお、速度は船長Lベースの無次元速度、Froude数です。

 静穏な海で稀に気付いて体験する内部波造波抵抗起因の船体抵抗の増加は、極めて低速域で発生し、船が自由表面に波紋を広げる速度域では、既に消滅してしまうことが分かります。この内部波造波抵抗は、内部波が減衰せず伝播する場合の値であり、実際には、波の不安定性問題のため図にように大きな抵抗増加にならず、内部波起因の造波抵抗を感知できる機会は多くはないと考えられます。

 このような解析手法を駆使する簡便な方法によっても、内部波による深淵な世界の一端を改めて見ることができるのです。

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密度成層に起因する内部波造波抵抗(著者作成)


客員研究員 北川弘光


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