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東京音訳グループ連絡会

私たちは東京都内で活動する音訳ボランティア団体で構成しているネットワークです。図書館や社協の所属、上部団体あり、まったくの自主活動など、活動の形態はさまざまですが、より良い音訳活動を目指すという基本の姿勢は変わりません。


1月研修会「音訳サービスの今昔と聞きよい音訳の基本」 [2019年04月13日(Sat)]
東京音訳グループ連絡会  研修会報告
「音訳サービスの今昔と聞きよい音訳の基本」
      
講師:高橋 久美子先生(音訳指導者)
 1970年、都立日比谷図書館にて公共図書館初の対面朗読、録音図書製作に携わり、都立中央図書館へのサービス移行と同時に同館での音訳を継続。
これまで約50年にわたる音訳サービスと音訳者の育成、指導に携わる。  
日時:平成31年1月29日(火)午後1:30 〜4:00
会場:飯田橋セントラルプラザ10階 A・B会議室
参加:41グループ 77人  

研修会開始前から高橋先生の周りには多くの「生徒さん」が集まり、まるで同窓会のよう。
長い指導歴と親しみやすいお人柄が感じられる中、研修会はご自身の音訳活動の第一歩から
始まりました。 
(内容は以下の通りです)

1.公共図書館における音訳サービスの歴史
                       
 ■ 1970年(昭和45年)4月、都立日比谷図書館で視覚障害者への音訳(当時は朗読)サービス開始。
 ・その準備期間であった前年、朗読が趣味だった私は、友人の紹介で初めて音訳という世界を知った。まず音訳サービス開始にあたり、利用者の要望を都に提出するため、資料を読んだり、書類を書いたり、点字を活字にしたり、毎週土日、7〜8ヵ月間、目の見えない方々と作業をした。ガイドをするためのマニュアルも、勿論音訳のマニュアルも何もない時代ですべてが現場主義だった。
 ・こうして偶然知った「本が読めない人がいる」「図書館を使えない人がいる」という現実や、「もっと勉強したいのに読める本がない」という切実な悩みがそばにいるだけで突き刺さるように分かってきた。そして自然に視覚障害者の音訳という世界を意義深く受け入れることができた。この準備期間に利用者と交流したことが私のエネルギーになり、今も活動の根底にある。
 ・いよいよ、点字図書館ではなく公共図書館という教育行政でのサービスが始まった。当時の点字図書館の蔵書は約80%がエッセイ、小説などの読み物だったので、そこには少なかった専門書を優先。オープンリール式の7インチテープによる録音だった。
 ・初めての音訳図書は、忘れもしないバーネットの医学書(翻訳本)。どれほど苦労したか!初年度は蔵書ではなく個人へのサービスだったから救われたものの、利用者からの要望は図表をはじめ、句読点以外は全部抜かずに入れることだった。専門書だから正確さが第一。そして当時、利用者は点字でメモをする方法しかなかったので点字化することを大前提に、記号に拘って音訳をしていた。だから、私はカッコの種類とか読み方はものすごく上手よ!(笑い)ただただ忠実に書かれたままを、という約束で読んでいた。それが最初の出発だったから、音訳とはすべてを読み込むものだと思い込んでいた。でも、決して聞きやすい音訳ではなかったはず。すべてを読み込むことについてはその後吹っ切れてきたが、長らく囚われていた。
 ・国会図書館もS50年から音訳サービス(学術書・専門書)を開始したが、当時の記号読みはひどかった。利用者から音訳技術を上げて聞きやすくしてほしいと国会議員に要望したこともあったほど。

✽今はしっかりした音訳マニュアルのある時代。ある程度の基盤があって始められた皆さんは、
私が遅々とした亀の歩みで10年かかって身に着けたことを短期間で、すでに身に着けていらっしゃると思う。ただ幸いにも私はマニュアルのない時代に試行錯誤した経験が役に立った。統一マニュアルはベースには必要だが、全ての本に絶対ではない。決してマニュアルに呪縛されず、原本忠実でしかも聞きやすい音訳のためにレベルアップしていただきたい。

 ■ 1970年秋、対面朗読の開始
 ・音訳のニーズが多く、供給が間に合わない状況の中、利用者から図書館に行くのでそこで読んで欲しい、という要望に応え「対面朗読」が始まる。部屋がないので事務室の隅についたてを立て実施。   
 ・初めての利用者は盲学校の先生。まず出版年鑑から国語関係のタイトルだけを読んで、何冊か書き留めた後、職員にそれらの本を探してもらう。日比谷図書館の場合、90数%ほとんどの本を出せた。今度はその本の目次だけを読む、その中からヒットしたページを読み出し、2、3行読んで違ったら、また目次を読んで…と繰り返す。最終的に2、3冊選んで貸し出しを受け、それを音訳する。
面白いほど本から本へと伝播していく。これこそ好きな本を選んで読める、公共図書館でなくてはできない仕事だと大いに意義を感じた。
 
 ■あれから半世紀、 公共図書館の理念は
 ・公共図書館には、膨大な蔵書から専門書も娯楽図書も何でも自分の読みたい本を選べるという最大のメリットがある。近年では機器の発達やPC利用で様々な情報を音声化して聞けるので、ここまで図書館の利用に頼らなくてもいい時代だが、昔も今も公共図書館の理念は変わらない。
「いつでも、どこでも、だれでも」当たり前に公共図書館が利用できること。音訳サービスの導入は、その理念を実現する入口として、画期的な出来事だったと思う。
 ・さらに利用者からの要望で、音訳者にわずかだが報酬を支給することになった。図書館職員の仕事をボランティアが肩代わりしているのだから、当然公費で賄うべきという考え方は理念に沿ったものと思う。
 ・私が係わった音訳サービス初期の頃の熱気は、視覚障害者の読書・情報収集に対する渇望であり、切なる願いを実現しようとする情熱であった。当時、行政に働きかけた利用者の思いを忘れず、私達も図書館職員も取り組んでいかなくてはいけないと思う。

2.聞きよい「音訳図書」」を作るために

 音訳の基本的なテーマ:
   1. 「原本忠実」をいつもベースに 
   2.「活字(目で見る)」と「音声(耳で聞く)」という媒体の違いを考慮する
   3.「文意を伝える」息の使い方 
   4.「癖をとる」(文アクセント、読み下し)
   5.「聞き手に渡す」意識  
        ⇒ ワンポイントレッスンを通して詳しく解説(教材は最後に掲載)

■「うとてとこ」 谷川俊太郎 作 
 <ポイント:単語アクセントと文アクセント(意味のかたまり)>
✽正しいアクセントが正しい意味を伝える
  日本語のアクセントは高低アクセント。高い低いは相対音。アクセントは言葉を作るうえでも文意をまとめていくうえでも大切だが、単語単語で読むのではないので、単語のアクセントを生かしながら、意味のかたまりとしての文アクセントを意識する。

 ・単語アクセント
  ウ   テ
    ト   トコ
 
 ・文アクセント(意味のかたまり)                  
  ウ
    トテ
       トコ

 ・意味のかたまりは、<うとてとこ> <うとうとうとう うがよんわ> <うとうと うとうと いねむりだ> <てとてとてとて てがよんほん> <てとてと てとてと らっぱふく> <ことことことこ こがよにん> <ことこと ことこと とをたたく> 

■「子供の地図」 池内 紀著「世間をわたる姿勢」より  <ポイント:情景が見えてくるように>
 
 ・もっと聞き手に渡す。→ 相手に渡そうと思うと言葉が生きて、情景が見えてくる。
 ・読み上げ調子がある。→ 9行目「……しおれて捨ててある。」語尾の「る」の息を抜かず、腹筋で支えて語尾を落とす。その後一瞬腹筋と肩の力を緩めると自然に息が入る。
その新しい息で立て直して「勉強部屋に……」とすると、引きずらない。 
 ・フレーズが切れがち。→ 11行目 「となりは白壁で、塀の上に猫がうずくまっていた。」は一息で。
自分の息で切らず意味のかたまりで読む。肩が動くのは胸呼吸しているから。腹式呼吸を鍛えましょう!
 ・語尾を伸ばすクセがある。→ 直すには@意味のかたまりで読む。Aアクセントの下がる所はきちんと落とす。語尾は大切、中途半端だと相手に渡って来ない。
 
✽短い文で読みやすいが、フレーズごとに切ると伝わらない。意味のかたまりと間を大切に。そのかたまりを作るために、句点の後、音の一定の高さだけで立て直そうとすると聞きづらい。意味で立て直すように。

■ 評論:湯川豊著「大岡昇平論」文藝より
 <ポイント:カッコ類の表記をどう考えるか>

 ・3行目「ヤマガタ(カッコ)」とか「ニジュウヤマガタ」と記号は読まず、音声表現で。ただ出だしは丹念に、6行目「手をつけていない」の後は間と高さで息の立て直しをちゃんとして転調する。
 ・7行目「1953(昭和28)年」→ 原本忠実で「1953 ショウワ28ネン」でよい。ただし、「昭和元(1926)年」→「ショウワガン 1926 ネン 」はダメ。違和感のある読みはしない。
 ・18行目「中原中也伝―序章 揺籃」は一つのかたまりとしてプロミネンスをつけ、その後ピッチを落として「文藝」。その音声表現が難しければ「カッコ 文藝 トジ」と読んでもいい。ただし、「カッコ」と「トジ」は印としてピッチを落して読まなければいけない。
 ・19行目「二詩人」は「漢数字のニ」と説明しなくても、すぐに「京都における二人の詩人」とあるので意味は分かる。カッコ内はピッチを落とすが、「京都における二人の詩人」は相手にもう一度渡し直す気持ち(間)で立てる。

✽「原本忠実」と「聞きやすさ」
 あくまでも「原本忠実」をベースに。カッコなどの記号は活字と音声の媒体の違いを考えて、文意を伝える上で読む必要があるかどうかを判断する。活字にはアクセントがない、イントネーションもない。目で読み理解するには、記号がないと意味のかたまりが分かりづらく読みにくい。音声
(言葉)にはアクセントがあり音声化したとたんに意味のかたまりができるので記号は入れない方が聞きやすい。また音声化した場合にそうならなくてはいけない。
「聞きやすさ」を初めからベースにすると大変な事になる。全く違った図書になってしまう。

質疑応答
  
(1)Q 「経済」「平成」「衛生」をどう読むか?発音のルールがあったら知りたい。
A 「kei zai」「hei sei」「ei sei」→「ケーザイ」「ヘーセー」「エーセー」
日本語の音の約束事として、同じ音節内の二重母音は長音化する。
ex. 「サトー」は同じ音節   
  「サトオヤ」は違う音節
  体育館「tai iku kan」も違う音節だから
  「タイイクカン」が正しいが、
  「タイクカン」も許される範囲か?

  ✽「ケイザイ」「ヘイセイ」も間違いではないが硬い感じがする。ご年配の方に多い。
 CMなど強調する場合などで長音化しないこともあるが、日常的な言葉としては長音化が自然。

(2)Q 文末に感嘆符「!」、疑問符「?」、感嘆疑問符「!?」の付いた読み方は?
A その文章内容が音声表現だけで理解できるものはできるだけ記号は読まない。しかし決定的な確信を持って書いてはいないが言葉遣いが確信的でその語尾に「?」が付いているような場合やギャグを狙った場合などでは音声表現が難しいので記号を読むこともある。しかし、ほとんどの場合は音声表現でなんとかなる。 

(3)Q 小説のセリフはどの程度感情を入れたらいいか?
A セリフは相手とのキャッチボールができれば必ず伝わる。感情を入れようとか声色を使おうなんて思わないで。AとBとの会話なら、Aが言う時、音訳者がちゃんとBに目を向けて言う。会話こそ生きた言葉だから、相手にちゃんと渡せばそれで成り立つ。セリフらしく読もうとする必要はないし、あまり地の文とかけ離れない方がいい。セリフだけ舞台に立っちゃったみたいにならないように。(笑い)
  
 
予定をオーバーして2時間半、丁寧に語ってくださいました。
微妙な音の高低差や文アクセントなど簡単にはいかない音声表現ですが、高橋先生が実際にお手本を示してくださるので分りやすく、その的確なアドバイスを会場全体で共有できたように思います。教材を読んでくださった方々にも心からお礼申し上げます。


以下に当日使用した教材を掲載します。

  研修教材

うとてとこ

うとうとうとう
うがよんわ
うとうとうとうと
いねむりだ

てとてとてとて
てがよんほん
てとてとてとてと
らっぱふく

ことことことこ
こがよにん
ことことことこと
とをたたく


                  1

《中原中也という人間は、結局僕には噛み切れないというものである。生きている間、逃げ廻っていたのが無念やる方なく、伝記を書き出したのだが、少年時代を五十枚書いただけで、肝心の部分には手をつけていない。》
 これは、一九五三(昭和二十八)年、「新潮」八月号〜十二月号に掲載された「わが師わが友」の一節である。大岡昇平はこの年十月にロックフェラー財団の第一回特別給費生として渡米し、翌年ヨーロッパを歴遊するなどして一年間日本を留守にした。そのために「わが師わが友」は、大急ぎで書かれた証文みたいな感じのする回想記になっている。率直で飾り気がない。
「中原中也という人間は、結局僕には噛み切れないというものである」という発言は、伝記を書こうとして、目処が立たない苛立ちと困惑を反映しているかのようでもある。そうだとしても、ここからが大岡昇平らしい、一種のすさまじい執念が発動されるのである。
「少年時代を五十枚書いた」というのは、一九四九年発表された「中原中也伝――序章 揺籃」(「文藝」)を指しているかと思われるが、その後、五六年には「二詩人」(のちに「京都における二人の詩人」と章名変更)が発表され、主として同年に各誌に分載された七章とともに、『朝の歌』が一冊の本にまとめられた。なお「京都における二人の詩人」は、早く四八年に雑誌に掲載された文章が元になっている。


 子供の地図

 すぐとなりに少し傾いた納屋があって、壁にハチが巣をつくっていた。つづいて垣根がわりに梅の木が何本か植わっていた。雨の日はカタツムリが銀色のあとをのこして這いのぼっていく。かどの家に老人夫婦が住んでいた。なぜかいつも玄関に大きな提燈がぶら下げてあった。ミツボシとよばれる家紋が入っている。その日、風にあおられて玄関の提燈が左右にゆれていた。奇妙な獣がしきりに首を動かしているように見えた。
 かどを曲がった最初の一軒が遊び仲間の家だった。縁側にズック靴がぬぎ捨ててあった。前日、いっしょに学校裏で折りとった彼岸花が、しおれて捨ててある。勉強部屋に声をかけたが返事がない。だれも出てこない。だれもいない。
 となりは白壁で、塀の上に猫がうずくまっていた。両眼をかたくとじて動かない。足元に黒い影が落ちていた。影の塀にも影の猫がいる。雲が走って陽ざしがさえぎられ、とたんに足元の塀と猫とが、かき消えた。
 つぎのかどまできて足をとめた。三叉路になっていて、一つは学校への道、一つは墓地への道、一つは神社への道。どの道にも、だれもいなかった。姿がない。声もしない。                                         (以上)
                                     
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