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少しずつゆっくり引っ越し
ブログをはてなblogサービスへ移転していきます。
「樟の森の研究室」
http://izumo.hatenablog.jp/
 記録として残しているものもあり、ウェブサイトからのリンク切れなどを予防手当しつつ、整ったものから削除していきますが、おそらく2〜3年はかかるでしょうから、ほんとにゆっくりとした引っ越しです。
 なお、竹の焼畑(出雲の山墾り)の記録は重複もしますが、ここに残り、引き続き記録を続けていきます。

2019/11/17記

2020年03月06日

3月7日の山墾り

”注意深く森のなかを歩くと、たとえ傷ついた森であっても、生命の豊かさを感じることができる”
アナ・チン「マツタケー不確定な時代を生きる術」(みすず書房)の語りは、それ自体が息吹(プシュケー)のようだ。
アナが耳にしたという(傷ついた森の)線虫の声をきいてみよう。
”ぼくのことをマツノザイセンチュウと呼んでおくれ。ぼくは小っちゃい、イモムシのような線虫だよ。マツの内部をカリカリ噛んでばかりいるんだ”
そうか。名前はきいていても、声までは聞いたことがなかった。なにせ山では動いてばかりで、ひといきつくときの、風と鳥のさえずりと、かかり木のきしむ音くらいだもの。
明日はぼーっとしながら土をほじってみようか。
1g中に1億の命ー息吹があるという土壌を。
アナ・チンは科学を翻訳装置として線虫の声を聞くのだが、それは飛躍であるといまの私は思う。あ、その飛躍もまた百数十年前に北米から海を渡ってきたマツノザイセンチュウの表象でもあるのだろうが。
土。
地に足をつける。
原義は日本ではなくイギリス経験論×実証科学からくるものではなかったか(不確かなので、誤りはご指摘いただければ幸甚)。
すなわち、Down-to-earth;地に足をつけるとは、論理の飛躍に対する戒めである。
……というわけで、カロリン・エムケとレヴィナスを持って山へ。
明日は、午前から。
ご参加、どなたでもいつからでもウェルカム。
▼出雲の山墾り
http://s-orochi.org/public/archives/1062

IMGP8304
posted by 面代真樹 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2020年02月15日

出雲の山墾り〜sec.8

2月15日(土)竹林整備(伐倒;1名)11:30〜17:30、晴れ↑18℃↓10℃
P1300731

春よ、ちょっと待って。
気温は昼過ぎには18℃。ここから100mくだった木次の日当たりのよい斜面では、オオイヌノフグリが小さな青い花を一面に咲かせていました。
今日は2月15日。
竹の伐採は3月上旬までの予定ゆえ、どこを優先するかは悩ましくもあります。気になったところを処置しながら、ざっと林縁部をまわるつもりが、この場所を集中的にかたづけることとなりました。
写真の中央からやや左にホオノキが竹に囲まれながらすっくとのびているのがわかりますでしょうか。やや人間本位というか自分本位の身勝手願望ながら、ホオノキは食材を包んだりなんだりと使い勝手もよく、これは息を吹き返してもらって、葉っぱを取りたいなあと、前から思っていたのでした。
モクレン科らしく春先の白い花も鮮やかで美しいものです。
だから、「この子」のまわりだけでも、新芽が春とともにのびだす前に、きれいな状態にしておきたかったのです。
なにせ、太い孟宗竹が密集しており、上部でからみあっている。竹だけならまだしも、このホオノキやノグルミ、コナラなどが混在していて、伐倒の際に掛かってしまうのです。樹皮を傷つけますし、なにより、引っかかったらそうかんたんには抜けない。
難儀でしたが、目処がたつところまでは整理できたかなあと思います。
あと2日とりかかったら開けるかなあ。
posted by 面代真樹 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2020年02月01日

火入れの準備で竹を伐る

先週に引き続き、竹の伐倒と運搬。
ただいま難所を仕掛中。

P1300687-3

密集地帯に向かって右は崖。上部でからみあっているのと、杉の倒木の架木などトラップもいろいろ。できるだけ斜めに倒したいが無理はしない。下手をすると、竹と一緒に奈落の底へ真っ逆さまか、他の竹にかけて四苦八苦することになるので。

P1300694-3

この写真で見えるところの向こう側が崖である。そして多くの竹は崖の方に向かってかしげている。
だから、ふつうに切ると、崖の下に向かってずどんと落ちていくのだ、孟宗の太い竹が。下まで完全に落ちきればまだいいのだが、途中でとまるのが大概だ。滑りやすい崖の斜面をチェーンソー片手に横歩きに移動しつつ、玉切りしながら、垂直逆さまになった竹をどうにかしていくのは大変難儀なことだ。そうならないように、崖面でない斜面へ倒し込めれば、そりゃいい。究極の理想は斜面に対して45度くらいになると、玉切りしつつ、横に置けていくので、素晴らしい効率でものごとが進むのだが、ま、竹の場合そうはいかない。
少しでも理想に近づけるべく、しかしいきなり理想を目指すと事故のもと。その加減は意外と難しいものだ。数をこなさないといけないのだが、1本1本、狙いと結果そして修正を重ねていくのみ。

言葉で説明するとやたら長くなるのだが、ほんの一例を。

P1300693-2

この倒した竹。
重心は斜め左下なのだが、真左かちょい左上気味に倒したかった。
上につるが残るようにして、倒れる際にくるりとまわるように動いてくれれば狙い通り。うまくはいかんものだけど、このくらいの太さなら手で多少コントロールして真左くらいに倒せたケース。
つるは倒したい方向を多めに残す。

さて、倒したら玉切りして移動。およそ3〜5本倒すごとに。落としたり投げたり運んだりで20mほどか。
今日は10本程度の伐倒であった。
暖かいので汗はだらだら。が、腰掛けてテントウムシに話しかける余裕は、あるかも。つまづいたりすべったりするのでね。明日は、弁当持参かな。
来週、状況がよければ、裾野に落とした竹など燃やして、炭をつくります。
気持ちよい休日を過ごしたい方、奥出雲は佐白の山へどうぞ。
出雲の山墾り〜竹の焼畑2020
posted by 面代真樹 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2020年01月23日

積んだ竹を焼く

 水の入った竹も多く、なかなか火勢がつかなかったが、切って積みまして、ようやくこんな感じ。バーベキューも鶏汁もできなかったのがもったいない。ただせっかく準備もしていたので、一筒だけ、やっつけ的に試してみた。美味かった。改良を加えてご馳走としたい。

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 相当量の炭ができているわけで、いや、近寄れませんよ。ババっと背中向けながら駆け寄って、スコップでひとすくいしたものを持ち出せば「使える」。同じくババっと駆け寄って、仕込んだ竹筒を置くと、そこで料理ができてしまうという仕組み。穴のあるあのコンクリートブロックをおいて、そこに斜めに立てかけるなど、いろいろできそうではある。
 ほか、気づいたことなど、のちほど加筆します。
posted by 面代真樹 at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2020年01月21日

竹を切り始め

 今年の山仕事はじめ、なのかもしれない。
 なかなか燃やせなかった竹の残りを今週燃やそうとしているのだが、まずは山の状況を観てみようと、中山へと向かった。スズメバチが巣をつくっていたところの斜面を片付ける。竹はそれほど多くないものの、これを寄せていくのは手間かもなあと思いつつ、動かしやすいように、チェーンソーで玉切りしていく。ざっとやってみると、それほどでもない。これなら半日仕事でいけるかもしれない。なんとなれば、裾野に積んだままの竹に火を入れつつ、こちらの竹を運ぶのもいいかもしれないなと考えたり。
 中山の馬の背奥の竹はずいぶん弱っている。春前にいくらか伐っていくのがいい。折れたまま立っている竹を片付けるべく、からまっている竹も含めて5本程度を伐倒。軽く玉切りするところまで。どこに積むかは次回。あと1時間かかるだけでずいぶんよくなる。ここはタケノコも掘れるところなので、早いうちに整理しておくべきと思いながら。
 畑の柵を応急補修。ここも早めに柵をつくりなおして、牛の流れを変えていかないと、いずれ壊される。すでに何度か竹を折って入ってきているようだ。

 かれこれ2時間ほどの作業。明日から状況などみながら燃やしていこう。


出雲の山墾り〜竹の焼畑2020

 去年の1月19日の模様。こうやってみると、去年のほうが草が青々としているような、気もする。
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posted by 面代真樹 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2019年11月18日

2019年11月17日〜18日

◆11月17日の山仕事より
山の大豆がタヌキかなにかに食われてしまいました。半分ほどは残してくれたつもりのようですが……どうしたものでしょう。
この日、収穫に向かい、軽く斜面をのぼり柵をくぐってみれば、「あれ、ない…」と。
そう、そこにあるはずの大豆の姿が見えない。よくみれば、すべて倒れています。なぜ?と近づいていくと、さやの殻がたくさん散乱しています。あぁ、食われたのか。
イノシシのような荒々しさは皆無で、しかもていねいにかじられています。食うべきものはきちんと食べているのです。
タヌキに干してあった大豆を食べられたという話は聞いたことがあったので、これもそうだろうなと。まだ緑がかった鞘の大豆はかじっていませんでしたから。
冷静に残っているものをすべて切り、束ねていきました。
ショックはじわじわと襲ってきます。
今年はおよそすべてが不作に終わっています。実験的に取り組んだものも含めて。かろうじてこの白大豆くらいが計画どおりに進んだものでした。これで今年はぜんぶうまくいかなかったことになります。
やるべきことをやっておくべく、傷心をどうこういう暇はありませんが、少しばかりのタマネギの苗(およそ50株弱。早生と晩生のもみじ)のを植え、畝の起こしを少しやって、ふうと息をつきました。

ごうごうと鳴る放牧の林を散策しながら考えたり、木の実をひろったり。

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大麦(裸麦)はいい具合です。
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パープルサルシファイ(バラモンジン)が元気です。数本を冬前に収穫してあとは春まで残してもよいのではないかと。
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向かいの山を久しぶりに歩きました。秋はとりわけ美しいです。太陽の光もさすので、気持ちがいいです。
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◆11月18日の山仕事より
 大豆の後片付けとナラヤマに数本あったアマランサスをとりにきました。10時10分〜11時40分くらいの1時間半ほどでしょうか。
 タマネギの苗が3〜4本抜かれていましたが、あらされているわけではありません。苗をかじってもいないようなので、今後はくることもないのではと願いたい。明日雨の予報なので、うまく根がついてくれるとよいのですが。
 ガマズミは、今年はあまりとれそうにありません。こちらもうまくいかなかったといえますが、5〜6本はもたないといけないなあと思います。家の庭に3本ほどと、山に10本ほどあればよいのではと思います。この畑の一角にあってもいいのでは。

2019年09月17日

正月とカブ

 正月にカブを供する儀礼といえば、七草粥があるのだが、その起源をたどろうとすると、途端に錯綜した渦に翻弄されることになる。
 まあ、いろいろ諸説あるんだけどね、と言いたく(まとめたく)なるのをおさえつつ、シンプルにとらえてみようと思ったときに、『丹波の話』に出てくる「若菜迎え」が鍵になるのではと直感したことが、この書を借りてくるきっかけである。
 磯貝勇『丹波の話』、昭和31年刊行。
 

 私がこの書の存在を知ったのは、小学館の国語大辞典、方言大辞典で「若菜迎え」をひいたときであって、丹波・丹後のいくつかの文献、そして島根県方言辞典を用例の出所としていた。おそらく外の地方にもあったのだろうがと思いつつ、いや、ひょっとしたらこのふたつの地域にのみ、明治から大正にかけて採取できただけかもしれないな、とも。島根の方言という点から若菜迎えをもう少し調べてみようと思う。

 さてその『丹波の話』は6つの章からなるが、若菜迎えが出てくるのは「由良川風土記」においてのみであり、その記述もきわめて少ない。
 地域は由良川上流部の何鹿郡(いかるがぐん)、船井郡、天田郡といった郡部と綾部市であり、現在ほとんど綾部市内に入っている。
 1950(昭和25)年の筆記である「正月の行事など」という一節は、「正月にまつられる神様は、由良川沿いの村里でもトシトクサン、あるいはオトシサンなどと呼ばれている」という一文からはじまる。穀物の霊、農耕神の性格をもつ神であることは一般に知られていることだがとして、その特徴がはっきりあらわれているものとして、まつる”場”について一見とりとめもなくあげている。私のほうで整理しなおした箇条書きを以下に記す。

1. 俵の上にまつる(綾部市和木)
2. 一升枡、斗升、升掛など枡を司る神様で枡にまつるものだといっている(綾部市星原)
3. 歳徳神の軸を床にかけ、その前に種モミの俵をおいて祭る(天田郡川合村)
4. 米俵の上に松をさし、ヘヤの中で祭る。松は三段五段のもので松かさの多いものを選ぶ(船井郡和知地方)

 





posted by 面代真樹 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2019年09月13日

中秋節に火を入れて

今日は仲秋節。月に願いを。地には平和を。…というわけで焼畑の近況をば。

・今日のお昼すぎに、昨年春に残った竹積み箇所を焼きました。カブを蒔く予定。
・春焼き地のホンリー、アワ、ツル小豆等混植区はそれぞれ色づいてきました。収穫準備。鳥たちも虎視眈々と狙っているようですが、ホンリーのカラフルな色が迷彩のように効果を発揮しますかどうか。
・大豆はまあまあの出来具合。枝豆が楽しみです。
・陸稲はようやく出穂。実が入ってくれるかな。
・ナスはわずかですが、ぼちぼちとっています。
・トマトは収穫に入ってます(加工食向きですが、甘み酸味ともにいい感じ)。量は少ないですが、美味。
・サツマイモは茎とって喰うべし。猪に先を越される前に、と思っていますがどうなりますか。













posted by 面代真樹 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2019年09月09日

9月8日の草刈り雑感

 この日の最高気温は35℃ほど。日差しの強さは8月のそれと比べればやわらかで、また時折雲がさえぎることもあり、「やってできなくはないか」とはじめたのでした。
 はじめて数十分で、汗の流れが尋常でないことに気づきます。なぜだろう。体調の問題なのか。いつもより休みの頻度も長さもとって、水分補給もこまめにしたものの、消耗ははげしく、2時間弱で切り上げることになりました。刈った場所はここと、2年畑を少々。
 
 写真中ほどに残っているクズのからんだ竹は、このあと、ばっさりと切り倒しています。

 さて、作物の様子です。
 ホンリーは色づきが鮮やかになってきました。






オカボはいまだ出穂みられず。菜園畑ではではじめているので、来週にはみられると思います。出穂から収穫まで60日として、11月上旬の刈り入れかあと。



 トマトはようやく勢いづいてきました。実は小さくとも真っ赤になるほどに熟したものだと酸味がしっかりあって、加工食用として「使える」ものになってます。





 タカキビは10月初旬から収穫できるかなあと。柵を補修しておかねば。


posted by 面代真樹 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2019年09月05日

農書『家業考』〜年中勝手心得の事 からの示唆

 木次図書館の郷土資料の棚に農文協の農書全集第9巻がある。「神門出雲楯縫郡反新田出情仕様書」や「農作自得集 」をおさめているからだろうか。あるいは広島県高田郡吉田町に豪農が記した「家業考」を、雲南市吉田町のものと勘違いしたということも考えられる。
 なにはともあれ、ざっとではあるが、目を通してみるに、ほかの農書に比してもそうとうおもしろい。肥料としての焼土の利用が仕込みも含め年間通じてかなりのボリュームをしめているのも興味深い。焚き木にもならない小さな小枝を使うのだとか、田植の馳走に鯖を手配しているのだとか、ふるまわれるのがどぶろくではなく清酒であることだとか。郷土史編纂の折、偶然にも「発見」された丸屋甚七著とある農書。再読していねいに記しておきたいが、今日のところは4つをとりあげておく。

●正月一日の食事のことなど。
《正月一日。家来ぞふに(こぶ、ごほふ、大こん、ぶり)。中飯米のめしつけもの。夕はん米めし、平(ぶりのあら、大こん、いも、みそ汁、酒かんどく一つ。》

 まず、一日が三食であることを記憶しておきたい。この書は明和年間(1764〜71)にしたためられたと推定されている。市中ではない、農村での食制である。ぶりのあらなんてものまであるのだから、おどろくことでもないのかもしれない。
 昼食が「米の飯」に漬物。翻刻・解題の小都勇二は、米の飯が多いことに意外感をもたれているようだ。かぞえてみれば、三食とも米飯の日が年間14日、昼夜二食が4日、夜だけでも米の飯という日が14日。もっとも、この豪農家がとりわけ多かったのかもしれないわけで、しかし比較しうる資料もなかなかあるものではないだろう。
 ふと、農家はもっと米の飯を食べていたという資料の読みを書いている有薗 正一郎の論考を思い出した。書棚の奥に引っ込んだままなので、また紐解いてみよう。検索をかけたら、「家業考」についての論文があった。
〈「家業考」にみる中国山地西部の水田耕作法の地域的性格〉愛知大学大学論叢72号1983年/愛知大学文学界(p.312〜291)
 国会図書館のデジタルアーカイブにおさまっているようなので、折をみて図書館でみてみよう。
 夕はんにある平とはおひらのこと。平椀のことだが、知らなかった。妻にきいてみれば、「おひら」のことでしょうと。お盆のときなどに供える膳にのる椀としてよく知られているだろうとのこと。口絵に写真があって、膳に四椀が並ぶ左上からお平、坪、飯碗、吸物椀となっている。
 酒かんどく一つとは銚子に一本ということのようだ。
 ほかに、牛にてんこ10、よき餅10とある。
 てんことはてんこもちのこと。小都氏の注釈には「くず米や小米、籾殻まじりの米をこねてつくる粗末な団子もち」とあるが、石見山間部では粟や黍など穀類などが主ではなかったか。これも事典類をひいたところでは、広島・島根など中国地方に多い方言のようだ。「てんこ」の語彙を知りたい。

●とろへいのこと
《正月十四日。よなべさせぬこと。とろへいハそうべつてもち壱つツゝ、尤此谷のこどもちさきいわひ一つツゝ》
 とろへいが明和年間にはあったということがここから知れる。大正時代前後に編纂された郡史には、とろへいを乞食として扱っていたのではと思い起こしてみるがよくわからん。要確認のこと。
 よなべをさせないのは、15日からみやげをもたせて家に帰させるからということもある。
 
●年越と年取りは違う!?
これが主題といっていいのだが、よくわからない。原文をあげておきながら宿題とする。
《としごへのばんニハよなべなし。としとりのばんニハなをさらよなべハなし。まやいあらば木こり、木わり、わらしごとハ時の考ニてさしてよし》
 作業仮説としては、年越の晩が大晦日、年取りの晩が元日の夜であろうか。
 大晦日であっても暇があれば仕事をさせてもよいと追記しているので、年越しの夜からが休業という意味合いもあるのかもしらん。
 家業考では休日のことを「あそび日」としている。
《正月三ケ日ハ朝より家来下女ともあそぶ。其外の年中のあそび日ハ朝飯迄しごとして朝飯よりあそばしてよし。》



 年越しについては、国史大辞典における田中宣一の文をあげておく。
年越(としこし) 新年を迎えようとする夜の時間、およびその間の行事。一般に年越といえば大晦日の夜を指すが、立春・七日正月・小正月を控えた夜をも年越ということがある。古い考えでは日没時を一日の境としていたとされるが、この場合、夜は前夜ではなく、もう朝に続く一日のはじまりとみなされていたのである。したがって、新年を控えた年越という夜は、年の最後の時ではなく、新年に含まれる時間であった。一方、神霊の出現は夜とされ、祭は夜に開始されるのが普通である。だから年越にはすでに正月の神が訪れてきているのであり、この神を祭るいろいろな行事が執り行われるのである。大晦日夕方までには正月飾りを完了し、そのあとハレの着物に着替えて、一家揃って年神棚の前でハレの食事をいただく地方があった。このハレの食事をオセチ料理という所もあるが、一般化した年越そばもこの一種かと思われる。また、この夜は囲炉裏で浄かな大火を焚きながら起き明かすべきだと考えられており、もし早く寝ると皺がよるとか白髪になると信じられ、その上「寝る」という言葉さえ忌んで、代りに「稲を積む」といっていた所は多い。これらは来臨した年神に一夜侍坐していることを意味し、夜が明けると神への供饌を下ろして神人共食するのが、雑煮を祝うことのもともとの意味であったとされる。節分・六日年越・十四日年越の場合にも、同じく神の来臨を想定して各種の行事が行われ、明けて七草粥や小豆粥が祝われるのである。》

 夜が一日のはじまりというのは世界共通の「原始」認識であることは、学的には定説といっていいだろうが、常識とはならない。クリスマス・イブについてもそうであるように、前夜祭という意識・観念を払拭するには至らない。
 この認識・感覚のズレは、掘り下げてみるとおもしろいものが出てきそうだ。

 あぁ、そして思いついたことを最後に。
 神人共食がセチの料理であり、年越しの料理であるのに対して、雑煮は異なる。
 それはプレゼント。贈与なのである。
 年玉がそうであるように。
 年取りカブは、神が食したものの下賜なのであり、と同時に身分の違うものが同じものを食するというそういう世界を顕現させるものとして、もちとは異なる何かなのだ、と、まずは想定して、進んでみよう。