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月日は逞しく成長させるよ [2025年04月30日(Wed)]
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おはよう30日の日常が始まった。
次男一家は3泊4日で仙台&亘理に出掛け昨夜戻った。
2011年3月11日のあの日(東日本大震災)、
嫁は大学1年生の春休み大学病院のベット上でTVから続々放映される
激甚光景を見て「こうしてちゃ居られない」と、大学を一年休学。
当時壊滅状態の「亘理いちご農家」にボランティア参加。
揚々の人間が全国各地から「亘理」に馳せ参じ復興のために協力した。
地元亘理の復興のためにいち早くNPO法人を立ち上げた方の家に嫁は住み込みし、
日中は支援&救援物資の振分等に汗水流し、夜は子供らの家庭教師的奉仕。
1年間のボランティア活動を終え復学してからも「亘理」との「縁」は続いた。
土曜日に、嘗ての住み込み先の子が紆余曲折の果て医者2年目で結婚。
次男一家4人が結婚式に招待された。

壊滅的「亘理いちご」農家の為、宮城県挙げて県庁職員を派遣し復興に尽力の、
県庁職員は「亘理」に移住し住み着いて試験的に「シャインマスカット」の転作。
これが成功し「亘理」の「シャインマスカット」は高額な果物として市場に出た。
農家達への身を挺しての支援に定年後もそこに住み続け第一産業の継続に尽力。
そんな「お父さん」的指導者とも付き合いがずっと続いて、
今回は結婚式のあと「亘理」巡りをして泊まり孫達に農業を肌で触れさせた。

2011年からの14年の月日が逞しく逞しく人間も大地をも変貌させた。

「亘理」から戻り大学3年生の時、神の計らいだと思う私と出会った。
「おれんじカフェ駒越町」(認知症カフェ)開店準備の最中に。
店の周りの雑草処理を指示もださなかったのに綺麗に数日掛け毟った。
「若い子なのにやるな」
と、思った初めての出会いだった。
Posted by 石澤育子 at 06:24
今夜はこれを観ます [2025年04月28日(Mon)]
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本日の終了時金庫を取りに事務へ行きました。
チョッとSさんが奥様にご用があるそうです、と。
「コレ、観る?」
と、差し出された品々をドッキンと悪い心臓がハート️ドコント動きました嬉しさで。
今夜は1990年の「川霧の橋」「ルポアゾン」(1990年)を観ます。
天海祐希さんが初めて悪役を演じたって何処かでコメントしてました。
ニコニコ動画でも何度か観てますがいつでも好きな時にってはいかないから、
どっても感謝です、へば、へば、30日までの決算書作成気にしながら、観るぞ。
Posted by 石澤育子 at 18:58
林檎の木 [2025年04月28日(Mon)]
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今晩は、今日の午後3時の林檎畑の様子です。
ここの林檎園の林檎の木は今期の大雪でだいぶダメージを受けてました。
林檎の蕾も硬いまんま。
岩木山はちょい昔スカイライン等を雪乗車で登り滑る春スキーのメッカでした。
そんなことまた出来そうなくらい雪がごっそり残ってます。
林檎の開花は未だですが
岩木山桜のネックレスロードの大山桜は濃いピンクの花咲いてました。
津軽は椿の赤、桜のピンク、レンギョの黄色等で彩り豊かになりました。
冠雪の岩木山嬉しそうだっきゃ。
Posted by 石澤育子 at 18:46
エステル&マリーもお花見花見(さくら) [2025年04月27日(Sun)]
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雨が軽くパラパラ降ってきました。
エステルもマリーもママと3人でお花見。
Posted by 石澤育子 at 16:41
仙台公演で天海祐希を観たって [2025年04月26日(Sat)]
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今晩は、土曜日昼下がりドッカンピカー〜の稲妻光った後にお空が号泣。
五十石町別宅庭で営業中の「桜林茶寮はなれ」さんのテントが強風と豪雨に
ブハブハ大揺れ、、で、開店休業し可愛い売り子たちが帰ってしまいました。
私達職員と3人はどす黒くなった西堀桜を眺めながら告白ごっこ。
なんと何と灯台元暮らしってこんなこと言ううんだね。
1994年に仙台市で天海祐希さん主演の「風と共に去りぬ」(レッドバトラー役)
を、職員二人で観に行ったと、もう私の質問攻めに見舞われた。
「奥様、当時、なんでそんなの休んで観に行くんだ」
と、嫌味たっぷりで有休取ることを否定されたんですよって、
「何なんですか?今、天海祐希、宝塚、宝塚って」と。
そうなんですよ、あの頃の医院は日曜日休日で土曜半日休、祝日も営業してた。
全くTV、演劇、ライブなんて興味を持っちゃいけない世界にいた。
お詫びじゃないが、中島みゆきコンサートで購入の大倉陶園製の下ろしたて
コーヒーカップに引き立てのコーヒーを入れお出しした。
私の非難囂々の嫌味たっぷりのお小言の中、
1日休みを貰い仙台に宝塚歌劇団の天海祐希レッドバトラーを観に。
で、入り待ちをして帽子を深々被りくたびれ感満々放つ天海祐希さんを
「疲れてんだなあって可哀想だなって」思ったんだそうだ。
でも、舞台上でのレッドバトラーは光り輝いてたそうだ。
「トップになって早めに辞めて正解だと思う、だって凄くのびのびで良いもん」
と、でも、彼女は当時も今も一路真輝さんが大好きなんだそうだ。
こんな身近に90年代の宝塚を語り合える職員が居るなんて超ラッキー。
てっきり中島みゆき一筋だと思ってた。
彼女とは札幌、盛岡を一緒に中島みゆきコンサートに行った。
札幌は娘も名古屋から飛んで一緒に観たが、、
後々に娘が本当は中島みゆき嫌いなの、もう行きたくないって宣言
以来、あちこち切符取れたとこに一人参戦を貫いている。
下落合をベースに福岡、広島、金沢なんて行ったじゃ。
「桜林茶寮はなれ」製のドライカレーパン、が美味かったよ。
Posted by 石澤育子 at 21:06
追悼A 曾野綾子先生 [2025年04月26日(Sat)]
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「曾野綾子が案内します目の不自由な方とゆく聖地巡礼の旅」
に、ボランティア初参加の時の53歳(2002年)の私。
ギリシャの聖堂で那須の老舗温泉旅館の方が曾野先生を代理母に洗礼式を受けた。
初めてカトリックの洗礼式に遭遇し震撼したが正直な気持ち。
2000年96歳で父を私の腕の中で天に送り、何もかもやり遂げたと、
家族でエジプト&イスラエルにテマサ旅行会社の手配で個人旅行をした。
死海に泊まり死海に浮かび、死海写本博物館、マサダ要塞に行った。
難攻不落の砦(古代ローマ軍とユダヤ人の戦争の跡地)にユダヤ人が籠り闘ったが、
殆どのユダヤ人は撃沈、されど子どもと大人数人がいきの残り歴史の証人に。
そんな登も降りるもビビってしまいそうな岩山を去年(1999年)いらしたと、
テマサ旅行の案内人は私に伝えた。
然も、マサダ砦の天辺でテントを張って一泊したいと仰った、と。
「ウッそう、眼の見えないしかも御御足不自由な老人らもいるのにい!」
ウソだ、ウソだ、コレは確かめなくちゃならんと参加申込した。
旅行会社からの電話で「ボランティアなら参加可能」の誘いがあった。
よっしゃと旅行代金満額振り込んで意気揚々と成田空港前泊から参加。
もうその日から「藤女子大学で中島みゆきと同級生」と同室。
車椅子での通学だったので良く親切にしてもらっただとナドナド、
話が弾んでほぼ喋りまくり、、、コレが多分良くなかった。
一気に私の素養が旅行グループに広まった。
然も、ギリシャでのこの写真は周りに曾野綾子先生の親衛隊が10人いる。
なーーにも知らない能天気に写真を撮る声にさー〜と寄って隣に鎮座。
しかも、しかも曾野綾子先生変な困った顔して写ってるよね。
聖書マタイ伝で長血を患ってる女がイエスの後ろから衣のふさを触ったのマネて、
私はそっと曾野先生の洋服の後ろを触ってるのです。
多分、曾野先生触られるのお嫌だから「おやめ下さい」なんて言えなかったんです。
最高の写真です、、この一回だけ参加が連続五回も旅行団ラストまで
「オマエもう来るな」ってお別れ会のたびにいろんな人に言われました。
特に言われたのが口の悪いだけど曾野綾子先生が特別ご贔屓にしていた方です。
「鷲田小彌太の仕事」読書日々 1634追悼・曾野綾子さん
曾野綾子先生の死去報告を発表なさった3月7日の彼のブログを後日拝見、
とても感動して当時を懐かしく思いました。
Posted by 石澤育子 at 09:28
追悼@ 曾野綾子先生 [2025年04月23日(Wed)]
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弘前城公園さくらはほぼ満開だ、だが本日23日は朝から雨が降ってる。
イースター礼拝に娘は日本基督教団西教会(牛山 敬牧師)に行った。
月曜日診察前にアッこれと、
「ママ 曾野綾子好きだからって渡して」と食卓で差し出された。
曾野綾子さん著
「神さま、それをお望みですか 或る民間援助組織の二十五年間」
の、180頁に記述されてる足利工業大学学長(当時)牛山 泉氏からのプレゼント。
曾野綾子先生がJOMAS(海外邦人宣教者活動援助後援会)の次期献金先現場査察の
候補にと牛山ご夫妻に手紙で認めていた時期がある。
されどカトリック教徒の奥様が渦中に膵臓癌で短い闘病で昇天なさった。
私は曾野著書だけで「足利工業大学学長」なる方が妙に記憶に残っていた。
風車の大家で「風力発電」世界的著名人のお一人だ。
曾野綾子先生に気に入られてる「男の一人」で、足利工業大学学長の人で「認知」
それが、何んとコレぞ神のご采配のお出来事が弘前の我が家の玄関で起こった。
「今度、ハワイで新子が結婚するの」
と、当時の西教会牧師夫人が私に「いのちの電話」広告料を集金に来て言った。
その前年ハワイで新子さんと会っていて「私結婚します」と告白されてた。
私の脳はビビビビート「誰と?」、なんだかよく分からないけど風車で有名で
足利なんとかの大学の偉い人が父親だって、、、、、なにー〜足利&風車!
瞬時に曾野綾子先生が三浦朱門先生に「私、男の人からお金貢がれた」と自慢の、
アイツだって確信して牧師の家族でもないのに
「親戚の叔母さんにしてハワイの結婚式出席する」
と、ハワイの教会結婚式の前だか後だか忘れたが、
「カハラホテル」の海沿いのレストランで牛山&石川ご両家の親族顔合わせに出席。
私ってコレぞと思うとチョッと図々しいところがある。
それ以来ちょこちょこ弘前西教会で曾野綾子先生の近況を教えて頂いていた。
続きがあるが仕事も控えてる後で続報もUPする。
こんなに恋したっていたが「曾野綾子先生と親衛隊達」
は私を避け煙ったがっていたよ(ガサツで田舎者だハンデ)
でも、貴重な「ソノ情報」は「神様」が適時届けてくださっていた。
女学校時代の親友「鶴羽伸子」さんの
金沢市での勤務先で同僚だったご夫妻が弘前福音キリスト教会ご出身だった所以。
Posted by 石澤育子 at 09:55
ある少年と再会 [2025年04月22日(Tue)]
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真夜中です。
午後6時の弘前城本丸からの岩木山。
コレを写しお城の方に向かった先でバッタリ麻耶ちゃんと再会。
何と何と弘前福音キリスト教会で日曜学校に中高通ってた
当時私も日曜学校の教師をしてた関係で記憶のある少年、桃井くん達もご一緒。
何はともあれ五十石別宅にお誘いし旧交をあたためた。
麻耶ちゃんとは2日連続のお喋り。
桃井くん、桜田市長とは彼の弟が弘高同期とのことで、
然も、東京でのねぶた繋がりで親しいとのこと。
日曜学校雲谷キャンプ参加中に実父が突然死し家に戻った経緯に、
記憶が朧げだが私は関わった。
少年の彼が父を失い今後どんな風に成長するか祈るしかないと思った。
筑波大医学部に進学し、やがて墨東病院に勤務したと知った。
その後、2回位我が医院を訪れてくれた。
それが鏡ヶ丘東京支部の幹事として麻耶ちゃん桃井くんが親しくなり、
彼女から彼の噂を度々聞くことになったのが「老女」になってから。
三十数年ぶりの再会だ、少年当時にフラッシュバック。
彼の従姉妹夫婦もご一緒で、その方のお父様は弘前大学のフランス語の教授。
ご主人はマレーシア大学の元教授との事で、
まあ、アカデミックなグローバルな話になる時もあり、我が夫も嬉しそう。
こんな奇跡のような一夜もあるんだとイエスキリストが結んでくれた縁に感謝。
実はこの21日の朝も「曽野綾子」さん絡みの奇跡のようなお手紙を頂いた。
Posted by 石澤育子 at 00:17
弘前城公園の桜ほぼ満開 [2025年04月21日(Mon)]
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おはよう御座います午前6時半前の桜花見(さくら)花見(さくら)
見頃のお嬢さん桜です。
私は本日月一の会計事務所来訪で次男と面談。
午後もスケジュールみっちり。
へば、へば、ワノマチ弘前さ恋へハート

色づきも増して桜の匂い吸う
Posted by 石澤育子 at 06:59
「弘前さくらまつり」大盛況 [2025年04月20日(Sun)]
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今晩は。
イースターの礼拝後帰省してた高校同期と昼飯、夕飯一緒に取り午後10時解散。
弘前城公園西堀も7部咲きで艶やか。
子供達も春陽橋から西堀を眺め息を呑むような桜の美しさを記憶したでしょう。

雨あがり桜いっきに匂いだつ
Posted by 石澤育子 at 22:56
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