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最新記事
スーパームーン [2024年10月17日(Thu)]
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今夜の月はスーパームーンだそうです。

満月や転居の窓も同じ月

「オリーブコート新町」から老健に本日退去の利用者も
スーパームーンを見ておねんねしたかな、うんとお喋りしてね。
おやすみ😴
Posted by 石澤育子 at 23:23
お手製「巨峰ジュース」 [2024年10月15日(Tue)]
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おはよう本日連休明けの火曜日。
そして「衆議院選挙公示日」ですよ、開票当日(27日)は東京なので
不在者投票しておきますいつもの人に。
さてさて昨日はりんごりんご公園で「有料林檎もぎ」
採った林檎は全部レジでお買上げ、で今朝の食卓に一個剥いて夫に出しました。
林檎りんご大好き男なので林檎りんごあるとご機嫌です。
一昨日新婚時代に住んでいた築50年の自宅敷地に、
コレまた60年くらい前中学生の頃母が当時珍しい「巨峰」の木を頂き、
在府町の高校生の頃住んでた庭に植えました。
それを私達の新婚の家の敷地に移植、、、毎年豊作です。
蜂がブンブン飛んできて甘く美味しいを教えてくれます。
今年もどっさり収穫(誰も興味ないから私がいつも摘み取る)
昨日の深夜一粒一粒にバラバラに鍋で煮ました。
沸騰後熱いままに鍋にザルで今朝迄濾してご覧の様に出来上がり。
大好きな「中島みゆき」様ライブでゲットのジョッキーは自宅用、
他のボトル2本は利用者に試飲して頂きます。
そして本日は「コート新町」の「敦」さんが白内障手術との事で、
朝、8時40分車で「送迎&付添」致します、、、O眼科だそうです。
へば、本日も充実した1日をお過ごしくださいね、、利用者たちにもね。
Posted by 石澤育子 at 07:08
りんご狩 [2024年10月14日(Mon)]
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今晩はなんかの祝日でした祝マーク️。
次男家族と「りんご公園りんごりんご」へ。
摘み取ったリンゴはレジでお買上げ。
物凄いことになって三袋いっぱい捥いでしまってレジの人に驚かれました。
でも、孫たちがとっても喜んでくれ楽しい一日。
おやすみ眠い(ZZZ…)😴
Posted by 石澤育子 at 22:52
大森勝山縄文遺跡をご案内 [2024年10月13日(Sun)]
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今晩は、本日日曜日礼拝に中野努牧師時代に受洗なさった方がいらしてた。
50年前に関東のミッションスクールから受験し、
弘大医学部で医者になり実家の方に戻られ糖尿病専門医に。
現在は月5回ぐらいお手伝い勤務とのこと。
医学部卒同期会、今回は弘前市パークホテルで開催とのことで、
母教会の「弘前福音キリスト教会」で礼拝したとの事。
彼女とは弘前を離れて初めて遭いました。
医学部界隈の南糖グランド、基礎医学部、新寺町等を車でご案内。
岩木山が錦のグラデーションで雲ひとつない青空に
「岩木山方面に行こう」と会うなり私の熱弁で、
世界遺産登録された「大森勝山縄文遺跡」を見せたいとご案内。
夫も初めてとの事で「縄文のガイド」を買って出ました。
「大森勝山縄文遺跡」は環状列石で祭祀場と考えられてるのよと、
ロンドンの世界遺産「ストーンヘンジ」に匹敵する「祈りの場」よ。
岩木山と太陽と環状列石が冬至に光の直線になるのよ。
って、ガイドで得た知識を熱弁し
私が今最も夢中になってる「縄文」をご披露。
「同期会でエイコ先生に石澤育子にさっきまで会ってたって伝えて」
と、言ってホテル前で別れた。
「今度は花見、日本一の桜花見(さくら)花見(さくら)観に来てよ」と伝えておいた。
Posted by 石澤育子 at 23:22
夕暮れ岩木山 [2024年10月12日(Sat)]
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無事「恐山バス旅行」から戻りました。
本日夕暮れ午後5時過ぎの岩木山です。
「恐山」の一角釜臥山(878m)はむつ市の名峰で岩木山の半分の標高だそうだ。
「恐山」という山はないのであるとのこと。
カリデラ湖の宇曽利山湖をぐるり囲む
大尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山、そして釜臥山の
8峰を総称して「恐山」と呼ぶんだそうだ。
十年一昔とは言ったもんで学生時代に訪れた「恐山」は何処にももうなかった。
56年前には「血の池」地獄はまさに血の色の赤錆色だったが、
今じゃイタリア「トレドの池」の様に銭っこがいっぱい投げられていた。
なんだか初めて足入れた「恐山」は色鮮やかな風車が彼方此方の石の山で、
カラカラ泣いて訪れる人々を地の果ての人っこ一人いない霊山に来ちまったね、
と震撼する様な寒々とした風景だった(一緒に行った老齢の方々も同感してた)
まあ、時代のせいにすれば「観光化」の「恐山」だ。
イタコも県内に八戸と十和田に一人ずつで、本日は八戸のイタコさんがいた。
死者との霊媒師をイタコと呼ぶらしく死者との交流に大勢が待機していた。
余談であるが、故安倍晋三総理大臣の先祖がこの「恐山」に縁のある方らしい。
平安時代の奥羽安倍氏の縁の地として知られて安倍氏は二手に別れ、
一方は藤原の安倍にもう一方は山口の安倍一族に(故安倍晋三氏の先祖)離散。
そう言えば安倍昭恵さん自身の口からイタリアの聖地巡礼のバスの中で、
青森県出身の私の席の隣に偶然座ってお喋りになり
「安倍の一族はなんか青森に深いご縁があるのよ」
って、言われたことを思い出していた。
ほんとだったんだね「恐山バス旅行」で裏付けられたいまごろだけど。
へば、コレから孫に下北のお土産届けてくるよ。
Posted by 石澤育子 at 18:07
明日から「恐山」大祭です。 [2024年10月11日(Fri)]
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おはようございます秋晴れの空の金曜日の午前中です。
「短期入所生活介護オリーブコート」の朝礼に出て挨拶して報告してきた。
「明日、早朝から恐山バス旅行に行くから、恐山大祭なんだ」
と、言ったら尽かさず看護師が、
「えっ! クリスチャンなのに」
って、驚かれました。
分かってる分かってる、んだのさ、でも思い出の地なんだ青春の。
二十歳前の私は高校の同期と夏休み下北一周旅行に出かけた。
お泊まりはユースホステル(脇野沢、下北、大間にユースホステルあったはず)
大間の本州最北端の塔の前で写真を撮り、YHで情報を得た林道を歩こうと。
大間〜山林を歩く林道を通って恐山の後ろ側に出られるを信じて。
下北半島の銘木「青森ヒバ」が鬱蒼と茂ってる林道をアップダウンしながら
3時間位あるいた、それ以上だったかもしれない女2人旅。
すれ違う人も少なかったそこは高度成長期中盤昭和43年、何組かいた。
汗だくだく「恐山」を囲う鉄線に出会った時は歓喜した。
「表」から「入山料」支払って「恐山」に入らず、
鉄線の破れたところを捲って「恐山」に侵入。
一緒に行った同期は年金をもらう前の59歳で亡くなった。
「やっと年金貰えて、これから夫婦で弘前市に戻って貴女を助けたいのに」
「悔しい、悔しい」と余命宣告一年を全く治療せず走り抜けた。
「恐山」の「バス旅行の誘いに」行こうと「ヨークカルチャー野外講座」
〜霊場「恐山」を体験〜の講座である。
ほんと、「クリスチャンでない人とお見合いなんかしてはいけません」
に、匹敵するくらいのブーブーもの参加です、自覚してますよ。
へば、本日は真面目に仕事します。







Posted by 石澤育子 at 09:25
工藤信夫著作の本 [2024年10月10日(Thu)]
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おはようございます。
木曜日秋の澄み切った青空です。
工藤信夫「著」トウルニエを読む!(2019年6月20日初版発行)
先の「青森クリスチャンセンター」での秋の聖会で購入の本。
著者工藤信夫ご夫妻とはもう数十年逢っていないが忘れ得ぬ人なのだ。
彼も弘前大学医学部卒業で夫と同期で学生時代ほぼ同じ頃入信。
奥様は私の高校の同期で2人を合わせた場所は私の新婚の家の夕食時。
中野努牧師から百沢スキー場横の某会社の山荘湯船で洗礼を授かった。
工藤信夫先生はキリスト境界ではメジャーな人で
全国に彼の熱烈なファンがおられ小さな集会を各地で定期的に持たれてる。
津軽地区では「黒石」の某所と噂されてるが真実は解らない。
と、まあこんな関係の薄さに突然この本と偶然出会ったのでゲット。
年賀状もいつしか途絶え噂でしか知る由もないが、
心の何処かに「元気でいるよな」って彼女が息づいている。
安藤忠雄作「光の教会」も離れ
改宗したとそこを訪れた時留守番の人に言われた。
当時、私も「曾野綾子の眼の見えない人をおつれする聖地巡礼」の、
最後の時期の5年間に連続参加していた時期だった。
こうして私はあのまま「津軽」で生き延びている。
Posted by 石澤育子 at 09:32
永六輔さんの本 [2024年10月07日(Mon)]
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夏に「秋田 修と菊池麻耶子そして私」の細やかなお喋り会で、話題になり
私、Amazonでゲットしたのです。
今から24年前に発刊された永六輔さんの「想像力と創造力」の本です。
201頁に秋田 修君のことがチョッと記載されてるよ。
麻耶ちゃんまだ逢うべしの。
Posted by 石澤育子 at 10:25
失意から再生へ [2024年10月07日(Mon)]
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おはよう施設の請求書今やってるよ。
さて、昨日「アップルマラソン」に我が友「秋田 修」君がエントリー
27歳で途中失明者に2歳になるか否かの長女がいた。
彼とは私が小学校一年生夏に時敏小学校に転校し同級生になった以来の友だ。
右も左も分からない私を彼のお誕生日会に招待してくれたのだ。
一中に進学し2年で又「三上稔先生クラス」で一緒に。
又この時もサプライズで「虹の湖」(黒石の先)迄のサイクリングに誘ってくれた。
人生75年ともなれば最高に楽しかった記憶の一つになってる。
高校が別になりその後は噂を耳にするだけだったが、
三上稔先生のクラス会があり多分40歳前後の時だったと思う卒後初めて参加。
ショックだった彼が失明し鍼灸師として「さぱり庵」を開業。
そうか、「目も歯」も失っても健常者時代に劣らず生き生き生活してる。
物凄い影響を受けた、で、医院法人化の時キャッチフレーズに、
鍼灸で「さっぱり」、医療で「せいせい」と、
法人名を「医療法人聖誠会」に、歌も作っておふざけ真剣に歌ってたのだ。
「チョッと走ってサパリ庵、寄ってみませんかセイセイ会」って。
盛岡市と弘前市の生誕地の違いはあるが誕生日も一緒なのだ。
ちょっとした運命の悪戯で彼は5年生に札幌から転校してきた子と結婚。
何て僻んでる訳ではないが「運命」って振り返ってみて輝いて真実に気付くね。
へば、今年の夏、西武新宿線で「航空公園」駅で下車し
「防衛医科大学校」を見学に1人で散策し気がつき驚いた。
盲目の秋田修君を再生した「施設」に。
所沢市に国の機関がぎっしり堂々と鎮座、
その一角で彼は鍼灸師として生きていこうと決意してたのだ。
交通事故での失明だったと聞いてたが、此処に国の膨大な税金が投入され、
失意から再生へと、彼を通じ生きた税金の投入の大きな成果を可視化してる。

次は、「永六輔の想像力と創造力」の本(2000年9月に発行)201頁に、
〜いろいろ考えていると、「逢いたい」が読めないことに気がついた。
そうだ、津軽で逢った秋田 修さんの話もしたい。〜
と記載されてる。
Posted by 石澤育子 at 09:33
墓前礼拝 [2024年10月06日(Sun)]
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本日の礼拝は亡くなった方を偲ぶ礼拝で、その後墓前礼拝を捧げました。
門外の納骨堂で1回目、公園墓地の教会墓石前で2回目の墓前礼拝です。
偲ぶ礼拝のスクリーンには私の両親も写ってました。
両親もクリスチャンですが、実際埋骨したのは仏教の東京中野区の功運寺。
私は無性に両親に会いたくて東京に行き墓の前で祈り讃美歌を歌います。
もう一度東京で暮らしたと思ってます。
Posted by 石澤育子 at 22:06
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