
おはよう御座います「雛祭り」の日です。
52年前(1974年)も今期の様な大雪の年でした。
旧キャッスルホテル向かいの旧商工会議所のホールをお借りして教会式結婚式を挙げた。
披露宴も会費制で「500円」の「ケーキと紅茶」でした。
引出物は「ブナコ」のお菓子入れで、
紅茶カップとスプーンは引出物紙袋に入れてお土産に持ち帰りに。
まあ、信仰者の慎ましい結婚式を大人達の反対を押し切ってやり遂げた「青い時代」のこと。
夫はアメリカ留学もほぼ決まり返事待ちの状態。
ベトナム戦争に深入りし財政的にアメリカは逼迫し不景気の極みの時代になっていた。
で、陸軍病院経由の留学は目前でキャンセルに。
そのI年前のお見合い時(3月4日)は、鼻息荒く新婚生活はアメリカだって宣言してました。
でも、米軍病院経由の留学がオジャンになった神様からの啓示が、
「あなたが英語を話せないから」
別な道になりましたって、、、オイ、そんな事あるかよこの陽気な順応性高い私がって。
まあ、そんなプロテスタントクリスチャンの夫の言動に結構胸が潰れる事多し。
大きな転機は4歳と2歳の長男長女を連れて「平内町立病院」に副院長として赴任した3年間。
海と山の帆立と天然椿の町が陸奥湾に面した港町、平内町です。
長男は此処で泳ぎとスキーを手に入れました。
私は、平内町町立図書館で曽野綾子の女学校(疎開先金沢市)からの親友、
鶴羽伸子著「神の木偶 曽野綾子の魂の世界」(主婦の友社)に出会った事。
町立図書館の蔵書はほぼ平内町山の奥で山岳信仰の「大和山」寄贈によるものだった。
其れから、カトリックの曽野綾子先生の著書を読み漁り、いつかは逢いたいと苦節20年。
遂に2001年「曽野綾子がお連れする眼の見えない方の聖地巡礼」に辿り着いた。
正規料金支払っての「ボランティア参加」を認められ続けて5年間参加。
その頃曽野綾子先生は「日本財団」理事長にも就任なされて大活躍。
曽野先生の巡礼団に参加しあらゆる階層の方々と一期一会のふれ合いし喜怒哀楽を共有。
親しく触れ合うことはなかったが私の「魂」は常に追い求めて信仰の師と仰いでいた。
冷たい人だけど愛に満ち語る言葉は「私」への忠告だなって理解すること多かった。
お亡くなり(2月28日)になった事が公表されたのも3月を過ぎた今頃だった。
「正論」令和7年5月号をKindleで購入した、いつでも何処でも読みたい時に読めるように。
結婚記念日の本日も「義母•曽野綾子最後の日」(長男の嫁 三浦暁子薯)を朝イチで読んだ。