
おはよう5月第二日曜日は「母の日」です。
写真は昨日夕方の弘前城公園の古木「銀杏」の青葉の様子です。
2000年5月11日は木曜日で早朝7時台に急に96歳の父は呼吸困難。
我が家の和室の介護用ベットの上で。
即、夫が朝食を中断し聴診器を当て
「ママ、抱いてあげなさい、もう直ぐです」と、
私はベットに滑り込み膝の上に父の脇に腕を滑り込ませ抱きました。
「お父さん、産んでくれて有難う。豊かな人生を送れたよ有難う」
と、語りかけました。
ベットの周りには医師国家試験合格し医師として勤務し初めの長男、
そして小学6年生の次男が見守っていました。
3分間父を膝に乗せだき抱え天に送ったのでした。
酸素マスクも無しひたすら私の語り掛けの中、父は苦しみ悶え逝きました。
母が87歳で東京の病院で亡くなり3ヶ月後、長兄家族との同居は問題多く、
父を騙して飛行機に乗せ弘前の我が家に連れ同居。
私は父に「お母ちゃん」と呼ばれました。
「アッそうなの、育子はどうしたの?」
と、尋ねると「育子は赤ちゃんだ」と言うではないですか。
そして私は父を産んだ「母」になって最後まで見守りました。
丁度、社会福祉法人オリーブ会立ち上げ最中で、
介護保険制度施行される2000年4月に容態悪化で寝たきりに。
父は大好きな「母」の胸に抱かれて昇天したのです。
珍しくも「母の日」と「父の命日」が重なった日曜日。
一句啓上
重なった父の命日母の日と