
おはよう30日の日常が始まった。
次男一家は3泊4日で仙台&亘理に出掛け昨夜戻った。
2011年3月11日のあの日(東日本大震災)、
嫁は大学1年生の春休み大学病院のベット上でTVから続々放映される
激甚光景を見て「こうしてちゃ居られない」と、大学を一年休学。
当時壊滅状態の「亘理いちご農家」にボランティア参加。
揚々の人間が全国各地から「亘理」に馳せ参じ復興のために協力した。
地元亘理の復興のためにいち早くNPO法人を立ち上げた方の家に嫁は住み込みし、
日中は支援&救援物資の振分等に汗水流し、夜は子供らの家庭教師的奉仕。
1年間のボランティア活動を終え復学してからも「亘理」との「縁」は続いた。
土曜日に、嘗ての住み込み先の子が紆余曲折の果て医者2年目で結婚。
次男一家4人が結婚式に招待された。
壊滅的「亘理いちご」農家の為、宮城県挙げて県庁職員を派遣し復興に尽力の、
県庁職員は「亘理」に移住し住み着いて試験的に「シャインマスカット」の転作。
これが成功し「亘理」の「シャインマスカット」は高額な果物として市場に出た。
農家達への身を挺しての支援に定年後もそこに住み続け第一産業の継続に尽力。
そんな「お父さん」的指導者とも付き合いがずっと続いて、
今回は結婚式のあと「亘理」巡りをして泊まり孫達に農業を肌で触れさせた。
2011年からの14年の月日が逞しく逞しく人間も大地をも変貌させた。
「亘理」から戻り大学3年生の時、神の計らいだと思う私と出会った。
「おれんじカフェ駒越町」(認知症カフェ)開店準備の最中に。
店の周りの雑草処理を指示もださなかったのに綺麗に数日掛け毟った。
「若い子なのにやるな」
と、思った初めての出会いだった。