
「曾野綾子が案内します目の不自由な方とゆく聖地巡礼の旅」
に、ボランティア初参加の時の53歳(2002年)の私。
ギリシャの聖堂で那須の老舗温泉旅館の方が曾野先生を代理母に洗礼式を受けた。
初めてカトリックの洗礼式に遭遇し震撼したが正直な気持ち。
2000年96歳で父を私の腕の中で天に送り、何もかもやり遂げたと、
家族でエジプト&イスラエルにテマサ旅行会社の手配で個人旅行をした。
死海に泊まり死海に浮かび、死海写本博物館、マサダ要塞に行った。
難攻不落の砦(古代ローマ軍とユダヤ人の戦争の跡地)にユダヤ人が籠り闘ったが、
殆どのユダヤ人は撃沈、されど子どもと大人数人がいきの残り歴史の証人に。
そんな登も降りるもビビってしまいそうな岩山を去年(1999年)いらしたと、
テマサ旅行の案内人は私に伝えた。
然も、マサダ砦の天辺でテントを張って一泊したいと仰った、と。
「ウッそう、眼の見えないしかも御御足不自由な老人らもいるのにい!」
ウソだ、ウソだ、コレは確かめなくちゃならんと参加申込した。
旅行会社からの電話で「ボランティアなら参加可能」の誘いがあった。
よっしゃと旅行代金満額振り込んで意気揚々と成田空港前泊から参加。
もうその日から「藤女子大学で中島みゆきと同級生」と同室。
車椅子での通学だったので良く親切にしてもらっただとナドナド、
話が弾んでほぼ喋りまくり、、、コレが多分良くなかった。
一気に私の素養が旅行グループに広まった。
然も、ギリシャでのこの写真は周りに曾野綾子先生の親衛隊が10人いる。
なーーにも知らない能天気に写真を撮る声にさー〜と寄って隣に鎮座。
しかも、しかも曾野綾子先生変な困った顔して写ってるよね。
聖書マタイ伝で長血を患ってる女がイエスの後ろから衣のふさを触ったのマネて、
私はそっと曾野先生の洋服の後ろを触ってるのです。
多分、曾野先生触られるのお嫌だから「おやめ下さい」なんて言えなかったんです。
最高の写真です、、この一回だけ参加が連続五回も旅行団ラストまで
「オマエもう来るな」ってお別れ会のたびにいろんな人に言われました。
特に言われたのが口の悪いだけど曾野綾子先生が特別ご贔屓にしていた方です。
「鷲田小彌太の仕事」読書日々 1634追悼・曾野綾子さん
曾野綾子先生の死去報告を発表なさった3月7日の彼のブログを後日拝見、
とても感動して当時を懐かしく思いました。