おはよう施設の請求書今やってるよ。
さて、昨日「アップルマラソン」に我が友「秋田 修」君がエントリー
27歳で途中失明者に2歳になるか否かの長女がいた。
彼とは私が小学校一年生夏に時敏小学校に転校し同級生になった以来の友だ。
右も左も分からない私を彼のお誕生日会に招待してくれたのだ。
一中に進学し2年で又「三上稔先生クラス」で一緒に。
又この時もサプライズで「虹の湖」(黒石の先)迄のサイクリングに誘ってくれた。
人生75年ともなれば最高に楽しかった記憶の一つになってる。
高校が別になりその後は噂を耳にするだけだったが、
三上稔先生のクラス会があり多分40歳前後の時だったと思う卒後初めて参加。
ショックだった彼が失明し鍼灸師として「さぱり庵」を開業。
そうか、「目も歯」も失っても健常者時代に劣らず生き生き生活してる。
物凄い影響を受けた、で、医院法人化の時キャッチフレーズに、
鍼灸で「さっぱり」、医療で「せいせい」と、
法人名を「医療法人聖誠会」に、歌も作っておふざけ真剣に歌ってたのだ。
「チョッと走ってサパリ庵、寄ってみませんかセイセイ会」って。
盛岡市と弘前市の生誕地の違いはあるが誕生日も一緒なのだ。
ちょっとした運命の悪戯で彼は5年生に札幌から転校してきた子と結婚。
何て僻んでる訳ではないが「運命」って振り返ってみて輝いて真実に気付くね。
へば、今年の夏、西武新宿線で「航空公園」駅で下車し
「防衛医科大学校」を見学に1人で散策し気がつき驚いた。
盲目の秋田修君を再生した「施設」に。
所沢市に国の機関がぎっしり堂々と鎮座、
その一角で彼は鍼灸師として生きていこうと決意してたのだ。
交通事故での失明だったと聞いてたが、此処に国の膨大な税金が投入され、
失意から再生へと、彼を通じ生きた税金の投入の大きな成果を可視化してる。
次は、「永六輔の想像力と創造力」の本(2000年9月に発行)201頁に、
〜いろいろ考えていると、「逢いたい」が読めないことに気がついた。
そうだ、津軽で逢った秋田 修さんの話もしたい。〜
と記載されてる。