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偉大な義兄 [2022年01月27日(Thu)]
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21日に亡くなった義兄(夫と8歳差)の野辺送り26、27日の全てが終わり、
法事の•料理•土産•花を其々夫婦分頂戴して戻った。
「兄ちゃんよりいい生活するな」
と、亡き義母にちょっと言われたことを夫は誠実に守った。
津軽では一家にとって「長男」は絶大な存在だ。
明治43年生まれの義父も次男で高等小学校卒業で大阪に丁稚奉公に出た。
徴兵され台湾で終戦を迎え当時小1の義兄と義母の元に帰国。
軍馬は終戦後、リンゴ等荷物運搬に駆り出され
首っこに宣伝のブリキをぶら下げていた。
そのことをヒントに義父はコツコツ空缶をくり抜き宣伝用に小細工し
やがて看板屋として起業し職員の持株会社を構成し
「石沢工業」の社名で小さな看板屋を展開し現在に至る。
夫にとって「兄ちゃん」は憧れの人
義父に「勉強なんかしないで店手伝え」を言われても
ひたすら机に向かい勉強、その時義父は同じように
自宅兼工場で看板の試作品を発明していたのだそうだ。
そんな少年時代に8歳上の義兄は看板屋の二代目として
高校卒業後義父の下で働き、
看板協会、地元町内、ロータリー、商工会議所、知的障害親の手を繋ぐ会等々
積極的に前向きに奉仕の精神で役を担ったそうだ。
義兄の背中を追いかけた弟の夫は等々追いつけなかった。
あらゆる所で大活躍の義兄もやがて75を境に病が忍び込む。
81歳の暮れ救急搬送された先の当番医が長男で、
容態が逐一報告され夫は「兄ちゃん何か言い残すことはないか?」と、
嘗ての主治医且つ弟として病室で面会した。
ジャスト手術を終えた外科医の長男に連絡が入り臨終に立ち会えた。
よく良く運の良い長男。
医師免許を持っても身内の臨終になかなか立ち会えないものだが
長男は96歳で私の腕の中で息を引き取ったその場にも居合わせ
夫の憧れ「兄ちゃん」叔父さんの臨終に担当医と2人立ち会えた。
葬式後の遺族代表挨拶で大変義也先生に感謝していると述べてました。
「義也ちゃんありがとね」
義姉が病室から遺体を引き取り関係者に感謝を述べた最後に、
その場にいた我が長男にこう声をかけたそうだ。
人生は思ったほど長くない一瞬だよ、、、やり抜け前進だぞ。
Posted by 石澤育子 at 14:15
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