
おはようございます成人式の振替休日だ、、晴天
私は母が40、父が45歳の時の6人兄姉の末っ子でこの世に生まれた。
不思議なことに母と同じ様に39歳で次男を産んだ。
で、次男の成長等を見ていれば当時の母の思いが私に感覚として感じられる。
母との思い出が忽然と湧く時がある「逢いたいなあ」と感情的に切なくなる。
母が私にやってくれた事と同じ事を子供達にさせてあげたい。
今の実践女子大を卒業し嫁に行く数年間教師をしてた。
明治42年産まれの一人娘の母は教育熱心。
「だれが、あんたの言う事なんか聞くもんか」
と、母に悪垂れをついた長い青春がある。
褒めて褒めて褒めて貰いたかった、母は80才を過ぎ弱さを自覚した頃、
「なぜ、私に生きていてもしょうがない子」
って、言ったんだとさりげなく問い詰めたら、
「何としても生きていて欲しかった」
と、幼少期は小児結核で虚弱体質で毎日が熱っぽくぐにゃり。
少女期は小鳥の餌ぐらいしか食べれない骨皮筋子。
そんな私を積極的に前向きに生きる体質に変えたかったんだと。
10歳の私を大鰐スキー場に初めて電車に乗り連れて行ってくれた。
駅から阿闍梨山スキー場迄私のスキーを担いでくれ歩いて2人で行った。
スキー教室に入っている間当時の大鰐ヒュッテ内の達磨ストーブで暖を取り、
入れ替わり暖をとりに来る人たちと談笑して待っていた。
記憶では着物姿だったんでねベガ。
次男の長男の人生初のスキー姿を送ってくれ嬉しくて母の事を思い出した。
マーーちゃんもきっとスキー大好き人間になるね、、婆ちゃん楽しみだ。