• もっと見る

世界の論調批評 

世界の流れは、時々刻々専門家によって分析考察されています。特に覇権国アメリカの評論は情勢をよく追っています。それらを紹介し、もう一度岡崎研究所の目、日本の目で分析考察します。

NPO法人岡崎研究所 理事長・所長 岡崎久彦


プロフィール

特定非営利活動法人 岡崎研究所さんの画像
Google

Web サイト内

カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
△小泉純一郎前首相の医師久松篤子
英米関係は共通の理念に支えられる (10/08) 元進歩派
実績をあげているオバマ外交 (09/21) wholesale handbags
タクシン派のタクシン離れ (07/04) womens wallets
豪の新たな対中認識 (07/04) red bottom shoes
バーレーン情勢 (07/02) neverfull lv
石油価格高騰 (07/02) wholesale handbags
金融危機後の世界 (07/02) handbags sale
米国の対アジア政策のリセット (07/02) neverfull lv
ゲーツのシャングリラ演説 (07/02) handbags sale
パキスタンの核の行方 (07/01)
最新トラックバック
リンク集
月別アーカイブ
https://blog.canpan.info/okazaki-inst/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/okazaki-inst/index2_0.xml
米国社会の分裂 その2 [2012年03月15日(Thu)]
マレイは、次に、米国の労働者階級の一部として新下層階級が出現しており、彼らは、結婚せずに子供を産むケースが多く、子供や親の面倒を見ない、仕事がまともにできず、扶助に頼る者が多い、犯罪、特に未成年の犯罪が多く、信仰心に乏しい、つまり、米国の建国の徳であった結婚、家族、勤勉さ、正直さ、信仰心が崩れている、と言っています。

すまわち、彼らの多くは、高卒の肉体労働者、低レベルのホワイトカラー労働者、単純労働のサービス・肉体労働者で、こうした新下層階級に属する人々は、2010年当時で、働き盛りの白人の30%を占める、

彼らについて、結婚、勤勉さ、正直さ、信仰心を分析すると、@片親と住んでいる子供の割合は1960年の3%から2010年には22%に増加、A家族の長もしくは配偶者が週40時間以上働くケースは1960年の87%から2010年には53%に減少、B人口当たりの受刑者の割合は1974年から2004年にかけて4倍以上に増加、C日曜学校で教える、慈善活動に従事する等のコアな信者は急減している、

結婚、勤勉さ、正直さ、信仰心は建国の徳であり、米国の成功の基として、建国以来200年間米国を動かしてきた。ところが、労働者階級、特に新下層階級を見る限り、そうした徳質は急速に失われつつある、

2004年の調査では、彼らの75%は何の社会的クラブ、団体にも属さず、82%は何の市民的グループ、団体にも属していなかった。大統領選挙の投票率も、中流層ではほとんど変わっていないのに、新下層階級では、1968年に比べて2008年には約3分の1に減っている、

つまり、過去30-40年の間に、新下層階級の間では、アメリカの市民社会を特色づけてきたる隣人関係や積極的市民活動といった社会資本が大きく崩れてしまった、と言っています。


マレイの著書で使われているデータベースは諸調査の結果で、厳然たる事実を反映したものです。それらが示す労働者階級の生活の荒廃は、それが白人のものであるがゆえに、また同時に他方では新上流階級が出現しているゆえに、一層ショッキングです。最近、米国でウォール街批判や、99%運動が注目されえていますが、この著書は、問題が経済や所得格差だけではないことを明らかにしています。





Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 18:59 | 米国 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
米国社会の分裂 その1 [2012年03月14日(Wed)]
米AEIの政治・社会学者Charles Murrayが、その著書 ”Coming Apart:The State of White America, 1960-2010”の中で、この半世紀間に、米国ではかつてなかった階級が生まれており、米国は人種ではなく、階級によってバラバラになりつつある、と言っています。

すなわち、1960年頃の米国は、成人の8%ぐらいしか大学の学位を持たず、裕福な者も、他人よりやや生活水準が高い程度で、生活スタイルはさほど違っていなかった、

ところがその後何十年かの間に様相は一変し、新上流階級が生まれた。新上流階級は、管理職、医療・法律・エンジニアリング・建築・科学・学術分野の専門家、そしてメディアのコンテンツの制作に携わる者で、25歳以上の成人のうちの最も成功した5%から成る。2010年当時で140万人強、配偶者を入れれば240万人ほどだ、

新上流階級は米国の主流とは異なる文化、生活スタイルを生んだ。外車に乗り、高齢出産の傾向が強く、肥りすぎないよう注意し、ワインを飲み、煙草は飲まず、テレビは見ず、海外旅行・出張・外国人との付き合いなど、普段から外国との接触がある。育児に熱心で、フレックスタイム、斬新なオフィスの配置など、職場革命の中で仕事を楽しむ、

新上流階級の基礎は、頭脳の市場価値が高まったことにある。技術水準が高まり、事業の決定がより複雑となり、会社の規模が大きくなるにつれ、高い認識能力が求められる。新上流階級はIQや認識力の高い者を構成員とする。

また、富が新上流階級の発展を可能にし、その独特の生活スタイルを可能にした。1970年〜2010年の間、中間層の実質所得は増えず、経済成長の利益のほぼすべては所得分布の上位半分が手にした。また、1990年代半ば以降、高額所得層のトップが目覚ましく上昇、そうしたトップ5%に新上流階級のほぼ全員が入る、

新上流階級は仲間で集まる強い傾向があるが、それを可能にするのが、認識力、IQによる大学の階層化であり、その結果、学問的才能は比較的少数の大学に集中するようになった。そしてこうしたエリート化を持続させるのが、優秀な者同士の結婚、同類婚だ、

要するに、新上流階級の文化は豊かさの産物ではない。それは豊かさが可能にしたものなのだ、と言っています。


マレイは、シカゴ大学の全国世論調査センターが毎年行っている米国社会の変化に関する調査をはじめ、多くの調査データを駆使して、「新上流階級」と「新下層階級」を比較分析しています。

マレイによれば、「新上流階級」はIQ、認識力が極めて高いエリートで、裕福であり、米国の主流とは異なった独自の文化を共有しています。彼らと貧困層との間には、単に貧富の差だけではなく、まったく異なる生活文化があるとしており、この点は「新下層階級」の説明でさらに明らかになります。

また、マレイは白人を対象に調査、分析していますが、黒人や他の少数グループを入れてもほとんど変わらないと言っています。果たしてそうなのか疑問も残りますが、この点はのちにさらに取り上げます。




Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 16:46 | 米国 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ミャンマーの投資環境 [2012年03月13日(Tue)]
ファイナンシャル・タイムズ2月20日付けで、米外交問題評議会のJoshua
Kurlantzickが、ビルマが開国したが、条件は悪く、ベトナム経済が開放化された時のような事を期待してミャンマーに入る米国企業は失望するだろう、と言っています。

すなわち、確かに今まで外部の経済から切り離されてきたミャンマーは、西側の商品にとって未開拓の新市場だ。また、未開発の天然資源の宝庫でもある。しかし、第二のベトナムを期待して、ミャンマーに入る投資家は失望するだろう。ミャンマーの実態は、ベトナムではなく、アンゴラに近いからだ、

例えば、@教育を受けた労働者はほんの一握りしかいない、Aミャンマーの北部と北東部の大部分は、強力な反政府少数民族や麻薬取引組織の支配下にあり、不安定であると同時に、インフラが全く欠如している。そのため、輸送コストは一部のアフリカ諸国並みに高くなる可能性があり、腐敗にもつながりかねない、それに、Bケ小平時代の中国と違い、ミャンマーでは経済開発はまだ国の方針として定着しているわけではないので、将来どうなるかわからない、その上、C西側の対ミャンマー制裁に同調しなかったアジア諸国の企業が、既にミャンマーの中で地歩を築いてしまっている、と指摘し、

米国の企業にとってミャンマー進出はチャンスというよりも、難問だろう、と言っています。


確かに、米国の企業にとってはその通りだろうと思われます。元々、ミャンマーは本来、米国が日本に任せて置くべき地域だったと言えるでしょう。そうしていれば、中国の今ほどの進出はあり得ず、社会インフラも経済インフラもある程度整備された社会になっていたはずです。

しかし、ミャンマーの現状は目を覆うばかりのものではありますが、日本の企業はなんとかそれを克服して行くでしょう。今後のミャンマー進出についても、米国は、今からでも日本の役割に目を開き、日本と協力するよう誘導されるべきだと思われます。



Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 16:40 | 東南アジア | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
新興民主国家の台頭 [2012年03月12日(Mon)]
ナショナル・インタレスト誌のウェブサイト2月17日付で、米ブルッキングス研究所のTed PicconeとEmily Alinikoffが、インド、ブラジル、南ア、更にインドネシア、トルコは、民主化や人権尊重で中ロとは一線を画しており、西側に近い、これは世界の民主化、人権の尊重の推進にとって大きな出来事だ、と論じています。

すなわち、先日、安保理は、中ロの拒否権行使のために、アサドの弾圧を非難できなかったが、新興民主主義諸国は非難決議を支持、人権侵害は国際的対応を正当化するとのコンセンサスが出来る中、逆に、中ロが孤立しつつあることが浮き彫りになった。ブラジルも、安保理のメンバーだったら賛成しただろう、

このように、インド、ブラジル、南ア、トルコ、インドネシアは、自らを中ロとは違う民主主義国と考え、人権を重視しており、このことは、国際システムを変えるかもしれない、

勿論、これら新興民主国家は、その歴史的経験から、西側のような軍事介入や国際的干渉には否定的で、建設的関与を重視する。また地域機関がより大きな役割を果たすことを求めている。シリアについても、地域機関であるアラブ連盟が決議案を出したのが重要な決め手になった、

西側諸国に対する歴史に基づく懐疑があり、仲介による妥協や地域的解決への選好があるこれら諸国と協力することは、簡単ではないが、民主主義的行動を重視するこれらの国は、西側の緊密なパートナーたりうる、と述べ、

西側諸国はこれら新興民主主義諸国を取り込み、国連改革にも真剣に取り組むべきだ、と言っています。


この論説はよい点を突いています。実際、BRICSと言われる国の中で、中ロと、ブラジル、インド、南アとでは政治体制上大きな違いがあります。

南アは既にBRICSよりもIBSA(インド、ブラジル、南ア)の一員と称しているようですが、ピッコーネらは、これにインドネシア、トルコを加えたものをIBSATIと称し、大筋においてこれらの国が民主主義志向を持っていると指摘していますが、これはその通りでしょう。

そして、歴史的な対西側不信感があるこれら諸国との関係は、注意深く進める必要があるが、協力を深められれば、民主主義的価値観を広めることが出来ると期待していますが、この期待はかなり実現性があると言えるでしょう。「アラブの春」がどうなるかなど、未確定な要素は多々ありますが、イスラムを尊重する民主主義など、色々な民主主義の変形に寛容に対応することで、これは現実化出来るように思われます。

ここでなされている観察はよく考慮する価値があります。


Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 17:29 | その他 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
トルコとイランの関係冷却化 [2012年03月09日(Fri)]
ニューヨーク・タイムズ2月14日付で米ワシントン近東政策研究所のSoner Cagaptayが、トルコとイランの仲が冷却化しつつあり、かつてのトルコ、イラン両帝国間の競争のような関係に戻りつつある、と言っています。

すなわち、シリアの民衆蜂起によって、それまで良好な関係にあったトルコとイランは、中東の政治的ベクトルの正反対の極に置かれることになった。民主主義の伝統があるトルコは革命を支持して反政府派に味方し、権威主義のイランはアサド政権の擁護を止めず、アサドの残虐な市民弾圧を支持、そのため、シリア国内の抗争は、トルコとイラン間の代理戦争の様相も呈してきた。勝者はどちらか一方しかなく、今やあらゆることが両国の争いの種になっている、

例えば、今やトルコはシリアの反政府勢力を支援し、匿い、武器も与えていると言われている。それに対し、イランはトルコ政府と対立するクルド勢力PKKへのてこ入れを再開している、

また、両国はもともとイラクでは、イランはシーア派のマリキを、トルコは世俗派のアラウィを支持するというように、対立する陣営を支持してきたが、シリアをめぐる抗争がイラクを巡る争いにも波及、この争いはマリキが選挙を経て政権を樹立して、イランが勝利を収めている、

しかし、イランにとってNATOに軸足を置いたトルコは、10年前の単なる親欧米のトルコよりもはるかに大きな脅威であり、イランは、トルコがNATOのミサイル防衛に協力すれば、攻撃すると脅しをかけている、

このように歴史的背景をもつイランとトルコの対立は、この地域の最古のパワーゲームという「パンドラの箱」を開けてしまった、と言っています。


これは単なる解説記事であり、政策提言はありません。しかし、アサド政権による弾圧で収拾されると予想されたシリア情勢が悪化するにつれて、今まで注目されていなかった様々な要素が表面に出て来るようになりました。
 
かつては、シリアのアサド政権が倒れると、米国にとっても、イスラエルにとっても「予想し難い」事態が出現すると考えられて、そこで判断停止になっていましたが、まだ先行きの見通しは不明ながら、事態の進展につれて色々な可能性が浮上して来ました。

一つ考えられているのは、多数派であるスンニー派によるシリア支配ですが、それが、従来のモスレム同胞団のような反米、反イスラエルではない、穏健スンニー派政権となることが期待されており、そのためにトルコとサウジアラビアの役割が期待されています。
 
勿論、これは米国にとって最善のシナリオですが、そうなると、イランはシリアという拠点を失い、特にレバノンのヒズボラは孤立化して存続できるかどうかの死活問題となって来るので、あらゆる方法でそれを阻止しようとするでしょう。

最悪のシナリオは、シリアで反米・反イスラエル主義が勝ち、それがエジプトの政治にも影響して、エジプト・イスラエル平和協定を中心とする中東の安定を脅かすことです。そうなれば、イランも巻き込んだ第五次中東戦争の危険も出て来ます。

米国の識者はこの最悪のシナリオを怖れて、現状維持を期待していたようですが、最近の情勢はそれを許すかどうか分からなくなって来ています。そうなれば、米国としても、最悪の場合の代案を求めてトルコやサウジの協力を求めざるを得ないでしょう。


Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 17:38 | 中東 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
強国としてのドイツと中国 [2012年03月08日(Thu)]
仏ル・モンド紙2月14日付で、同紙論説主幹のSylvie Kauffmannが、ユーロ危機や現在の国際情勢下でドイツと中国の地位が向上していることを指摘しています。

ドイツは、EUの外では尊敬され、評価されているが、EU内では、ユーロ危機の中、ドイツが欧州のリーダーとして台頭すればするほど嫌われる。ドイツ台頭の理由は、人口や経済規模だけでなく、ドイツが他国より上手く自国経済を運営してきたからだ。そうした中、経済危機が深刻になり、他国が頼りにならないため、ドイツは否応なくリーダーの役割を担うようになってきた。メルケル首相が訪中し、欧州への投資を求めた時の姿は、正にEUのリーダーとしてのものだった。また、ダボス会議でメルケルが欧州の「政治統一」を提唱した時も、ドイツからの提案だったからこそ注目を集めた。何よりも昨年11月、ポーランド外相がEU議長役を退く際、「私が恐れるのは、強いドイツではなく、何もしないドイツだ」と述べたのには驚かされる、

これこそがドイツのジレンマだ。行動しても揶揄されるが、何もしなければ非難される。しかし、今のドイツには謙虚さと共に自信も窺える。それは、ドイツ軍のアフガン撤退に際しての「アフガン駐留NATO軍に参加したことで、ドイツ連邦軍とドイツ国家は大きな変貌を遂げた・・・我々は、同盟国からも尊敬される真の軍隊になった」、というドイツ国防相の言葉にも表れている、

ドイツが欧州の支払いを肩代わりする中、独メディアも黙っていない。「ドイツは、1945年以来決して望んではならなかった地位に今就いている。それは、欧州の真ん中で支配的地位を占めるということだ。しかし、我々は確固たる態度を取ることと、傲慢であることを混同してはならない。我々の力は本物であり、脅威にもなるからだ」

一方、新たな世界情勢の中で中国の地位も向上した。ドイツ同様、中国もその経済力によって思っていた以上に政治的、外交的地位を高め、予想以上の多大な責任を担うことになった。リビアでは、3万5千人の中国人労働者を退避させなければならなくなり、スーダンでは、中国人の人質解放に向けて交渉しなければならなかった。中国は自らの経済成長を支えるために、世界中で資源やエネルギーを求め続けなければならないのだ。しかし、中国の空母建設や軍事予算の増大、そして独裁制度の維持は、近隣諸国の脅威になっている。中国には、その地位に応じた責任ある態度が求められているが、中国が行動すると、周囲は怯える。なぜなら、中国が描く世界が我々にはわからないからだ、と述べ、

ドイツは自らの強みを活かしたいだけなのか、それとも、統一欧州のリーダーとして行動したいのか。中国は超大国の地位が欲しいのか、それとも、多極化の中で責任ある一員となりたいのか。中国も、ドイツも、迷っているようだ、と指摘しています。


かつては、日独両国が世界経済の牽引役と言われましたが、今やその地位を占めるのはドイツと中国です。1990年のドイツ統一とその後のEU拡大、そして、ケ小平が推進してきた「改革・開放」の成功から、将来、「東の中国、西のドイツ」と言われる時代が到来することは、既に1990年代に予感されましたが、それが現実になったことを明確に示したのがこの論説です。
 
ドイツも中国も、近隣諸国には嫌われながらも、その経済力と軍事力を背景に国力を強化してきた結果、現在、両国共、自分が思っていた以上の国際的地位を獲得し、それに自信を持っています。

論説の大部分はドイツに関する記述ですが、中国に関してリビアやスーダンに触れているのが、フランス人らしいところです。アフリカ大陸にまで大勢の中国人が進出していることへの驚きと警戒心の表れでしょう。

また、ドイツが経済力のみならず軍事力にも自信を取り戻したことに、日本との大きな相違を感じます。ドイツは独立後、憲法を制定し、それを何回も改正してきた歴史があります。また、徴兵制度があり、武器の共同開発・生産も早くから推進するなど、同じ敗戦国ながら、日本との違いに驚かされます。日本も、遅まきながら、国力回復のために一つ一つ具体的政策を実行していくことが肝要でしょう。



Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 15:04 | 欧州 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
中国の二面性を理解せよ [2012年03月07日(Wed)]
Foreign Policy2月14日付で、Jeffrey Bader元米国家安全保障会議アジア上級部長が、習近平の訪米の機会をとらえて米国の対中認識について論じています。

すなわち、中国について、米国には、地域支配、さらには、世界的支配のビジョンを持つ独裁的指導者の下で台頭する国という見方がある。つまり、軍にとっては敵、企業や労働組合にとっては保護主義と減税を求める理由、タカ派にとっては脅威、人権派にとっては問題の国、そして米衰退論者にとっては早めに適合すべき超大国というわけだ、

確かにここ40年の中国の成長は目覚ましく、間もなく世界最大の経済大国になるだろう。軍事力も伸びており、外交面でも、イラン、北朝鮮、シリアに関する米国の努力の成否に影響を与える存在になっている、

しかし中国の現実は、GDPの成長や軍事費の増大が示唆するよりもはるかに複雑だ。一人当たり所得は米国の10分の1、世界的なブランド企業はほんの一握りで、多くの企業は国内向けか、外国ブランドの下請だ。研究開発面ではイノベーションは少なく、所得格差は大きい。水不足を含め環境面でも大きな問題を抱えている。輸出主導・外国直接投資導入・共産党とコネを持つ国営企業支配という経済モデルは限界に来ており、抜本的な改革を必要としている、

一方、国民は権力の乱用や、統治への参加を許さない政治システムに不満を高めている。チベットの統治も上手く行っていない、

習近平が統治する中国はこのように複雑であることを、米国民は念頭に置くべきだ。中国は競争相手だが、同時に大きな問題を抱えている国でもある。習近平が改革に乗り出す場合は、その成功が米国の利益になる。中国やその指導部を非難しても、中国の路線は変わらないし、中国がその民族的運命を達成することを阻止はできず、かえって中国は米国をパートナーではなく敵対者と見るようになってしまう、

中国は改革へのコミットメントを再確認すべきだが、米国も手っとり早い勝利を追い求めるべきではない。これは習近平を米不信にしてしまうだろう。それよりも、米国は、米中双方にとって脅威でない国際環境醸成のために協力すべきだ。貿易と投資等については成長に役立つ枠組みを作るのがよい。また、アジア回帰に伴う米国のプレゼンス強化は、中国の平和的台頭を阻止するのではなく、容易にするということを中国に伝えるべきだ、と言っています。


この論説は、中国は目覚ましく成長しているが、大きな問題を抱えた国でもあると指摘した上で、中国指導部を非難しても益はないので、習近平の訪米に際しても、米中が共同して米中関係を良い方向にもっていくために努力する姿勢を示すべきだと言っています。

しかし、これ自体は良いのですが、それだけにとどまるのは中国に対して甘いのではないかと思われます。中国に対しては、こちらの立場から見て不都合なことははっきりと言うべきで、従ってベーダーの言うようなやり方がよいとは思われません。要するに、非難することを避けるのではなく、非難すべきことは非難したらよいのであり、実際、それが効果を発揮する場合もあります。例えば、南シナ海での中国の対応を、ASEANの場でクリントン国務長官が非難してから、中国も少し低姿勢になってきています。

中国の政策については、力関係を重視する共産党が決めていること、彼らの発想の中で善意というものはあまり大きな場所を占めていないことなどをもっと考慮すべきでしょう。その意味でベーダーの論旨は少し深みに欠けるように思われます。


Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 17:08 | 中国・台湾 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
シリア問題に対するトルコの責任 [2012年03月06日(Tue)]
Project Syndicate 2月13日付けで、Anne-Marie Slaughter前国務省政策企画部長(現プリンストン大学教授)が、シリア問題にどう対応するかでトルコが本当に大国であるのか否かが分かる、トルコはシリア問題の解決により一層の役割を果たすべきだ、と論じています。

すなわち、エルドアン首相の下で存在感を高めてきたトルコは、今シリア問題で試されている。トルコは3か月前、シリア国境に緩衝地帯を設けることを提案、11月にはアサドの退陣を求めた。しかし監視団派遣や政治移行案を提起したのはアラブ連盟であり、これらが中ロの拒否権によって頓挫した後、トルコは早期の国際会議の開催を呼びかけただけだ、

確かにトルコがシリアに軍を派遣するのは色々問題がある。しかし、トルコは、国際社会が虐殺阻止に真剣であることを示すのに最善の位置にある。例えば、トルコは自由シリア軍に武器等を援助し、シリアの北西国境地帯に安全地帯を設けることができる。シリア政府軍が特定地域に侵入できないよう自由シリア軍を支援することもできる、

ここには大きな教訓がある。強国であることは単に国の大きさ、戦略的位置、強い経済力、巧みな外交、軍事能力から来るのではなく、行動する意思を必要とする。本当の指導力は不人気な決定を行い実施する勇気だ、

米国はイラクなどでは安易に力に頼り過ぎたかもしれない。しかしコソボ、ボスニアへの介入、またシエラレオネへの1999年の英の介入、昨年の象牙海岸での仏の介入はそれぞれ成果を収めており、豪州の東チモール介入やブラジルのハイチ介入も成果があった、

勿論、シリアはハイチよりずっと危険な任務だが、もしパラグアイやウルグアイで虐殺があれば、世界はブラジルに期待するだろう。強国たらんとする国は、それに伴う負担も引き受けなければならない。つまり話すだけではなく、行動する用意がなければならない、と言っています。


この論説はシリアでの虐殺を阻止するためにトルコがもっと役割を果たすべきことを論じたものです。具体的には、トルコ国境地帯に安全地帯を作るべきだということですが、安保理が中ロの拒否権によってお墨付きを出せない中、トルコに単独介入を要求するのは無理があります。安全地帯はシリア政府軍の攻撃対象になり、安全確保のために、トルコはシリア領内深くまで攻撃することが必要になるかもしれません。従って、アラブ連盟や関係諸国が有志連合としてトルコに協力する姿勢を明確にすることが必要です。その意味で早急に関係諸国会議を開くというトルコの提案は有益です。

ただ、シリア情勢にトルコがどう対応するかが、トルコが地域の強国の地位を獲得できるかどうかの試金石になる、という論説の指摘は的を射ています。

強国の地位は、単に大きいとか、強い経済力や軍事力や外交力から来るのではなく、行動する意思から来るというのはその通りであり、日本にもそのままあてはまります。戦後の日本は国家意思があるのかないのか判然とせず、危険を引き受けて行動する意思もありませんでした。こういう国は強国ではなく、自らの国益を守ることもできません。そのことに日本人は早く気づくべきでしょう。


Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 17:31 | 中東 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
シリア情勢が中東各国の派閥抗争に及ぼす影響 [2012年03月05日(Mon)]
ワシントン・ポスト2月3日付でコラムニストのJackson Diehlが、シリア情勢の成り行きは、イラン対トルコを中心とする中東各国のスンニー派とシーア派の派閥抗争と深刻な関連がある、と解説しています。

すなわち、シリアには様々な大きな問題がかかっている。先ず、スンニー派の湾岸諸国は、アサド政権に対して強硬な態度を取っているが、本当の狙いはシーア派のイランであり、そうした湾岸諸国が頼りにしているのは、米国よりもトルコだ。そのイランにとり、中東でパワーを維持するには、シーア派から派生したアラウィ派が支配するアサド政権が健在でなければならない。イラクのマリキ首相も、アサド政権が崩壊してイラク国内のスンニー派が勇気づけられるのを心配している、

他方、将来の地域の覇者とされるイスラエルやトルコにとって問題は、アサドがなかなか倒れそうにないことだ。何個ものアラウィ派主導エリート師団と大量の戦車、大砲を擁するアサドは、何ヶ月も、さらに、イランやロシアからの支援が続けば、何年も持ちこたえられるかもしれない。隣国レバノンの内戦は14年も続いたことを忘れてはならない、

しかし、イラクから撤退した米国はこの地域で影響力をほとんど失っており、従って、国連安保理では制御できない事態が生じるかもしれない、と言っています。


シリア情勢が中東各国に及ぼす影響を解説記事的に紹介しているもので、特に新しい分析や政策提言はありません。

しかし、アラウィ派がしっかりと把握している軍、治安機関、行政機関が揺らいでいる兆候がないことから、アサド政権は国内の治安を回復して生き延びるのではないかと思われます。

他方、アサド政権が倒れた場合の中東の先行きは見えません。エジプトでは宗教政党が多数を占め、イスラエル・エジプト平和条約に基づく現国際体制が維持されるのかどうか分からない状況であり、イスラエルによるイラン攻撃も迫っています。その中で、アサド政権が倒れ、シリアに、モスレム同胞団を中心とするものも含めて、いかなる政権が誕生するかわからないという状況が生じることは、中東情勢の見通しをいっそう困難にします。

ただ、もしアサド政権が崩壊しそうな状況となれば、直ちに、エジプトとイスラエルの動向を中心に、従来の判断を新たに見直さなければならないでしょう。
Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 16:46 | 中東 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
なぜ中国は民主化するか [2012年03月02日(Fri)]
中国の精華大学リュー準教授らが、経済、政治文化、政治指導部、グローバルな変化の4要因を挙げて、中国がやがて民主化に向かう「蓋然性は極めて高い」と明快に論じています。

すなわち、@経済的発展:経済発展の中段階の国々は民主化しやすい。例えば、民主化に乗り出した1988年当時の韓国や台湾、1989年当時のロシアやハンガリーの一人当たり購買力平価は、今日の中国のそれに極めて近い。また、若年層が高水準の社会福祉を期待するようになっているのに、世銀によれば、中国のジニ係数(貧富の格差を示す)は、2010年に世界で最も高い0.48に達している。以前は、経済発展に伴うある程度やむを得ない現象と見られていた貧富の格差に対し、今では多くの中国人が汚職や不公平なシステムの産物として怒りを抱くようになっている。大学を出ても職がなく、家賃が高い都市ではまともな家に住めない若者が大挙して現れており、将来の政治的動員予備軍が大量に創り出されている、

A政治文化の変化:中国で増えている「集団的抗議活動は」は、ほとんどの場合、地域の具体的な経済的要求に限られており、一般大衆は政治に無関心だ。そうした中で民主化にとって大きな意味を持つのは知識人、学生、中間層だが、インターネットはそうした人々に革命的ともいえる変化をもたらしつつある。ネットを介して率直に話す人々がどんどん増えており、当局もこれを完全に封じ込めることは出来ない。民主主義の実現には時間を要するだろうが、ネット使用者が権威的体制から離れていくのは避けがたい、

B政治指導部:今日、中国のイデオロギーは混乱しており、指導部も決して一枚岩ではない。将来、ある一定の条件下で、指導部が複数の派やグループに分裂し、その過程で民主化という思わぬ方向に進むこともあり得る。過去20年、中国政治は個々の指導者が大きな権力を握らない方向に進んできており、新指導部も弱いものになりそうだ。また、国民レベルで政治の民主化を求める声も強くなっている。これらを考えると、野心家が指導部に挑戦することや、国民の支持を得ようとする論争が新たな権力闘争に結びつくこともあり得る。いずれにしても、指導部はやがて国民の要望に向き合わざるを得なくなるだろう、

C外部からの影響:中国政府は外部からの影響や干渉を拒否する方針をとっているが、「アラブの春」が中東諸国に伝染した例や、民主化に動き出したミャンマーの例を見ても、外部からの影響は軽視できない。また、中国が対外的に開かれ、政治・経済の透明度が高くなっていく中で、専制政治を続けるよりも民主化した方が中国にとって利益になるような事態が生じることも考えられる、と指摘し、

以上の4点から見て、そう遠くない将来、中国における民主化へのモメンタムは強まっていくだろう。既得権益者たちが現在の利益にしがみつくので、民主化への道は容易ではないが、中国は2020年頃には民主化に乗り出すと自分たちは予測している。はっきり言えるのは、根本的な政治の変容はすでに始まっているということだ、と言っています。


この論説は、一つ一つをとってみれば、特に目新しいものではありませんが、中国人研究者が中国の民主化の将来像を語るのは珍しく、そうした角度から見れば、新たな意味を持って来るでしょう。書ける範囲内で書いたものと思われますが、全体として説得力のある議論となっています。

特に、指導部内で対立が生じるような事態になれば、それが、国民レベルの民主化への願望とあいまって、今日の政治体制を大きく変えていく原動力になるかもしれない、という指摘は鋭いものがあります。

なお、民主化へのスケジュールについては、「あまり遠くない将来」ないし「2020年頃」という漠然とした表現になっているのは、彼らの置かれた立場を考えると、やむを得ないものでしょう。



Posted by NPO法人 岡崎研究所 at 16:28 | 中国・台湾 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)