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NPO法人 おかえりblog

里親家庭や児童養護施設等を巣立った人たちの自立支援を目的とした団体です。


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『おやじのせなか』(朝日新聞、5月23日掲載より引用) [2013年05月27日(Mon)]
こんにちは(^v^)


先日、理事の一人が、「草間さんの記事が掲載されていたよ」と新聞の切り抜きを届けてくれました。


5月23日付の朝日新聞に掲載された「おやじのせなか」。
皆さま、ご覧になりましたか?


茨城県高萩市長の草間 吉夫さん。
「おかえり」が、第1回目の講演会を開催した際に、記念講演としてご登壇いただいたときからのご縁です。






*****(以下、朝日新聞『おやじのせなか』(33面)5月23日掲載 より引用させていただきます。)


「目が似ている」母は言った

 私は父を知りません。非嫡出子として生まれたからです。
 母は父との関係がきっかけで精神のバランスを崩し、長期入院していました。私は生後3日で乳児院に預けられ、18歳まで児童養護施設で育ちました。
 初めて母に会ったのは中学2年生のとき。施設の担当職員が、母の病院まで車で連れて行ってくれたんです。衝撃的でした。入り口の鉄の扉には南京錠。病室にいた母は表情が乏しく、息苦しい沈黙が続きました。いつもは私をほめない担当職員が「草間君は字がうまくて、クラスで一番なんです」と必死で取り繕ってくれて。
 では、父はどんな人なのか。気になって、大学生のころに病院を訪ね、母にこう聞きました。「僕はだれに似ているの?」。すると、母は「目が父親に似ている」って。母の口から父のことが出たのは、意外でした。でも、それ以上はとても聞けませんでした。
 父の名を知ったのは、母ががんで亡くなったときです。市役所のケースワーカーから初めて知らされました。家庭を持っていること、そして同じ茨城県内に住んでいることも。当時私は25歳でした。
 父に会いたいという思いに駆られた時期もありますが行動には出られなかった。怖かったのかもしれません。それに、私には「おやじ」がいっぱいいました。一緒に遊び、ときには厳しく叱ってくれた施設の先生、小中学生のころ、里親として私を家で預かってくれた当時の高萩市長……。血縁に恵まれなかった私ですが、人の縁には本当に恵まれたと思っています。
 その後、私は高萩市長になったので、今生きていらっしゃれば、おそらく生きていると思いますが、報道を通して息子だと分かってくれているんじゃないでしょうか。もし、向こうから「会いたい」と言われることがあったら、すごく緊張しながら会うと思います。
 父にはまじめで誠実な人であってほしい。今の私の仕事や信条を理解してくれる人であってほしい。そう願っています。
(聞き手・杉山麻里子)


くさま・よしお 茨城県高萩市の児童養護施設で18歳まで育つ。東北福祉大学大学院修了。児童養護施設に5年間勤めた後、松下政経塾に入塾し、2006年3月から高萩市長。現在2期目。3児の父。46歳。




*****





拝見し、感じるものがありました。



あたたかく、柔らかく、力強く・・・心から尊敬し、草間さんとのご縁をとてもとても感謝しています。


私も、そして「おかえり」も、一歩一歩「今、できることを精一杯」努めていきたいです。




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