• もっと見る

街がシアター 街がミュージアム

ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
大人がいきいき、楽しく遊べる街が好き。
思ったことを自分らしくそんなブログです。


プロフィール

おいちゃんさんの画像
おいちゃん
プロフィール
ブログ
<< 2008年09月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
最新コメント
高松宮記念 2011
ワックス清掃 (03/19) クロ
盛岡を離れます (12/10) やま
盛岡を離れます (12/10) やま
老舗の居酒屋 (12/09) ほうかごゆうこ
佐賀に来てます (10/17) はなみずき
山の中のお月見 (09/23) チャビン
増殖中! (08/27) チャビン
『僕僕先生』 仁木英之(新潮文庫) (06/24) jin
伊勢海老! (02/23) ナニワ生まれの西都人
日本の古典文学 (02/23)
リンク集
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新トラックバック
https://blog.canpan.info/oichan/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/oichan/index2_0.xml
Google

Web全体
このブログの中
北陵地区で正直思ったこと [2008年09月17日(Wed)]
 その昔、1500年前、大和の都から、たくさんの土木技師が古墳建築の設計図を携えて、こちら西の都、西都市にやってきた。
西都原に300余りの古墳を作った。
そのうち、前方後円墳も30余り。
女狭穂塚は、前方後円墳で九州で一番大きい。
男狭穂塚は、帆立貝式古墳で日本で一番大きい

話を元に戻そう。
この西都原の北約10キロに、北陵と言う桃源郷あり。由緒あるところ。
多分、コノハナサクヤ姫とニニギノミコト夫婦の別荘地があったんじゃないかな。あまり信用しないで、○○の作り話。
ニニギノミコトは、天照大神の孫。神武天皇の曾祖父。
そうです。奈良より歴史が古い。(抜粋)


 ふるさとの西都大好き「てつおじちゃん」」のお手紙を無断借用(ごめんなさい)。このおじちゃんは「水の人」、定年退職を契機に故郷西都にUターン。自分を育ててくれた故郷への恩返しといろんなところで活動をしています。上記の文章にも西都への愛情がにじみでてます。この「てつおじちゃん」に誘われてスタッフ2人とお月見に行ったのが前回の話。

 この北陵という地域、公民館に向かう道沿いにも人家はまばらだった。当日は雨だったが、雨の切れ間に朧月が見え、まさに幽玄の世界。平成17年度の国勢調査を見ると人口56人(26世帯)である。
 でも小生が驚いたのは景色ではない。まず携帯電話が通じること。山間(やまあい)の小さな小さな集落である。携帯電話はまさにライフラインなんだと実感。


 二つ目(これが本題なのだが)が公民館の立派さだった。多分地域の方が費用も相当額負担されたんじゃないかと想像するのだが、柱や梁も大きくある種地域の豊かさを感じた(町中の行政がつくる建物とは貫禄が違う)。

 でも正直疑問が・・・。これ程立派な公民館が“今”この地域に必要なの?この建物は普段何に使われてるのだろう?稼働率(公民館の使用頻度)ってどのくらいなんだろう?これも箱物行政の遺産???

 確かに小生、お月見で豊かな時間を過ごさせていただいた。その満足度に建物の果たした役割は大きい。地域に集う「場」が必要であることは十分承知しているのだが、上記の疑問は大きかった。もっと言えば現実問題、あと何十年この建物を使える(活用する)と考えているのだろう?

 集落の高齢化率はあげる必要も無いだろうし、人口の推移も想像できる。

 ではせっかくの「場」をどのように今後活用していくのが大きな課題だろう。活用しだいによって人口が増加すると思うほど脳天気ではないが、それによって地域の人たちの心のよりどころを提供する「場」には成りえるのだろうと思う。「場」の活用としてと地域の交流のありかたなど考えさせられた一夜だった。
| 次へ