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ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
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この変さ!!加減がいい [2008年03月25日(Tue)]
 MAMAで例年恒例の花見をやろうというメールが回ってきた。

 3月の年度末、はっきり言って糞忙しい(失礼!!)この時期に何を能天気なことを考えているんだ!!と怒ろうと思っていると、張本人の社長からこれも〔俺、なぁ〜んも考えてないもんね〜〕的な声で「今花が満開なんだわぁ〜、今せんと散るとよねぇ〜。食い物は化膿姉妹がやるって言いよるから任せてよね、俺は鯛の塩釜を準備するわ」と電話が入った。


以前やったパーティーで行なった、塩釜が評判だったので味をしめたらしい。

 夜には仁さんからメールが来た。以下紹介する。ご本人はダッカにいるらしい。

 jin desu.
ohanami no annai wo
dhaka no hotel de yomimassita.
dhaka karaha sukoshi tooinode,
watashi ha kareraice de gamanshimasu.
minasan he yoroshiku otutaekudasai 


 このアホさ加減がすごくいい。特にwatashi ha kareraice de gamanshimasu  というところが仁さんらしい。

黄門ちゃまは文字化けだと思い、折角の遊び心を無視したらしい。

PS.周囲の遊びに乗り遅れまいとしたのか黄門ちゃまは下記の翻訳を添付してメールを回してきた。

翻訳(黄門)

仁です。
お花見の案内を
ダッカ 《バングラデシュの首都》のホテルで読みました。
ダッカからは少し遠いので、
私はカレーライスで我慢します。
皆さんへよろしくお伝えください。


バカだねぇ〜
協働、ボタンの掛け違い [2008年03月25日(Tue)]
 宮崎のブロガー間で、NPO関係者と行政職員の間でボタンの掛け違いからくる思いの空回りが起こっている記事がアップされています。
 
 協働を推進する上で非常に大切な事だろうと思うので、他人の記事を拝借するようで申し訳ありませんが考えを書きます。

 まず、前提になるのは書き手の双方が「地域が良くあって欲しい、その手法として協働という取り組みに前向きに取り組もう」と思い、行動もしているという事です。 

 違いは一方がNPO関係者で一方が行政職員という立場の違いがあるだけです。

 日南市の協働推進には僕自身が深く関わっていますが、日南市の取り組みは正直に言って始まったばかりです。双方とも実情をわかった上で互いに日南市の取り組みにエールを送っていますが、ここにボタンのかけ違いが起こっているように思います。

 共通の目的のために違うセクターの人間が互いに平等の関係でパートナーシップを組んで行動をすると思っていたのに、何故急に上から見下ろすような発言をするのか?という憤りをコガチャンの文面から感じます。でも多分せとぽんは単に行政職員として行政がうまく側面援助していきましょうと書いただけだと思います。 

 こがちゃんは「今まで立場に関係なく一緒にやろうと言っていたのに何故急に行政の立場なの?」という違和感を感じ、それを〔上からの主導〕と解釈したのではないでしょうか。このような思いはNPO関係者の多くが1度は持った事がある思いでしょう。僕自身も何度も味わってますし、裏切られたと感じた事も度々あります。

 対して、せとぽんは自分の思いが通じてないと感じているようです。それは松岡外相の例(この例自体は不適切だと思いますが)を解釈すれば「自分は体制の中で反対意見なども多いのにそれなりに頑張ってきたのに、受け入れられなかった」という忸怩たる思いなのでしょう。

 僕には共同体幻想と言うか、互いに相手が自分と同じ立ち位置で同じ思いを共有としていると思っているように思います。確かに互いに目的と手法は共有しているでしょうが、互いの立ち位置が違うという前提が共有できていなかったのではないだろうかと思います。同じように当事者意識も違います。目的を共有する当事者なのか、目的を遂行する立場としての当事者なのかで、見方が違ってくるでしょう。
そこで、被害者意識も出てくるのではないでしょうか?

 〔良い事を行なう〕という目的は基本的に善行ですし、そのパートナーとの連携が深まれば深まるほど相手を慮(おもんばかる)る態度が肝要だと思います。立脚点や立ち位置をずらさないという配慮が必要だと思いますし、基本部分をきちんと押さえることが出発点だと思います。
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