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ワクワク・ドキドキする感動を街の中でいっぱいしたい。
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『ブコウスキーの酔いどれ紀行』河出文庫 A [2007年07月11日(Wed)]
チャールズ・ブコウスキーの小説は、作家の等身大の分身チナスキーが主人公の作品が多いらしいが、この紀行はブコウスキー本人の素顔が随所に現れている。無論オーバーな表現やユーモアがいたるところに散りばめられているが、作家本人の体臭まで匂ってくる。

 酒と女とギャンブルにしか興味のない男が何で小説や詩を書くのか?

 「私は取り残されたものについて書いている」と書いている。また、「私の感情はといえば、不具者や責め苦に苛まれた者、呪われた者や堕落した者に歩み寄る。それは同情などからではなく、同胞意識からだ。」とも書く。ブコウスキーは決して崇高な芸術を創造しようなどとは思わず、自分の仲間、取り残された者や物についてただ書くだけである。

 「作品は人生でないのと同様、不滅でもない − ただちょっとした賭けなのだ。」

同胞であるからこそ作家は距離を置いている。当然その距離は自分にも自分の作品にも向けられている。
 だからこそ聴衆に作品が理解されたと感じたときに彼は狼狽する。自分の事を初めて会う他人に理解されたと感じたときに、まるで裸にでもされたかのような恥ずかしさを感じたのだろう。「聴衆が理解してくれたというのは、まったくはじめての体験だった。おかげですっかり酔いがさめてしまい、それでもっと飲まなければならなくなってしまった。」と告白する。そこに無垢の魂がある。

 年寄りの男たちがたむろするパブで「わたしは年を取ったドイツの男たちが気に入っていた。彼らはめいめい別のテーブルについて、お互いに口をきいたりしない。みんな赤ら顔をしていたが,わたしは彼らが、それぞれの人生の歳月に思いを馳せているのがよくわかった。歴史のこと、過去や現在について、死を待ち受けているだけだが、とりたてて急いでいる様子もない。思いを馳せることは、まだまだいっぱいあるのだ。」と淡々と描写する。

自分も、またこのドイツの老人たちも必ず迎える死については「次から次へと続くひどい冗談の最後の一つ」と突き放す。

 繊細で強靭、小心で傲慢、汚辱に満ちて無垢な精神がそこにある。是非一読して欲しい本である。
宮崎県庁が夜の闇に浮かんだ [2007年07月11日(Wed)]

 宮崎県庁本館庁舎は築75年。石造りのきれいな建物である。いかにも「県庁!!」と、自己主張している偉い建物である。

その県庁本館がライトアップされ、幻想的な姿を浮かび上がらせた。

 観光客誘致の目玉としようという目論見であるそうだ。合わせて県庁中庭には「県庁カフェテラス」がオープン(雨天時はお休み)する予定だそうだ。梅雨の晴れ間に覗いてみたい。
 庁舎内で仕事をする県庁職員を窓越しに眺めるのは一興(あまりいい趣味とは思わないが)かもしれない。

 本館庁舎のライトアップは毎週金、土曜の夜に計画され、週末を中心に照らし出す予定だそうだ。

 ただ、観光客相手というよりも県民への憩いの場の提供という意味合いもあるのかなと思う。それはそれでよいのだろう。
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