すてきなプレゼント
[2006年09月16日(Sat)]
宮崎ジュニア・オーケストラ“みやざき・若人の風”コンサートに行って来た。
一番小さい子は少学3年生で小学生が5名。高校3年生の8名がジュニオケでのラストコンサート(来年以降も客演はあるだろうが)になるのだろう。小学生のバイオリニストが譜面から目をそらさず一生懸命弾いている姿が特に可愛かった。
「セビリアの理髪師」序曲に始まり、ピアノ協奏曲をはさみモーツァルトの「ジュピター」、エルガー「威風堂々」。アンコールが「鉄腕アトム」という気持ちの良いプログラムだった。以前、中学生全国合唱コンクールの本選に行って、その演奏曲の選択のあまりのひどさ(絶対に中学生では詩の意味が理解できないと思われる曲が並び)に唖然としたことがあるのだが、難曲がならんではいるが好感の持てる演奏に仕上がっていた。
アンコールの後、オケをまとめた高3生に花束の贈呈があったが、皆照れたような表情と大きな仕事をやり終えた清清しい達成感を感じることができて、いい時間を共有できたなぁと満足して会場を後にした。
ほぼ1ヶ月前に今回のコンサートのチケットが届けられた。
丁度1年位前に17歳の女子高生からアンケートのメールが届き、それに答えたのが縁で今日のコンサートに招待されたのだが、その彼女もラストコンサート。明日からは本格的な受験生生活が始まるが、曲を皆で作り上げるという貴重な体験は大きな財産になるだろう。来春の笑顔が待ち遠おしい。ありがとう。
17歳からのアンケート
夜分遅くにすみません。○○と申します。 今日は、インタビューを受けてくださり本当にありがとうございます。今回は国語の授業の 一環で 「17歳の頃」というものをしています。今、自分が一番関心のある人に17歳のころの話を聞き、逆に自分自身を振り返る貴重な、 そして新鮮な体験をしよう…
(少し長いですが)インタビューをしたいと思います。
@17歳のころ(あまり記憶がなければ高校生時代でかまいません)どんな学生
でしたか? 何か部活やサークル等(生徒会)に参加していましたか?
そのときの学校の雰囲気やクラスでの自分(例えばムードメーカーだった…と
か)など教えられる範囲でよいので聞かせてください。
志望高校を落ちて、受験しなおそうと思っていた為、学校の勉強は全然せず(一度も家で勉強しなかった)小説ばかり読んでいた。その為当然成績が下がり、特別クラスから普通クラスに落とされ、ますます勉強しなかった。
物理の先生の「わからん奴はぐだぐだ喋ってると授業の邪魔になるので寝てろ!」という口癖に反発(僕に言ったのではない。ただ、そういう態度が気に食わなかった)し、一番前の席で1ケ月ずっと寝てた。(規律!例!着席! 「寝てろ!」 グゥ〜 起立! ありがとうございました 着席!
5月になって「寝てろ」とは言わなくなった。
落ちこぼれクラスに対する見下した態度には徹底して逆らった。
倫理社会の先生から「君は白紙で出しても100点あげる」と冗談を言われた。ただし、本当にやりそうな事に気付いた彼はあわてて撤回した。(わざと設問から外れた回答を書いたら、「今度からやらないで下さいね。」と言って100点くれた。
新聞部の部長さん。新聞のコラムにBEATLES礼賛の記事を書き、浮ついていると副校長に呼び出され、職員室で大喧嘩(教育者のくせに若者の気持ちを理解しようという気がない。固定観念だけで音楽や文化を語ろうとしている・・・)した。若手の先生からは絶賛された。
多分人生で一年だけもてた年だった。
3月にクラスの気が良い女の子(彼女ではない)と一緒に歩いて帰りながら、ふざけあって腕を組んだりしてじゃれあってた。(もちろん真っ暗)上記の副校長に見つかり怒鳴りつけられたが、「車の往来の邪魔だから一列で歩け!」と言って追い越して行った。我が校では停学要件であった。思えば良い先生だったのだろう。
Aその頃、将来の夢はありましたか?
あれば… その夢に向かって何か行動をおこしていましたか?
詩人になりたかった。本に投稿して、活字になった。
原民喜や谷川俊太郎、金子光晴、堀口大学などの詩や散文を筆写したりした。
ただし、ランボーの「酔いどれ船」をすでに読んでいて、自分には詩人としての才能がないことも自覚しており、小説家にはなれるかなと思っていた。(この人たちの詩や散文は高校時代に1度読んで下さい)
Bその頃、夢中になれる趣味やものはありましたか?
できれば、どういうきっかけでそれに興味を持ったのか教えてください。
文学、ROCK、JAZZ、FOLK
体がふるえた。(これでわからければ、自分をみつめなおすべし!)
Cその頃、両親と対立(喧嘩)したことはありますか?
または、両親に助けられたことはありますか?
親父は昔の番長で講道館の4段で本当に怖かった。母親は僕が物心ついた頃から病弱で入退院を繰り返し、すでに亡くなっていた。父親の子育てを見ていたので表面的には喧嘩したことはない。ただ、大きな反発はあった(父親は古典に造詣が深く、僕が現代文学に向かったのも、父が大きな山だったからで、乗り越えないと自分はないと思っていた)
僕が今生きていること。
D今の17歳(私たち)にやっていてほしいことはありますか?
できれば、あなたの職業柄を踏まえたコメントがほしいです。
高校2年生の1年間ですか? 17歳の1年間ですか? 「セブンティーン」という雑誌がありました。15歳の僕はこの響きにあこがれてました。 大人でも子どもでもない時期で、きらきら輝いて見えました。
「いちご白書」という映画があります。僕はこの映画を21歳で観ました。その時に心から悔しかったのは「17歳の時に観たかった」ということでした。主人
公はその時の僕とほぼ同年代です。ですから21歳で観たのは正しかったのですが、時代が違ってました。善悪は別です。警官を「権力の犬」「ブタ」と悪し様にののしれるのは60年代は20代前半だったのが、80年代では安保闘争も終結し、警官に向かって「権力の犬」「ブタ」と唾を吐きかけられない自分がいました。(多分わからないかもしれませんね)それが悔しかった。
つまり、その年にやるべきことはその年にやったほうが良いということです。17歳の感動と40歳の感動は対象は同じでも質も方向も量も違います。どっちが良いとか、深い浅いなどという問題ではないのです。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は17歳で読む本だろうと僕は思ってます。もう1度読み返そうと思ってます。でも最初に読む年齢は17歳かな・・・。
NPOでは「ミッション」ということが最も大切です。でもその前に「ソーシャル・ジャステス」ということがなければひとりよがりになってしまいます。僕たちは「まちづくり」であれ、「文化」であれ、人がいて初めてできるものだという事を知ってます。もっとも大切なことは人つくりです。「自分つくり」。これは自分がやらなければ誰もやってくれません。また、一人ではできないことでもあります。
鍛える道具は「勉強」でも「スポーツ」でも「文学」でもなんでも結構です。道具は手段でしかありません。「自分つくり」してください。
僕が初めて聴いたJAZZは17歳で、ソニー・ロリンズという人の演奏でした。17歳で夢中になっていた詩人の一人は谷川俊太郎さんでした。初めての出会いからほぼ30年たって、僕はお二人と話をする機会がありました。多分僕は間違ってなかっただろうなと思ってます。
E最後に、私たちへメッセージをどうぞ!!
感動できる自分でいてください。全てを受け入れないで下さい。良い子にならないでください。自分を大切にしてください。
そして心の水は決して枯らさないで下さい。
自分の子どもをみても、17歳という年齢は非常に不安定で、まさに大人と子どもが同居しているのがわかる。
17歳には親でないと伝えられない言葉がある。同時に親には伝えにくい言葉もあるように思う。素敵なお嬢さんだろう。久しぶりに楽しく、まじめに(本当は相当恥ずかしく)アンケートに取り組めた。
この機会をくれた彼女に感謝。
PS.彼女とはこの後2・3度会って話をした。ちょっとシャイな素敵なお嬢さんだった。
一番小さい子は少学3年生で小学生が5名。高校3年生の8名がジュニオケでのラストコンサート(来年以降も客演はあるだろうが)になるのだろう。小学生のバイオリニストが譜面から目をそらさず一生懸命弾いている姿が特に可愛かった。
「セビリアの理髪師」序曲に始まり、ピアノ協奏曲をはさみモーツァルトの「ジュピター」、エルガー「威風堂々」。アンコールが「鉄腕アトム」という気持ちの良いプログラムだった。以前、中学生全国合唱コンクールの本選に行って、その演奏曲の選択のあまりのひどさ(絶対に中学生では詩の意味が理解できないと思われる曲が並び)に唖然としたことがあるのだが、難曲がならんではいるが好感の持てる演奏に仕上がっていた。
アンコールの後、オケをまとめた高3生に花束の贈呈があったが、皆照れたような表情と大きな仕事をやり終えた清清しい達成感を感じることができて、いい時間を共有できたなぁと満足して会場を後にした。
ほぼ1ヶ月前に今回のコンサートのチケットが届けられた。
丁度1年位前に17歳の女子高生からアンケートのメールが届き、それに答えたのが縁で今日のコンサートに招待されたのだが、その彼女もラストコンサート。明日からは本格的な受験生生活が始まるが、曲を皆で作り上げるという貴重な体験は大きな財産になるだろう。来春の笑顔が待ち遠おしい。ありがとう。
17歳からのアンケート
夜分遅くにすみません。○○と申します。 今日は、インタビューを受けてくださり本当にありがとうございます。今回は国語の授業の 一環で 「17歳の頃」というものをしています。今、自分が一番関心のある人に17歳のころの話を聞き、逆に自分自身を振り返る貴重な、 そして新鮮な体験をしよう…
(少し長いですが)インタビューをしたいと思います。
@17歳のころ(あまり記憶がなければ高校生時代でかまいません)どんな学生
でしたか? 何か部活やサークル等(生徒会)に参加していましたか?
そのときの学校の雰囲気やクラスでの自分(例えばムードメーカーだった…と
か)など教えられる範囲でよいので聞かせてください。
志望高校を落ちて、受験しなおそうと思っていた為、学校の勉強は全然せず(一度も家で勉強しなかった)小説ばかり読んでいた。その為当然成績が下がり、特別クラスから普通クラスに落とされ、ますます勉強しなかった。
物理の先生の「わからん奴はぐだぐだ喋ってると授業の邪魔になるので寝てろ!」という口癖に反発(僕に言ったのではない。ただ、そういう態度が気に食わなかった)し、一番前の席で1ケ月ずっと寝てた。(規律!例!着席! 「寝てろ!」 グゥ〜 起立! ありがとうございました 着席!
5月になって「寝てろ」とは言わなくなった。
落ちこぼれクラスに対する見下した態度には徹底して逆らった。
倫理社会の先生から「君は白紙で出しても100点あげる」と冗談を言われた。ただし、本当にやりそうな事に気付いた彼はあわてて撤回した。(わざと設問から外れた回答を書いたら、「今度からやらないで下さいね。」と言って100点くれた。
新聞部の部長さん。新聞のコラムにBEATLES礼賛の記事を書き、浮ついていると副校長に呼び出され、職員室で大喧嘩(教育者のくせに若者の気持ちを理解しようという気がない。固定観念だけで音楽や文化を語ろうとしている・・・)した。若手の先生からは絶賛された。
多分人生で一年だけもてた年だった。
3月にクラスの気が良い女の子(彼女ではない)と一緒に歩いて帰りながら、ふざけあって腕を組んだりしてじゃれあってた。(もちろん真っ暗)上記の副校長に見つかり怒鳴りつけられたが、「車の往来の邪魔だから一列で歩け!」と言って追い越して行った。我が校では停学要件であった。思えば良い先生だったのだろう。
Aその頃、将来の夢はありましたか?
あれば… その夢に向かって何か行動をおこしていましたか?
詩人になりたかった。本に投稿して、活字になった。
原民喜や谷川俊太郎、金子光晴、堀口大学などの詩や散文を筆写したりした。
ただし、ランボーの「酔いどれ船」をすでに読んでいて、自分には詩人としての才能がないことも自覚しており、小説家にはなれるかなと思っていた。(この人たちの詩や散文は高校時代に1度読んで下さい)
Bその頃、夢中になれる趣味やものはありましたか?
できれば、どういうきっかけでそれに興味を持ったのか教えてください。
文学、ROCK、JAZZ、FOLK
体がふるえた。(これでわからければ、自分をみつめなおすべし!)
Cその頃、両親と対立(喧嘩)したことはありますか?
または、両親に助けられたことはありますか?
親父は昔の番長で講道館の4段で本当に怖かった。母親は僕が物心ついた頃から病弱で入退院を繰り返し、すでに亡くなっていた。父親の子育てを見ていたので表面的には喧嘩したことはない。ただ、大きな反発はあった(父親は古典に造詣が深く、僕が現代文学に向かったのも、父が大きな山だったからで、乗り越えないと自分はないと思っていた)
僕が今生きていること。
D今の17歳(私たち)にやっていてほしいことはありますか?
できれば、あなたの職業柄を踏まえたコメントがほしいです。
高校2年生の1年間ですか? 17歳の1年間ですか? 「セブンティーン」という雑誌がありました。15歳の僕はこの響きにあこがれてました。 大人でも子どもでもない時期で、きらきら輝いて見えました。
「いちご白書」という映画があります。僕はこの映画を21歳で観ました。その時に心から悔しかったのは「17歳の時に観たかった」ということでした。主人
公はその時の僕とほぼ同年代です。ですから21歳で観たのは正しかったのですが、時代が違ってました。善悪は別です。警官を「権力の犬」「ブタ」と悪し様にののしれるのは60年代は20代前半だったのが、80年代では安保闘争も終結し、警官に向かって「権力の犬」「ブタ」と唾を吐きかけられない自分がいました。(多分わからないかもしれませんね)それが悔しかった。
つまり、その年にやるべきことはその年にやったほうが良いということです。17歳の感動と40歳の感動は対象は同じでも質も方向も量も違います。どっちが良いとか、深い浅いなどという問題ではないのです。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は17歳で読む本だろうと僕は思ってます。もう1度読み返そうと思ってます。でも最初に読む年齢は17歳かな・・・。
NPOでは「ミッション」ということが最も大切です。でもその前に「ソーシャル・ジャステス」ということがなければひとりよがりになってしまいます。僕たちは「まちづくり」であれ、「文化」であれ、人がいて初めてできるものだという事を知ってます。もっとも大切なことは人つくりです。「自分つくり」。これは自分がやらなければ誰もやってくれません。また、一人ではできないことでもあります。
鍛える道具は「勉強」でも「スポーツ」でも「文学」でもなんでも結構です。道具は手段でしかありません。「自分つくり」してください。
僕が初めて聴いたJAZZは17歳で、ソニー・ロリンズという人の演奏でした。17歳で夢中になっていた詩人の一人は谷川俊太郎さんでした。初めての出会いからほぼ30年たって、僕はお二人と話をする機会がありました。多分僕は間違ってなかっただろうなと思ってます。
E最後に、私たちへメッセージをどうぞ!!
感動できる自分でいてください。全てを受け入れないで下さい。良い子にならないでください。自分を大切にしてください。
そして心の水は決して枯らさないで下さい。
自分の子どもをみても、17歳という年齢は非常に不安定で、まさに大人と子どもが同居しているのがわかる。
17歳には親でないと伝えられない言葉がある。同時に親には伝えにくい言葉もあるように思う。素敵なお嬢さんだろう。久しぶりに楽しく、まじめに(本当は相当恥ずかしく)アンケートに取り組めた。
この機会をくれた彼女に感謝。
PS.彼女とはこの後2・3度会って話をした。ちょっとシャイな素敵なお嬢さんだった。