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2019年02月22日

二拠点居住というライフスタイルは現実的か?

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二拠点居住というライフスタイルは現実的か?
第13回オーライ!ニッポン大賞ライフスタイル賞を受賞した馬場未織さんが、wedge_infinityで連載を始めました。内容は、二拠点、新しいライフスタイル、地方創生、時事話などを織り交ぜて発表するそうです。第1回目は、2月19日発信です。
馬場未織さんは、平日は東京、週末を千葉県南房総市暮らすという二地域居住者です。8700坪の農地を購入し(農業者である。)南房総の週末田舎暮らしをしながら、地域の活性化活動に取り組んでいます。

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【二拠点居住というライフスタイルは現実的か?】
1年以内に実感するメリットがデメリットを超えられるかがカギ 馬場未織
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15366?fbclid=IwAR3WjWo3vTyWldoRqFs-8jDuN9uZd8jNFHpPB_hmfwL2pxeSHhWal0rvrU8

平成27年度 第3回農山漁村コミュニティビジネスセミナー【週末は田舎暮らし---ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記】にも登壇いただきお母さんの立場から世田谷と千葉県房総市との二地域居住の活動を語っていただきました。

第13回オーライ!ニッポン大賞受賞者を紹介したパンフレット
https://www.kouryu.or.jp/ohrai/a51k29000000f9ah-att/a51k29000000f9f4.pdf

「参考」
馬場未織さんが登壇した平成27年度 第3回農山漁村コミュニティビジネスセミナー
【週末は田舎暮らし---ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記】の結果概要
開催日時 2015年8月4日(火) 13:30〜16:30

馬場未織さんは、
平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践している。
東京生まれ、建築を学び、卒業後は建築関係の仕事、フリーライターをしながら家族5人とネコを連れて、週末田舎暮らしをしているのだ。
金曜日の夜に子どもたちを乗せて、アクアラインで千葉への南房総へ。
その南房総では、週末田舎暮らしをしながら、仲間たちとNPO法人 南房総リパブリックを設立し理事長として、事業を推進している。
どうして、田舎暮らしなのか。どうやって田舎を見つけたのか。
都会と田舎、家族と個人、仕事とプレイベーとの楽しみなど複層するライフスタイルの実践について、実態と魅力を語っていただきました。
・千葉県南房総市三芳町に8700坪の農地を購入した。(農業者である。)
・夫婦ともに東京生まれ、子どもは、生き物大好き。子どもの発する自然への欲求にこたえるために、わたしたちの代からの田舎を持とうとした。
・東京で子どもに自然体験等の満足させるアクティビティを考えるとかなりのコストがかかる。田舎暮らしも良いのではないか。できると考えて場所を探した。
・子どものためにと言いながら、私の内なる野心もあって、二地域居住取り組んでいる。
・はじめは自給自足には興味なかったが(コストパフォーマンスが悪いから)、ある日ジャガイモの種芋を地域の人が私の土地に植えた。雑草をとり栽培しているうちに、徐々に愛着が出てきて畑作業が面白くなった。30歳過ぎてはまった。
・新鮮さが味だったと、本当の贅沢に気付いた。
・雑草とりなどは、口うるさい地元の人がいないとできない。その人が廻りに注意することで、雑草が刈り取られ綺麗な景観が維持されている。
・最初は、文句を言われてどうしようかとも思った。土地を買って来ていたから話し合いができた。実際に話してみてみると良い人で、地域の会合にもできるだけ出るようにしている。そこでいろいろな情報を収集している。
・NPOの活動では、南房総の外に魅力を伝える→千束カフェ(南房総の野菜を活用した料理店、毎日シェフがかわる)。コアなファンを育てる→里山学校(地域のさまざまな体験ができる)、拠点を作る。→つくるハウス(三芳でいろんなことができる)の3段階で事業に取り組んでいる。
・一人で引っ張るのは、大変だがやりたい人が出てくるように仕向けている。それをみんなで手伝い実施している。
・里山学校の体験プログラムは、地元の農家が中心やっている。参加者の約半分がリピーター、飽きられないように、ニーズを皆で考えている。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 14:25| オーライ!ニッポン

2019年02月21日

2001年に我が国のテレワークの調査を実施したことがあります。三鷹市の産業づくり

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2001年に我が国のテレワークの調査を実施したことがあります。
今から約20年も前の話ですが、その当時テレワークの代表的な地域は、北九州市小倉(北九州テレワークセンター:都市型)、東京都三鷹市(SOHO・CITYみたか:都市型)、熊本県阿蘇町(阿蘇テレワークセンター:農村型)、山形県白鷹町(白鷹テレワークセンター:農村型)、岐阜県谷汲村(谷汲テレワークセンター農村型)、福島県いわき市(いわきテレワークセンター:ベンチャー企業型)でした。
企業誘致を主体に新たな産業を作ろうとしているセンターと、遠く離れた場所でも仕事ができる情報通信技術の進歩を期待して、仕事を農山漁村に持ってくるセンター、さらに優秀な情報編集者、デザイナー等の移住環境としてのテレワーク・SOHOなど。従来の製造業の工場を誘致する形とは異なる可能性を感じていました。
高速通信回線の整備などの環境整備と航空機を活用した大都市との利便性を活かして、これまでも徳島県、沖縄県、和歌山県などサテライトオフィス、SOHO事業者が多いと言われていました。
大手企業のテレワークは、通勤時間や営業後の報告のための移動時間を短縮化させようとする仕事の効率化させたいという考えも窺えましたが、働く方は、意外と本社から離れるのは情報が取れない、自宅で仕事するというのはプライベートとの時間の境目がなくなる。などこれまでと異なる働き方に抵抗感もあったように思いました。
それから約20年、今や働き方改革など、仕事と生活のバランス、ワークライフバランスなどからも適度に都会で適度に田舎の環境を望む人も、自然がたっぷりあるなかでの子育てなど生活そのものに重点をおいた人々が徐々に増加していることもテレワーク、サテライトオフィスに好感度を持っているのではないでしょうか。
20年前の調査で三鷹市を訪問した時、なぜ三鷹市がテレワークを推進するのか不思議な気持ちを持ちました。三鷹市にお住いの方はご存知でしょうが、その経緯は先見の明があります。当時の報告書から引用します。
三鷹市は、全国的にまちづくりの先進事例として注目されることが多く。職員同士や市民を交えた勉強会も活発である。
 ある研究会で、三鷹市の人口や税収実態を調査したところ、意外なことが分かったという。その当時の三鷹市の人口の7割は固定化しており、人口の移動がほとんどおきていない。
歳入構造を見ても、市税収入が全体の6割を占めるうち、半分が個人市民税、4割が固定資産税や都市計画税となっていることから、まさにサラリーマン世帯を中心とした住宅都市である。
しかし、少子高齢化社会の中、固定化した市民の高齢化が進むと、現在は税を納めてくれるサラリーマン世帯が減少し、将来税収が減る恐れがある。
 そこで市としては、市民税中心の歳入構造を転換し、法人税収入を増やしていくことが必要ではないかとの問題意識を持つようになり検討した結果、第1次産業は今以上に伸ばす余地がなく、第3次産業は吉祥寺を抱える隣の武蔵野市にはかなわないことから、第2次産業の発展を目指すべきとの結論を得た。
 その後、調査研究を進めるに連れて、市内には従来から立地している製造業の他にも、マンションの1室を使った、システムハウスやアニメーション製作などニュービジネス関連の企業も多く立地していることがわかった。これは、三鷹が交通の便が良い割に家賃が安く、人材も豊富なことに起因するものと思われ、これをさらに集積させることが重要ということになった。
 この結果をもとに、構想を具体化したのが「SOHO CITYみたか」構想である。この構想は(財)三鷹まちづくり公社の組織だった「三鷹市まちづくり研究所」の情報都市づくり研究プロジェクトから提言された。
この提言は「三鷹市地域情報化計画」の策定に向けて行われたもので、その中で「SOHO」を「個人もしくは小人数で、小さな事務所または自宅をオフィスとして、インターネットを活用して営業している人々、およびそれに向けて起業化しようとする人々」と定義し、この誘致、起業、振興を図ることが提言された。
「三鷹市まちづくり研究所」は、三鷹市が1988年2月に地元にある国際基督教大学と共同で設置した「三鷹市まちづくり研究会」がその前身で、1995年から任意法人であった三鷹市まちづくり公社に移管され、名称も「三鷹市まちづくり研究所」と改められた。1996年に公社は財団法人化されたが、2000年に公社は解散、その事業は現在(株)まちづくり三鷹に引き継がれている。1998年からは「SOHOパイロットオフィス」事業を実験的にスタートさせるなど、情報都市づくりに取り組んできた。
その結果、さまざまな事業を展開する起業が進む、三鷹は住む場所だけでなく、働く場所でもあるというコミュンティビジネスの根を下ろすことになっていることです。
三鷹市の取り組みの素晴らしさは、長い先を見た三鷹の姿を見通し、三鷹の将来の産業をつくろうと粘り強く続けてきたことです。
江戸時代も各藩が競って藩の産業起こしを進め、その結果特産品ができました。昭和時代には、各市町村で一つ特産品を作ろうと一村一品運動を広めたのが当時の大分県知事平松氏です。
産業づくりは、いつの時代でも大事ですね。国や県などが何かしてくれるのを待つのではなく、自分たちの地域にあったことを少しづつ長く続ける重要性を歴史は教えてくれます。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 20:04| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月20日

うまいぞ!シカ肉 捕獲、解体、調理、販売

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過去の農山漁村コミュニティ・ビジネスセミナーで、「鳥獣被害対策と獣肉を活用した地域づくり」の講師を務めていただいた松井賢一さんは、滋賀県で鳥獣害対策をはじめ、獣肉を活用した料理レシピづくり、獣肉を使った商品開発などに取り組まれました。

松井さんが共著で農文協から出版された「うまいぞ!シカ肉 捕獲、解体、調理、販売」には、文字道理、鹿の捕獲から解体、調理、販売まで鹿肉を美味しく食べる手順が記されています。一緒に執筆している藤木さんは、フランス料理のシェフです。
藤木徳彦氏のWEBサイト http://www.auberge-espoir.com/intro_chef/

また、獣害転じて食資源「ジビエ」もブームのいまに贈る一冊、「いけるね!シカ肉 おいしいレシピ60」も好評発売中です。「鹿肉「獣肉を活用した地域づくり」や6次産業化をご検討中の方や、ジビエに関心を持っている方には、ぜひご一読をお勧めします。
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農文協とは、農山漁村文化協会の略称で、農業や農山漁村に関係する書物を発行している本屋さんです。インターネットでも本の注文はできますが、神田神保町に直営の農業書センターもあります。
日本で唯一の農業書専門店と謳うだけあって、ちょっと約束の時間まであるなと立ち寄ると、あっという間に時間が過ぎて遅れて済みませんと慌てることになります。

インターネットで検索すれば、たいてい情報は入手可能ですが、農業や農山漁村のことを卒論や調べものをしたいときに、漁歩するには、専門書店は極めて重要です。

http://www.ruralnet.or.jp/
うまいぞ!シカ肉
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54011278/
いけるね!シカ肉 おいしいレシピ60
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54014192/
posted by オーライ!ニッポン会議 at 16:38| 犬も歩けば棒に当たる

2015年度の第13回オーライ!ニッポン大賞を受賞した潟Gマリコ国立の菱沼代表が経済産業省のコミュニティビジネスのシンポジウム(参加無料)に登壇(2月21日)します。

2015年度の第13回オーライ!ニッポン大賞を受賞した潟Gマリコ国立の菱沼代表が経済産業省のコミュニティビジネスのシンポジウム(参加無料)に登壇(2月21日)します。
菱沼さんは、【出荷できない高齢農家の集荷を助け、補助金に頼らない農産物直売所】として「第3世代の農産物直売所」「背景流通」という農業を守る新たな強い風を起こしています。

潟Gマリコ国立 http://www.emalico.com/
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菱沼さんが登壇した平成28年度第2回農山漁村コミュニティビジネスセミナーの結果
https://www.kouryu.or.jp/events_seminar/machimura/H2802seminar_report.html?channel=.
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平成30年度コミュニティビジネスシンポジウム
「人口成熟時代だからこそ、コミュニティビジネス!」
日時:平成31年2月21日(木曜日)13:30〜17:00  
会場:さいたま新都心合同庁舎1号館2階 講堂
(埼玉県さいたま市中央区新都心1-1)
定員:500名
参加費:無料
主催:広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会、関東経済産業局

プログラム開会(13:30)
広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会活動報告
桑原 静 (広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会 幹事)
基調講演(13:50)
「人口成熟時代だからこそ生き残るスモールビジネスとは?」
藻谷 浩介 氏(株式会社日本総合研究所 主席研究員)
トークセッション(15:30)
「地域活性化につながる「コミュニティビジネス」とは?」
藻谷 浩介 氏(株式会社日本総合研究所 主席研究員)
菱沼 勇介 氏(株式会社エマリコくにたち 代表取締役社長)
柳田 公市(広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会 幹事)
事例紹介(16:00)
エマリコくにたち 〜東京農業活性化ベンチャー〜
菱沼 勇介 氏(株式会社エマリコくにたち 代表取締役社長)
関東経済産業局 施策説明(16:45)
閉会(17:00)

申込方法は下記のサイトから。※締切り:2月20日(水曜日)
http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/cb/190221cb_sympo.html
問合せ先
関東経済産業局 産業部 流通・サービス産業課 コミュニティビジネス推進チーム
小林・加藤  電話:048-600-0345  FAX:048-601-1295

※「背景流通業」とは、単に野菜を提供するだけではなく、どのような農家がどのような思いでどのようにして、農作物をつくり、そしてどのように食べたら美味しいかまでの背景まで伝えるのが役割を担うこと。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 11:30| コミュニティビジネス

2019年02月19日

「犬も歩けば棒に当たる」

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「犬も歩けば棒に当たる」

本来は、積極的に出歩くと犬も棒で殴られる、思わぬ災難が訪れるという意味。外を出歩いていれば、思いがけずに幸運に出会うという意味もあるという。このコトワザを聞いてどうとらえるかは人それぞれ。教育現場のみならず、企業さらに官公庁の施策まで人づくり、人材育成が大事だと唱えられ、様々な講座が目白押しの状況の中で、いざ自分が講座を企画したり、講演をしたりする際に如何に講座に参加してもらうか、学んだことを活かしてもらうか、その人に当事者意識をもってもらうかを考えて、行きついたのが「犬も歩けば棒に当たる」だった。
「“やる気”を起こさせるにはどうしたら良いでしょうか」とアドバスを求められることも少なくない。そんな時は、自分から変わる。課題山積でも愚痴は言わない、前向きに考えましょう。思考は行動により規制されるから、行動パターンを変えてみようと勧めている。
仕事を始めたころに元新聞記者の上司から何か新しい発見(ネタ)を得るには、行き帰りの道を変えると教えを得た。そこには、何か知らなかったことの発見があったり出会ったりするかもしれない。災いとなるのか、幸運となるのかは、その人の運命次第かもしれないが、三度、住む家を変えた孟子の母のように、環境や行動を変える利点は思いのほか大きいというのが私の実感である。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 12:33| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月18日

「漁師になるには」大浦佳代 著 ぺりかん社 (なるにはBOOKS ; 45)

漁師になるには、どうしたらなれるのという人に向けて書かれている。同時に漁業とは何か、漁とはどういうものかということも知ることができる本である。
若い漁師のドキュメントがあり、それぞれの生き方が生き生きと紹介されている。
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本書は、第1章「海に生きる」の漁師になった人のドキュメントからはじまり、第2章の日本漁業の解説、そして第3章漁師になるための適正や心構え、具体的な就職先方法などを情報収集することができる構成になっている。
農業も農家それぞれに農法があるように、漁師にはそれぞれの漁へのこだわりがあるであろう。その漁師がどうした漁師になったのか、どのような漁をしているのかドキュメントは、我々が普段知ることがない漁師の物語を紡いで紹介してくれる。
第2章「漁師の世界」は、さらに漁の種類、魚が食卓に運ばれる市場の仕組み、漁業権まで触れている。難しいことを易しく伝えるのは難しいが遠洋漁業、近海漁業、漁法の違い、漁業権、漁業法といった専門的な世界をテレビでおなじみのキャスターのように説明してくれる。漢字にルビを振っているのもありがたい。
日本の現在の漁師の数は約15万人。毎年、2000人ほどが漁師になっているそうだ。
漁師の家に生まれたが大学へ進学し画期的な技術を持って帰郷就業した男性の話は、技術革新が漁業にも関係していることを知った。
第一線で活躍する漁師にも船酔いする人はいるそうなので船酔いは心配することは無いという。魚を食べてきた日本人の食を支えてきた漁師という現場に遡って、今の若い漁師の姿を明らかにしている。これからの魚食を支える人たちの心意気が嬉しい。
現在の漁業の基礎をなしたのは、江戸時代とされる。大都市に人が集まり、そこに魚が出荷されることになり、魚の目利きの仲買が生まれる。目利きとは文字道理、魚の目の色で鮮度を測ること。九州西部や紀伊半島は沿岸漁業。遠浅な砂浜がある九十九里などは地引網。岩礁など地引ができない地域は一本釣り。魚が集まるところでは定置網と各地で漁がおこなわれた。
また、江戸時代には海苔、牡蠣、鯉の養殖もはじまっている。獲る漁業と育てる漁業の二本立てである。
良質なたんぱく源をめぐって水産資源の国際間競争も激化している。漁業技術の近代化により少ない労力で漁獲できるようにもなっているが、漁師・水産関係者数の減少によりある県では水産関係労働者の半分が外国人になっているという報道番組も昨年にあった。
今世界に和食が注目されているが、その和食の重要な要素が「魚」。日本文化の重要な部分となっている漁業の今を知ることは、エネルギー問題や輸出産業の動向に注意するのと同様に日本人として大事なことではないだろうか。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 15:08| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月15日

第16回オーライ!ニッポン大賞表彰式を3月20日(水)に開催します。(参加者募集、無料)

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第16回オーライ!ニッポン大賞に募集にご支援ご協力いただいた皆様誠にありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 今後、審査委員会等を経て、3月初旬をめどに受賞者をオーライ!ニッポンWEBサイト等で発表します。
 第16回オーライ!ニッポン大賞表彰式は、来る3月20日(水)に開催する予定としております。表彰式では、養老孟司代表の講演他、第16回オーライ!ニッポン大賞受賞者から取り組み内容の紹介等を併せて行う予定です。
農山漁村地域における都市と農山漁村の交流、地方創生、集落活性化など「都市のチカラ部門」「学生若者カツヤク部門」「農山漁村イキキ実践部門」の優れた事例をご紹介予定です。
只今から表彰式(表彰式、講演、事例発表)への参加者を募集いたします。
 農山漁村の活性化や農山漁村コミュニティ・ビジネスのご参考にしていただければ幸いです。
 ご参加(参加無料)をご希望される方は、下記のWEBサイトからお申込みください。
なお、表彰式後の交流会(詳細調整中)も参加される場合は会費制となります。
https://www.kouryu.or.jp/information/20190215_220/
受賞者は決まり次第、まちむら交流きこうWEBサイト等で発表いたします。

日時:平成31年3月20日(水)13:30〜16:30
会場:コンベンションルーム「AP新橋」4階
   東京都港区新橋1−12−9
   A−PLACE新橋駅前
主催:オーライ!ニッポン会議
協賛:協力 一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構
後援:総務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、
   経済産業省、国土交通省、環境省、一般社団法人日本経済団体連合会
全国知事会、全国市長会、全国町村会

表彰式のチラシ
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3月20日表彰式ちらし20190214.pdf

 表彰式にご参加された方には、第16回受賞者の活動内容を紹介したパンフレットを当日差し上げます。

「都市と農山漁村の共生・対流(オーライ!ニッポン)」とは、都市と農山漁村に住む双方の人々の交流を盛んにし、都市と農山漁村の間で「人・もの・情報」が絶えず循環する社会を生み出すことで、ゆとりのある生活の実現や日本の経済の活性化を図る事を目的に推進する国民運動です。
「オーライ!ニッポン大賞」では、各地で取り組まれている「都市と農山漁村の共生・対流」の活動を讃え、その活動の様子を全国的に紹介することで、更なる推進を図ることを目的に実施します。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 17:11| オーライ!ニッポン

「にぎやかそ」

地方創生の目指す成果は、人口減少が進む農山漁村に都会から若者の移住定住を促進であるが、その具体策として、サテライトオフィスが注目されている。
仕事を都市から移す「移業」と呼んでいるのは、明治大学の小田切徳美 教授。

小田切教授の「にぎやかな過疎」をつくる―農山漁村の地方創生―(2019年1月7日)の論説が全国町村会機関誌『町村週報』のWEBサイトで紹介されている。
http://www.zck.or.jp/site/column-article/16740.html

小田切先生は、徳島県美波町のまちづくりのキャッチフレーズを「“にぎやかそ”にぎやかな過疎の町 美波町」と定め、2018年12月1日に「にぎやかな過疎宣言」したことを取り上げ、サテライトオフィスが仕事を生み、それを支援する会社も設立され、さらに移住した若者が祭りをはじめとする各種の地域活動に参加や複数の飲食店の新規開業も生じているという。
また、福島県三島町、愛知県東栄町、鳥取県智頭町、山口県阿武町、同県周防大島町なども移住による新たな変化出ているとし、このような地域を田園回帰の「ホットスポット」、「人が人を呼ぶ」とし、起業が別のしごとを生み出すような関係も出現して、「にぎやかさ」を実感できる場となり始めていると述べている。


徳島県美波町の魅力を発信するため まちづくりのキャッチフレーズ「にぎやかそ」を策定

高齢化率が45%を超す美波町では、今後も人口減少局面が続くことが予想されています。こうした厳しい現実にしっかりと向き合いながら、人口減少の進む過疎の町であっても、内外から人が集い、開業や起業が相次ぐにぎやかな町を、このキャッチフレーズとロゴのもと、関係者一丸となって目指すことを宣言いたします。
https://www.town.minami.tokushima.jp/docs/2018120400059/
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posted by オーライ!ニッポン会議 at 14:18| コミュニティビジネス

【移住者が拓く農泊事業】NPO法人 美しい村・鶴居村観光協会 事務局長 服部 政人 氏(北海道 鶴居村)

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「私は酪農の応援団です。!!」
毎回、農山漁村コミュニティビジネスセミナーを終えて感じるのは、ケーススタディを学ぶことも重要ですが、何を考えて、どう取り組み、その過程で起きた事象に、どのように対処したかのプロセス、そのプロセスを支えた情熱の重要性を感じます。
私は酪農の応援団と話す奥さんの佐知子さんは、調理の勉強をして、農家レストラン「ハートン・ツリー」を開業したいと思っていました。政人さんは、酪農ヘルパー等の経験を積みながら鶴居村の交流事業の鍵となる観光協会のNPO法人として発足したNPO法人 美しい村・鶴居村観光協会の事務局長として村のPR,観光交流の取り組みを推進しています。
移住したとき、小学生だった3人の子どもたちの成人し、末っ子の次男が後継者として昨年帰村しました。具体的な経営の数字もみせていただきましたが、28年度から29年度へは、ほぼ倍増する売上を上げています。なぜか理由はあるのですかと問うと、子どもが継ぐとこになって覚悟ができたと笑わせました。夫婦ふたりで事業は終わりと思っていたところ、志を引き継ぎ発展させいこうと覚悟で家族一丸となってさらに前進するそうです。
後継者の次男は、「ほっかいどう未来チャレンジ基金」によりこの9月から6か月間、イタリアの料理学校に留学し本場イタリアで地域の伝統食材や料理を見直す「スローフード」発祥の地で食文化を学び北海道の食を通じたメニュー開発に活かしていこうとしています。
服部さんのお話で強く印象を受けたのは、

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1.地域資源を活かした交流が農業と地域を再生すること。
2.交流の重要なコンテンツは、「食」「自然」「会話」であること。
  ・農家民宿やゲストハウスの魅力は、宿泊者等との会話。
  ・サービス化やAI化が進めば進むほど人間的な会話がある空間、時間は重要
3.農家レストラン「ハートン・ツリー」から農家民宿、体験教室、
  さらに特産チーズの製造・販売へと交流事業から特産品生産事業まで6次産業化を
  着実に展開していること。
4.観光交流を運営するなかでのさまざまな工夫がされてきたころ。
  ・苦労したこともあるWOOFの受入が大きな人脈的効果を上げている。
  ・食を通じた交流のたのしさが、どこにもないオリジナル性を発揮し
   リピータを呼び込んでいること。
  ・トウモロコシを食べる丹頂、農業に被害も与えるが大切な自然環境を守り
   後世に伝えるための、地道な追い払い作業隊活動など大勢の人が参加して維持できること。
  ・さまざまな予約サイトを活用して集客するうえで、キャンセル率を減少さるには、
   予約対応、質問などの細やかな対応をアウトソーシングすること。
5.地域の学校の食育として、酪農、チーズのすばらしさを伝え、イメージを一新させるなど、
  地域内のこどもにも誇れるものと伝える必要性。
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丹頂と酪農の美しい村「鶴居」 
北海道の鶴居村は、人口2,524人(平成30年4月末住民登録人口)。
北海道の東部、釧路市の北部に隣接し、釧路湿原上流部にあり酪農業が主要産業です。
特別天然記念物の丹頂鶴は、毎年11月頃から見られ、鶴見台や鶴居伊藤サンクチュアリ、
雪裡橋などで多くのタンチョウが観察できます。
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村内の酪農家はそれぞれ広大で豊かな草地を持ち、毎日熱意と技術をかけて乳生産を行っています。また夏に発生する海霧も、牛たちが苦手な暑さをやわらげる恵みの気候風土。鶴居村では自然と酪農家の努力によって、品質の高い生乳が生産されています。
 2002年オープンの「鶴居村農畜産物加工施設 酪楽館」は、鶴居産のフレッシュな生乳を使い、ナチュラルチーズをていねいな手作りで製造しセミハードタイプ5種のチーズを「鶴居」と言う名称で製造し、2007年に中央酪農会議主催の「ALL JAPAN ナチュラルチーズコンテスト」で最優秀賞の「農林水産大臣賞」を受賞したのを皮切りに、その後連続して上位受賞に輝いています。
 小さな村の栄えあるチーズは、「酪楽館」や「鶴居たんちょうプラザ つるぼーの家」などで販売中です。農家レストラン「ハートン・ツリー」の食は重要なコンテンツ。
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美しい村・鶴居村観光協会は、「5泊以上の長期滞在型観光ツアーを実施」「タンチョウの観察、チーズづくり体験、フットパス等地域資源を活用した交流活動」「農業者や商工業者など地域の多様な団体と連携し、農泊や商品企画、特産品販売など観光地づくり」を推進しています。
その結果、長期滞在型観光ツアー参加者が12人から68人と5倍以上増加(H23-27) うち、外国人の長期滞在型観光ツアー参加者も増加傾向。鶴居村の観光入り込み客数が約17万人から約19万人に増加(H24-27)しています。
こうした活動を評価されて、平成28年10月17日に内閣官房及び農林水産省が主催する「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」(第3回選定)農山漁村活性化の優良事例として選定されています。
美しい村・鶴居村観光協会は、農林水産省の農山漁村振興事業(農泊事業)により、丹頂鶴、釧路湿原、酪農といった観光資源に地域交流を組み入れた鶴居ならでは、観光交流事業、訪日外国人の旅行客の増加を目指して、台湾を中心としたサイクルツーリズムや東南アジアからの観光客誘致を重点的に長期滞在型観光による村内消費に引き続き力を注いでいます。

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服部さんの活動経緯メモ

○ 移住後の時系列の流れについて
  ・平成3年に会社を退職後、家族4人で大阪から北海道鶴居村に移住。
   標茶町育成牧場で臨時職員として勤務。
  ・その後、平成4年、鶴居村酪農ヘルパー利用組合に正職員として採用され、
  ・平成11年に、農地を取得するとともに、阿寒連峰から湿原が見渡せる丘の上に、
   小動物のふれあい牧場とファームレストラン「ハートン・ツリー」を開店、
   地元食材の牛乳にこだわった手作り料理を提供している。
  ・その後、都会では味わえないのんびりした時間を提供したいとファームインを
   平成12年オープン。
   農作業のサポートと田舎からのグローバルな情報発信を目的に海外青年の
   ホームステイを平成11年から受け入れている。
  ・村内の酪農家と協力して、グリーン・ツーリズム組織「鶴居村あぐりねっとわーく」を
   平成15年に立ち上げ、農業体験や農泊の企画・運営を進めるなど、
   地域に溶け込んだ新しいビジネスの展開や、外国人との交流による鶴居村の
   魅力発信などを展開。
  ・平成18年 第2のライフスタイルを精力的に満喫している点が評価されて、
   第4回(平成18年度)オーライ!ニッポン大賞ライフスタイル賞受賞。

○ 受賞後の活動について。
  カマンベールチーズは、平成25年から製造販売
○ チーズは、個人で製造
○ 鶴居村では、酪農が盛んであるがチーズを製造販売しているのは、
 (株)鶴居村振興公社 チーズ製造施設「酪楽館」のみ。
○ 今後、今後5頭程度の酪農事業に興味をもっている。
○ 後継者は、昨年次男(3番目)が後継者として帰村。
○ 交流事業と加工事業の入り方はどちらが先にすべきか悩む場合は、
  交流事業(農泊、ゲストハウス)が先と考えますが、加工品(食としての特産品)の
  展開も大事。
○ 交流事業と加工事業のウエイトについて、交流事業(70%)と加工事業(30%)が
  良いと思う。

ハートン・ツリー
https://heartntree.jimdo.com/

NPO法人 美しい村・鶴居村観光協会
http://tsurui-kanko.com/

posted by オーライ!ニッポン会議 at 10:27| コミュニティビジネス

2019年02月12日

東京駅地下すぐ近くにマルシェが。

aozoraichiba.jpg
青空市場のマルシェは、都会の真ん中で、だれもが気軽に各地の郷土の食材を、買って食べられる“市場”があったらどんなにたのしいだろう…。という想いから、2004年の東京・銀座からはじまりました。
そして東京・丸の内ビル 紙パルプ会館 靖国神社、千葉・中山競馬場、大阪・大阪天満宮内などで開催を続け10万人を超える来場者がありました。
2007年からは“ごはんミュージアム”の協力をいただき、東京有楽町・東京国際フォーラムにて定期開催。2011年から三菱地所と協力して「丸の内 行幸マルシェ×青空市場」を毎週金曜日に東京駅前・行幸地下通路(行幸地下ギャラリー前)で定期開催しています。
私が訪れたときは、白いコック姿のシェフが念入りに野菜等を手にしてみていました。
聞くところによると丸ビルにあるレストランのオーナーシェフとか。
何か珍しい食材は無いか、生産地から持参された行きの良い野菜を選んでお店に出すのでしょうか。1時間以上見ていました。
次回の開催は、2月15日の金曜日です。

○主催:丸の内行幸マルシェ実行委員会
 実行委員長/永島敏行
○WEBサイト:http://aozora-ichiba.co.jp/marche/marche_top
○開催日時:毎週金曜日に開催
 11:30〜19:30
○場所:東京駅前・行幸地下通路(行幸地下ギャラリー前)
○アクセス:東京駅前、丸ビルと新丸ビルのあいだ行幸地下通路

posted by オーライ!ニッポン会議 at 13:25| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月08日

地方の食を楽しむ交通会館マルシェは、銀ブラついでに

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交通会館は地方の特産品や観光情報をPRする所謂アンテナショップの拠点となっていますが、土日に開催される交通会館マルシェも人気です。
交通会館マルシェは、「日本をまん中から元気にしよう!」そんな掛け声から生まれました。
JR有楽町駅、地下鉄有楽町線から銀座に行く観光客。買い物客が通る場所にあり、都道府県や市町村単位の物産市や地方の農家が育てた農産品を直接販売されます。
行き交う人々も今日はどこの地域かな?と楽しみにしています。産地直送の旬の野菜や果物はもちろん、「交通会館マルシェ」ならではの品々が沢山並びます。週末は大規模に20〜30店舗、平日は5店舗ほどのプチマルシェ。
 交通会館マルシェのWEBサイトから出店者の情報を見ることができるので、どんな地域が出てくるのか確かめていくのも良いかもしれません。

○主催:鞄結梃通会館、企画運営 葛竝タ農園
○開催日時:毎日。マルシェ:土日祝日、プチマルシェ:平日。開催時間:土日祝日:11:00〜17:00。平日:12:00〜18:00
○場所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館1階ピロティ
○アクセス:JR山手線・京浜東北線 有楽町駅 京橋口・中央口(銀座側)徒歩1分。有楽町線有楽町駅[D8] 徒歩1分、 銀座一丁目駅[2] 徒歩1分。丸の内線 銀座駅[C9] 徒歩3分。銀座線 銀座駅[C9] 徒歩3分。日比谷線 銀座駅[C9] 徒歩3分。千代田線 日比谷駅[C8] 徒歩8分。都営三田線 日比谷駅[C8] 徒歩5分
○WEBサイト:http://kotsukaikan-marche.jp/

posted by オーライ!ニッポン会議 at 16:20| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月07日

2018年度農山漁村コミュニティビジネスセミナー開催状況

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農山漁村コミュニティビジネスとは、農山漁村コミュニティにおいて、コミュニティの資源を活用して、コミュティの維持発展の役割を担う活動です。
この活動が持続可能であるためには、補助金や交付金になるべく頼らず自ら収益を確保して持続しなければなりません。
一方、通常のビジネスと異なるのは、利益を出すことが優先すべき事項ではなく、地域への貢献という使命が課せられるということです。
この相反した性格を抱えたビジネスゆえに、地縁、知縁、質援を総動員した取り組みが求められます。
都市と農山漁村の交流を通じて地域活性化を支援する(一財)都市農山漁村交流活性化機構では、農山漁村地域が再生するためには、人材育成が重要であることから、農産物直売所、農家レストラン、農家民宿、廃校活用、市民農園、鳥獣害対策、地域資源を活用した特産品開発、グリーン・ツーリズム等の多様な取り組み事例のノウハウを学ぶ機会として農山漁村コミュニティビジネスセミナー(愛称 まちむらセミナー)を2010(平成22)年度から開催しています。
さまざまな分野の取り組みについて専門家、実践者を講師としてお招きしこの12月開催で、133回開催しました。
2015年から2018年の第6回までは、次のようなテーマで開催しています。
 最近の開催したセミナー【2016年度】以降の結果の概略は、下記のサイトからご覧になれます。
https://www.kouryu.or.jp/service/seminar.html

農山漁村コミュニティビジネスセミナー開催状況
【2018年度】

第1回  2018年5月31日(木) 
 【古民家を活用した農家民宿のコンセプトは「奥三河で暮らすように遊ぶ」】
 体験型ゲストハウス「danon」オーナー 金城 愛 氏 (愛知県東栄町)

第2回  2018年7月3日(火) 
 【農業で食えなかった村が生き残る手立てとしてとったのは『ほっとステイ事業』】
 株式会社 信州せいしゅん村 代表取締役 小林 一郎 氏 (長野県上田市)

第3回  2018年9月12日(水) 
 【移住者が拓く、農泊と交流事業】
 NPO法人 美しい村・鶴居村観光協会 事務局 服部 政人 氏 (北海道鶴居村)

第4回 2018年10月4日(木)
 【まだまだ若いものには負けられない!素敵な仲間と美味しいトマトで地域再生】
 企業組合遊子川 ザ・リコピンズ 代表理事 辻本 京子 氏 (愛媛県西予市)

第5回 2018年11月14日(水) 
 【島の魅力発掘をなりわいに!】
 いえしまコンシェルジュ 中西 和也 氏 (兵庫県姫路市家島)

第6回 2018年12月5日(水) 
 【オリーブを栽培して耕作放棄地を解消、景観レストラン、加工品で新たな交流資源を開発】
 潟Iリーブファクトリー 代表 中川 孝 氏 (熊本県荒尾市)

第7回 2019年3月7日(木)
 【サテライトオフィスは、農山漁村に人と仕事と活気を呼ぶ】
 徳島県 美波町役場 政策推進課  主査  鍜治 淳也 氏

(2017年度は別の記事で紹介します。)

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posted by オーライ!ニッポン会議 at 15:20| コミュニティビジネス

【サテライトオフィスは、農山漁村に人と仕事と活気を呼ぶ】

しばらく開催が空いておりました農山漁村コミュニティセミナーのご案内です。
今回は、農山漁村への移住促進を担う市町村の取り組みを勉強します。

この4月に俳優の関口知宏(鉄道の旅で有名な)さんが
映画初主演を飾った人間ドラマ。東京から故郷の徳島に
オフィス移転を行ったIT企業社長の実話をもとにした
映画「波乗りオフィスへようこそ」が劇場公開されます。

この実話の舞台でありロケ地の美波町の移住が地方創生の
モデルとして高く評価されています。
それはなぜなのか???

半農×半Xというように、2つの仕事をもつ暮らし方が
田舎暮らしに合っていると言われていますが、
美波町は、半IT×半X。
ITの企業誘致でネット関係の仕事をしながら、
半分は地域活動などをとサテライトオフィイス事業が
効果を上げています。

■■■■ 第7回 3月7日(木)■■■
【サテライトオフィスは、農山漁村に
 人と仕事と活気を呼ぶ】
【講師】徳島県美波町役場政策推進課
    主査  鍜治 淳也 氏
【日程】2019年3月7日(木) 13:30〜15:30
【参加費】2,000円
【主催・場所】
  一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構 会議室
---------------------------------------------------------------
セミナーへの参加ご希望の方は、
下記のサイトからお申込みください。
https://satomono.jp/tour-seminar/22876/
---------------------------------------------------------------
H30  第7回 美波町 鍛冶氏.jpg


徳島県美波町は人口7000名弱の過疎地域です。
「美波ふるさと創造戦略」を 2012年に策定し、
サテライトオフィスの誘致、門前町の復興等を核とした地方創生に
取り組みを推進することにしました。
2017年時点の企業誘致は徳島県最多の17社、
移住者は70名以上になっています。

誘致が成功している大きな理由は、
地元のイベント「日和佐八幡神社秋祭り」。
ええ??神社の秋祭りが移住に貢献??
徳島県内がテレビの地上波デジタル化で
難視聴区域となることから、光ファイバーによる高速通信
インターネット網が整備されていることも要因ですが、
この秋まつりが重要な要因となっているというのです。

美波町は、太平洋の大海原と山の自然、澄み切った川などの
大自然にかこまれ、四国霊場23番札所である薬王寺に参拝する
お遍路さんで門前町は賑わい、室戸阿南海岸国指定公園でもある
大浜海岸では夏になるとアカウミガメが産卵、
また 県南部はサーフィンやダイビングなどマリンスポーツも盛んと、
地域の人柄、豊かな自然にふれて移住を決意する人も少なくないのです。

特に秋には八幡神社で大きな秋祭りがあり、
祭りをとおして地元の人との交流も盛んで、
過疎地でも可能な企業誘致・若者誘致として期待も高く、
豊かな自然と地域の人々の人柄が資源となって、
次の世代を担う若者の働く場、生活の場として、
中山間地域の生き残りを町ぐるみで展開しています。
地方創生における移住政策を学びます。

※美波町サテライトオフィイスのきっかけを作った
 出身者の話が週刊ダイアモンドの記事になっています。
【過疎が進む故郷で若者と高齢者を同時に活性化 美波町に
 真の地方創生策を示した若きIT実業家】
 http://diamond.jp/articles/-/60145

※日和佐八幡神社 秋祭りは、移住者と地域とを結び重要な機会となっています。(美波町広報誌の記事から)

「担ぎ手の確保が大変になってきているにしても、大切な伝統行事にここまで関わらせてもらってよいのか」サテライトオフィス関係者、移住者からは、最初はそんな風に戸惑ったといった声が多く聞かれます。
 一度参加すれば虜になる、自慢して友人たちも誘いたくなる素晴らしい祭り。一番の魅力は昔から見知った仲間のように気安く接してくれる住民の寛容さ、心意気だと絶賛するサテライトオフィス関係者は少なくありません。
 地方創生において、多くの自治体で課題となっているのがサテライトオフィスや移住者の定着ですが、その点こそ美波町が全国的に注目されている要因でもあります。
特に日和佐八幡神社秋祭りを通して育まれている地域とのつながりが大きいのではと言われています。

美波町サテライトオフィスプロジェクト
https://minami-satelliteoffice.jp/

※ 日和佐八幡神社 秋祭り
  https://www.town.minami.tokushima.jp/docs/2016092600026/
※ 日和佐八幡神社の祭りの様子(ギャラリー)
  https://hiwasahachiman.com/gallery
※ 日本の祭り(ダイドードリンコ)
  http://www.dydo-matsuri.com/list/hiwasa/
※ 映画「波乗りオフィスへようこそ」の解説ページ
  https://eiga.com/movie/90289/
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一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構
posted by オーライ!ニッポン会議 at 14:01| コミュニティビジネス

2019年02月06日

ええ??神社の秋祭りが移住に貢献??農山漁村への移住促進を担う市町村の取り組みを勉強します。

minamichou.jpg

平成30年度 第7回(通算134回)農山漁村コミュニティビジネスセミナーは、【サテライトオフィスは、農山漁村に人と仕事と活気を呼ぶ】農山漁村への移住促進を担う市町村の取り組みを...
勉強します。
人口7000名弱の過疎地域 徳島県美波町。
サテライトオフィス企業誘致は徳島県最多の17社。移住者は70名以上になっています。
誘致が成功している大きな理由は、地元のイベント「日和佐八幡神社秋祭り」。
ええ??神社の秋祭りが移住に貢献??
東京から故郷の徳島にオフィス移転を行ったIT企業社長の実話をもとに、俳優の関口知宏さんが映画初主演を飾った人間ドラマの映画「波乗りオフィスへようこそ」も2019年4月に劇場公開されます。WEBサイトの準備ができ次第からセミナー参加者を募集します。こうご期待。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 21:02| コミュニティビジネス

2019年02月05日

春になったらマルシェに行こう!

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マルシェは、フランス語で「市場」の意味です。
都内の繁華街では、マルシェがすっかり定着した感があります。大都市おける農業・農村との出会いのはじまりの場所として機能も果たしています。
マルシェ人気を支えているのは、農業に対する消費者の意識の変化です。
アメリカで最も予約が取れないと言われるオーガニック・レストランのオーナーシェフであり、世界にオーガニック農業やスローフードを普及させた立役者であるアリス・ウォータース氏は、「おいしい革命」を引き起こしました。彼女は、カリフォルニアの地から、自慢のスローフードやライフスタイルを伝えるために、有機農業を行う農家のマルシェに通い。仕入れた農産物で地産地消、スローフードの料理を作り、また、荒れた学校における子どもたちへの教育のために農業を取り入れる食育にかかわるなど「食」に関する時代の最先端を行く人として、NHK総合放送で、2013年5月から本の番組が放送され、さらに同年の9月から続編8本放送されたのでご覧になった方も多いでしょう。若い農家が自分なりの農業を展開し東京のマルシェに積極的に出店するのも珍しくなくなりました。
マルシェのだいご味は、採れたての新鮮野菜やその地ならではのローカル食材・加工品・調味料が手に入ることです。
田舎の農家民宿に泊まれば、農業体験として自ら収穫した白菜で、晩御飯の鍋を農家のお母さんと一緒に作り食べる楽しみがありますが、それと同じように、生きの良い野菜を入手し家族で料理を作り美味しくいただくことができます。
写真下は、島根県浜田市の農家で採れた白菜と豚バラ肉を鍋に入れ、刻んだ生姜をたっぷりと、少量の日本酒を加え加熱してポン酢で食べました。霜が降りた畑から収穫した白菜は甘みが豊富で豚肉の油と相まって食材の旨さを堪能しました。
立春を迎え陽射しも春めいてきました。散歩がてらの週末マルシェ散策は楽しいですよ。
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posted by オーライ!ニッポン会議 at 15:12| 犬も歩けば棒に当たる

2019年02月04日

うちの町では鬼もうち

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立春を前に季節の変わり目にやってくる邪気を追い払うのが節分の儀式。うちの町では「鬼は外!」ではなく、「鬼も内!」と言いながら福を呼び込む豆まきが行われるのは愛媛県鬼北町という山村です。
鬼の字がつく地方自治体は、この鬼北町だけということで、まちの活性化プロジェクトでまちを挙げて鬼をテーマに地域づくりを進めています。道の駅「森の三角ぼうし」は、旧広見町森林組合により農業活性化事業の一環(林業構造改善事業)として平成10年1月16日開業しましたが、鬼のモミュメント「鬼王丸」を平成27年2月設置しました以降、入込客数118%。売上金額109%に伸びています。鬼北のゆずを使ったサイダー、地元陶芸家の作品、消防ハッピのリメイクバッグなど個性豊かな特産品がいっぱい。青空市には地元の農家から朝採れの野菜や果物、手作りの加工品が毎日出荷されている。鬼北特産の雉を使った「雉カレー」が食べられる彩り茶屋も人気です。
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 鬼北町にあるもう一つの道の駅「日吉夢産地」は、平成6年4月 道の駅日吉村として開業しました。こちらも鬼のモミュメント「柚子鬼姫(森の三角ぼうしの「鬼王丸」のお母さん)」を平成28年11月設置しています。その後、入込客数111%。売上金額115%に伸びているそうです。この道の駅からは、「松山、大洲」方面と「高知県梼原町」へ分岐する重要な地点です。
 原木しいたけ、ゆず、手作りこんにゃくなど日吉地区の特産品のほか、芋ケンピや川のりなど四万十川流域の珍しい特産品も取り揃えるほか、シャーベットハウスでは一年中、ゆずやいちごなどのさわやかな手作りシャーベットやアイスクリームを味わうことができます。夢産地オリジナルの手作りパン工房で作られる「夢スペシャルブレッド」は、保存料を使わず、フレッシュバターの風味と口当たりの良さが自慢で大人気となっています。また、レストラン森のまどでは、軽食や麺類、定食をはじめ、季節の食材を使った限定メニューや事前の予約でフレンチや会席にも対応できるレストランです。鬼北町の特産は「キジ」「柚子」。二つの道の駅の直売所では、秋になると新米も売られます。
 成川渓谷は、高月山・梅ケ成峠に源流に約3キロのすばらしい渓谷です。川の南側には鬼ケ城山連峰がそびえ、これらの山々から流れる清流が谷川を深く刻みながら花崗岩の岩肌を白く磨き、木々の緑と調和した渓谷美は、成川保養センターの高月温泉とともに、旅の疲れを癒してくれます。
posted by オーライ!ニッポン会議 at 11:30| 日本のふるさと

2019年02月03日

遠野物語の柳田国男、農政の先駆者としての顔

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フリー写真素材ぱくたそ

遠野市を訪問したことから、遠野物語の柳田国男、民俗学の祖である柳田国男のもう一つの顔、農政の先駆者としての姿を知った。柳田が考える農政とはどのようなものだったのであろうか。

並松信久氏(現北陸大学経済経営学部 教授、元京都産業大学 大学院 経済学研究科教授)は、論文「柳田国男の農政学の展開」の中で、柳田国男の農業政策の目的は生産量の増加ではなく、それを通して国民総体の幸福を実現することにあり、これは柳田がJ.S.ミル(JohnStuartMill,1806_1873)のイギリス功利主義の影響を受けていることを物語っている。

論文「柳田国男の農政学の展開」(PDF)
https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21

柳田は民俗学においても、農村や常民を対象にして、協同と自助の精神の発揮をとらえていこうとする。この精神という点においても、農政学と民俗学は連続性をもっていた。
柳田は帰納的な方法を駆使し、史料の欠落による不明瞭な部分は、比較研究によって補いながら、民俗学を構築していった。こういった柳田の学問体系は、後に産業組合論として東畑精一(1899_1983)によって継承されると言っている。(※東畑は、1968年アジアのノーベル賞ともいわれるマグサイサイ賞を受賞した。)
東畑は言う。「柳田は、半世紀後の1961年に成立する農業基本法」に半世紀も先んじていたのである。」柳田は特に、当時の学界や官界で有力であった寄生地主制を前提とした農本主義的な小農保護論に異を唱えた。当時、現に存在した「微細農」ではなく、農業を独立した職業とならしめる規模――2ヘクタール以上――を持つ農業者、すなわち中農を考えた。
日本の農業が、零細農業構造のために世界から立ち遅れてしまうことを懸念し、農業構造の改善を訴えた。具体的には、当時、有力だった「農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべし」ではなく、農家戸数を減少(半減)させ農業の規模拡大を図るべきであると論じた。
東畑は後年、1930年代から50年代にかけて中山伊知郎とともにシュンペーターの大部の主要著作を次々に翻訳し、出版したことで知られる農業経済学者である。
企業者は、創造的破壊を起こし続けなければ、生き残ることができない。という言葉を残したヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれの経済学者である。
企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。また、経済成長の創案者でもある。
この東畑に師事したのは、農業の六次産業化を提唱した元一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構理事長の今村奈良臣である。
柳田は日本の農村は家の存続を最も重視することによって、永続の基盤を成り立たせてきた。そういった家の問題を抜きにして、農政学や農村の存続は考えられないとしている。
柳田によれば、日本の農業経営は商品経済の時代であるにもかかわらず、市場向けの農業、あるいは利潤を目的とする「農企業」に転換できないでいる。
企業に転換できない理由は、農家一戸当たりの農地面積が狭いことにあるという。狭小な農地面積しか保有していない農民を、柳田は「小農」(「過小農」「零細農」)とよび、その経営規模に応じて大農・中農・小農という区分を行なっている。
柳田は小農に対して「中農」を農業収入のみで自立した生活が営める農地面積を保有している農家としている。この中農こそが柳田の考える農企業であり、柳田は小農を中農に引き上げる中農養成を訴える。小農が中農へと規模拡大をするには、農地の購入が必要となるが、その購入資金は産業組合を通じて農民自身が調達すべきであると語る。このような中農養成策は、柳田が提示する分配政策でもあった。
 さらに、柳田は、農民に対して農業技術などの導入を強制するのではなく、農民の自主性を尊重したこと、補助金政策は農民の経営上の判断を損なってしまうとしたこと、社会政策の観点からみていたので、農業政策の目的は生産量を増加させることではなく、農民の生活水準の向上であったと考えていたことの3つが特徴的である。
柳田国男は農業政策を生産政策として理解し、また社会政策として理解して、このような考え方に基づいて業務を行なっていたので、新しい法律の啓蒙を行ない、その施行法を教授するような姿勢をとるのではなく、法律に従わなければならない農民の「生活」の方に目を向ける。柳田は法律の施行にあたって農民の生活ないし生活意識に、どのような変化が起こるのかということを重点的に調べ歩いた。
現在の日本の農業政策の課題とそう変わらない問題を100年前に取り組んでいたことになる。

また、かつて農水官僚であった山下一仁氏が著書『いま蘇る柳田國男の農政改革』を発行し柳田国男を知り彼の論文を読んで執筆した経緯を話している。
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/bg900002/

柳田国男の「100年後の人なら自説を理解できるのではないかと期待を寄せている」という言葉はとても重い。

posted by オーライ!ニッポン会議 at 15:20| 日本のふるさと

百聞は一見に如かず、人馬一体の興奮の坩堝

遠野と馬の関係について

日本在来馬の原郷は、モンゴル高原とされ、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。 
また、古墳時代には馬骨や馬歯、馬具が考古遺跡から出土しており、日本在来馬の存在が確認される。5世紀の岩手県二戸市の古墳跡から先住民が食料にしたと思われる馬の骨が見つかっていることから、古代から岩手には馬がいたと言われている。そしてこの馬は、南部馬の祖先ではないかともいわれているが定かでない。
 景行天皇の25年(西暦95年)。武内宿禰が東夷の視察報告奏上した日本書紀の記述に、南部馬らしきものが登場している。また養老2年(718)の扶桑略記に「蝦夷87人が来りて馬千疋を貢す。即ち位禄を授く」と記録されている。東北地方は牧畜を始め馬を飼っていたと考えられている。
 平家物語で有名は「宇治川の先陣争い」、宇治川を馬で渡ったという源頼朝配下の2人の武将を乗せた馬、佐々木四郎高綱の生咬(いけづき)と梶原源太景季の磨墨(するすみ)はいずれも南部馬といわれている。
 山々に囲まれた小盆地の遠野は古くから南部藩の城下町として、また海岸の釜石や大槌と内陸の盛岡や花巻を結ぶ交易の要衝として栄えた。そこで、輸送の手段としての馬の活用と、寒冷のため米等農業の収穫に不安とあった当地では、男たちが馬で荷物を運ぶ駄賃付けと呼ばれる仕事が重要な資金獲得の手段であったのだ。
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 現在も遠野市は、馬と人との関わりが濃い地域である。
毎年6月に「東北馬力大会 馬の里遠野大会」(遠野市宮森町柏木平優遊広場)が開催される。この大会は、古くから馬産地として栄え、馬と人間が共に住む「南部曲り家」や馬にまつわる文化を育んできた遠野市が、山から木を切り出す地駄引きの技術を継承するためのイベント。重りを乗せたソリを引き、コース上の障害2か所を乗り越える競技である。
 北海道以外では見かけることも無くなった、馬搬の伝統文化を競技として存続させ今年で43回を数える。
 ご老人が屋台の食べ物に目もくれず、じっと簡易椅子に座り、馬搬レースが始まるのを静かに待っている。話しかけると、昔は家には馬がいて子どもの頃は世話をした。懐かしい。今は馬を飼う人も減ったが、馬を見ると懐かしい好きなのだという。馬搬レースが始まるとその人馬一体の気迫と周りの歓声声援に驚かされた。これが人と馬が一つ屋根の下で過ごし仕事をともにしてきた人々の文化なのだろう。遠野物語のミステリアスな雰囲気とはまた異なる遠野の馬事文化である。
今年も初夏に開催される。

第43回東北馬力大会馬の里遠野大会 開催:2019年6月23日(日)
https://tonojikan.jp/event/0623-2/


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