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2019年02月03日

遠野物語の柳田国男、農政の先駆者としての顔

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フリー写真素材ぱくたそ

遠野市を訪問したことから、遠野物語の柳田国男、民俗学の祖である柳田国男のもう一つの顔、農政の先駆者としての姿を知った。柳田が考える農政とはどのようなものだったのであろうか。

並松信久氏(京都産業大学 大学院 経済学研究科教授)は、論文「柳田国男の農政学の展開」の中で、柳田国男の農業政策の目的は生産量の増加ではなく、それを通して国民総体の幸福を実現することにあり、これは柳田がJ.S.ミル(JohnStuartMill,1806_1873)のイギリス功利主義の影響を受けていることを物語っている。

論文「柳田国男の農政学の展開」(PDF)
https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21

柳田は民俗学においても、農村や常民を対象にして、協同と自助の精神の発揮をとらえていこうとする。この精神という点においても、農政学と民俗学は連続性をもっていた。
柳田は帰納的な方法を駆使し、史料の欠落による不明瞭な部分は、比較研究によって補いながら、民俗学を構築していった。こういった柳田の学問体系は、後に産業組合論として東畑精一(1899_1983)によって継承されると言っている。(※東畑は、1968年アジアのノーベル賞ともいわれるマグサイサイ賞を受賞した。)
東畑は言う。「柳田は、半世紀後の1961年に成立する農業基本法」に半世紀も先んじていたのである。」柳田は特に、当時の学界や官界で有力であった寄生地主制を前提とした農本主義的な小農保護論に異を唱えた。当時、現に存在した「微細農」ではなく、農業を独立した職業とならしめる規模――2ヘクタール以上――を持つ農業者、すなわち中農を考えた。
日本の農業が、零細農業構造のために世界から立ち遅れてしまうことを懸念し、農業構造の改善を訴えた。具体的には、当時、有力だった「農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべし」ではなく、農家戸数を減少(半減)させ農業の規模拡大を図るべきであると論じた。
東畑は後年、1930年代から50年代にかけて中山伊知郎とともにシュンペーターの大部の主要著作を次々に翻訳し、出版したことで知られる農業経済学者である。
企業者は、創造的破壊を起こし続けなければ、生き残ることができない。という言葉を残したヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれの経済学者である。
企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。また、経済成長の創案者でもある。
この東畑に師事したのは、農業の六次産業化を提唱した現一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構の今村奈良臣である。
柳田は日本の農村は家の存続を最も重視することによって、永続の基盤を成り立たせてきた。そういった家の問題を抜きにして、農政学や農村の存続は考えられないとしている。
柳田によれば、日本の農業経営は商品経済の時代であるにもかかわらず、市場向けの農業、あるいは利潤を目的とする「農企業」に転換できないでいる。
企業に転換できない理由は、農家一戸当たりの農地面積が狭いことにあるという。狭小な農地面積しか保有していない農民を、柳田は「小農」(「過小農」「零細農」)とよび、その経営規模に応じて大農・中農・小農という区分を行なっている。
柳田は小農に対して「中農」を農業収入のみで自立した生活が営める農地面積を保有している農家としている。この中農こそが柳田の考える農企業であり、柳田は小農を中農に引き上げる中農養成を訴える。小農が中農へと規模拡大をするには、農地の購入が必要となるが、その購入資金は産業組合を通じて農民自身が調達すべきであると語る。このような中農養成策は、柳田が提示する分配政策でもあった。
 さらに、柳田は、農民に対して農業技術などの導入を強制するのではなく、農民の自主性を尊重したこと、補助金政策は農民の経営上の判断を損なってしまうとしたこと、社会政策の観点からみていたので、農業政策の目的は生産量を増加させることではなく、農民の生活水準の向上であったと考えていたことの3つが特徴的である。
柳田国男は農業政策を生産政策として理解し、また社会政策として理解して、このような考え方に基づいて業務を行なっていたので、新しい法律の啓蒙を行ない、その施行法を教授するような姿勢をとるのではなく、法律に従わなければならない農民の「生活」の方に目を向ける。柳田は法律の施行にあたって農民の生活ないし生活意識に、どのような変化が起こるのかということを重点的に調べ歩いた。
現在の日本の農業政策の課題とそう変わらない問題を100年前に取り組んでいたことになる。

また、かつて農水官僚であった山下一仁氏が著書『いま蘇る柳田國男の農政改革』を発行し柳田国男を知り彼の論文を読んで執筆した経緯を話している。
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/bg900002/

柳田国男の「100年後の人なら自説を理解できるのではないかと期待を寄せている」という言葉はとても重い。

posted by オーライ!ニッポン会議 at 15:20| 日本のふるさと