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2019年02月01日

百聞は一見に如かず、人馬一体の興奮の坩堝

遠野と馬の関係について

日本在来馬の原郷は、モンゴル高原とされ、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。 
また、古墳時代には馬骨や馬歯、馬具が考古遺跡から出土しており、日本在来馬の存在が確認される。5世紀の岩手県二戸市の古墳跡から先住民が食料にしたと思われる馬の骨が見つかっていることから、古代から岩手には馬がいたと言われている。そしてこの馬は、南部馬の祖先ではないかともいわれているが定かでない。
 景行天皇の25年(西暦95年)。武内宿禰が東夷の視察報告奏上した日本書紀の記述に、南部馬らしきものが登場している。また養老2年(718)の扶桑略記に「蝦夷87人が来りて馬千疋を貢す。即ち位禄を授く」と記録されている。東北地方は牧畜を始め馬を飼っていたと考えられている。
 平家物語で有名は「宇治川の先陣争い」、宇治川を馬で渡ったという源頼朝配下の2人の武将を乗せた馬、佐々木四郎高綱の生咬(いけづき)と梶原源太景季の磨墨(するすみ)はいずれも南部馬といわれている。
 山々に囲まれた小盆地の遠野は古くから南部藩の城下町として、また海岸の釜石や大槌と内陸の盛岡や花巻を結ぶ交易の要衝として栄えた。そこで、輸送の手段としての馬の活用と、寒冷のため米等農業の収穫に不安とあった当地では、男たちが馬で荷物を運ぶ駄賃付けと呼ばれる仕事が重要な資金獲得の手段であったのだ。
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 現在も遠野市は、馬と人との関わりが濃い地域である。
毎年6月に「東北馬力大会 馬の里遠野大会」(遠野市宮森町柏木平優遊広場)が開催される。この大会は、古くから馬産地として栄え、馬と人間が共に住む「南部曲り家」や馬にまつわる文化を育んできた遠野市が、山から木を切り出す地駄引きの技術を継承するためのイベント。重りを乗せたソリを引き、コース上の障害2か所を乗り越える競技である。
 北海道以外では見かけることも無くなった、馬搬の伝統文化を競技として存続させ今年で43回を数える。
 ご老人が屋台の食べ物に目もくれず、じっと簡易椅子に座り、馬搬レースが始まるのを静かに待っている。話しかけると、昔は家には馬がいて子どもの頃は世話をした。懐かしい。今は馬を飼う人も減ったが、馬を見ると懐かしい好きなのだという。馬搬レースが始まるとその人馬一体の気迫と周りの歓声声援に驚かされた。これが人と馬が一つ屋根の下で過ごし仕事をともにしてきた人々の文化なのだろう。遠野物語のミステリアスな雰囲気とはまた異なる遠野の馬事文化である。
今年も初夏に開催される。

第43回東北馬力大会馬の里遠野大会 開催:2019年6月23日(日)
https://tonojikan.jp/event/0623-2/


posted by オーライ!ニッポン会議 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本のふるさと
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