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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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雨の中を帰国 私の旅の工夫(19) [2012年06月09日(Sat)]
6月9日(土曜日)
6時過ぎにホテルをチェックアウト。まだ、暗い中をタクシーで出発する。外は、激しい雨。
本来、シンガポールの雨季は12月頃の筈。どうも、世界のあちこちで、気象が不安定になっているようだ。
さて、今回の「私の旅の工夫」は、手作りのパソコン用バッグの話。
IDPPに関する今回の出張は、短時日の出張だったので基本的に軽装。そんな時に活躍するのが、いつも私が愛用している小型のガーメントケースと、機内持ち込みが出来るキャリーケースと呼ばれる小型のスーツケースだ。
今回、私はキャリーケースに細工を施したものを持っていった。その写真がこれ。
531CombiBag.jpg
<スーツケースとパソコン鞄がドッキング(下の方の小さい鞄)>

自分で、日曜大工の電動ドリルを使って、キャリーケースに穴をあけ、そこに、レザークラフトで使用するハトメを使って薄型のバッグを取り付けてしまったのだ。その目的は、パソコンの出し入れを簡単にするため。
これまでは、パソコンをキャリーケースの中に入れていたのだが、安全検査の場合、取り出してトレーに入れることを求められることが多く、キャリーケースをその都度開けないといけないことを、面倒に思っていた。そこで、パソコン用ののバッグをキャリーケースのカバーに固定させておき、そこから取り出すようにすれば、キャリーケース全体を開けることなく、取り出しが簡単に出来ると考えた訳だ。
今回初めて使ってみて、便利であることが確認出来たが、係官がこのように合体した鞄というのに慣れていないため、あちこちで、外そうとして「あれっ、これ外れないんですか」と聞かれ、その都度「はい、くっついています」と説明しないといけないのには参った。
着脱可能に再改造しようかと思案中である。

6時半 ホテル出発
8時10分 シンガポール発
16時25分 成田着 
一日中ホテルで [2012年06月08日(Fri)]
6月8日(金曜日)
午前中に予定されていた会議は中止になったので、午前中一杯、部屋でメールを処理したり、資料を読んだりして過ごす。
今回のIDPPミッションはアメリカン大学側で殆ど全行程を作成、相手先との約束の取り付けも行ったのだが、遠隔地から調整が難しかったのか、キャンセルや予定変更が少なくなく、ロジステイックにも粗が目立った。次回からは、我々がアジアサイドでしっかりサポートしていく必要がありそうだ。
3時のデリック教授との打合せまで時間があったので、少しは外に出てみようかとも思ったが、結局、一日、ホテル内で過ごす。目の下にホテルの美しいプールが見えたが、こんなときに限って、水着は使うこともあるまいと、家に置いて来た。
607Spore.jpg
<ホテルの部屋から外をのぞく>

午後3時、デリック教授とハノイに続いて、IDPPについての問題点や改善点、今後の進め方などについて協議。コアメンバーの一人で、IDPPの構想段階からの私の知恵袋であったデカロ教授は、どうしても離せない仕事があるからと今朝早く帰っていったので、私とデリック教授の二人だけでじっくり話し合う。前日のデカロさんのアドバイスが大変参考になった。
4時からは全員で、総括のための全体会議。ラジャASEAN事務局長特別顧問も忙しい時間を割いて出て、貴重な提案をしてくれた。今年の年末で任期を終えるスリンASEAN事務局長にIDPPの学長か快調になってもらおうという話になり、一同盛り上がる。
夜は、ユーウウェンさんの他、アメリカン大学国際関係学院(SIS)の卒業生も交えてにぎやかに。
608Dinner.jpg
<最後の打ち上げパーティーでジョニーさん>

9時 リチャードソン名誉教授ミーティング(中止)
15時 アメリカン大学デリック教授打合せ
16時 IDPPミッション全体会議
18時半 夕食会
シンガポール国立大学で会議 [2012年06月07日(Thu)]
6月7日(木曜日)
12時直前にNTIDのデカロ教授と会うために一階のロビーに降りて行くと、フロントのところで一行にばったり。飛行機の到着が遅れ、今、チェックインの手続きをやっている最中だった。インドネシアの盲人の若者でシンガポール国立大学のリークアンユースクールを卒業し、今は、IDPPの仕事を手伝ってもらっているジョニさんや、日本財団の職員で本事業担当の吉田君も手話通訳の大石さんと元気そうな顔を見せている。
デカロさんが部屋に荷物を置いて降りて来るのを待って、そのまま、昼食をとりながら、二人だけで打合せ。今後のアジア化に向けての手順などに着いて貴重なアドバイスをもらう。彼は、私が11年前に日本財団に入って、聾教育に携わるようになって以来の、聾社会や聾文化などについて、あるいは、障害者問題全般に対する私の先生だ。
その後、全員でシンガポール国立大学ブキテイマキャンパスにあるリークアンユー公共政策大学院へ。自宅がシンガポールにあるため、マレーシアでのIDPPミッションに参加しながら昨日は自宅で寝んだという、ASEAN事務局長のスリンさんの右腕、ラジャ特別顧問も加わった。シンガポール国立大学は、彼の母校でもあるのだ。副学院長のアストリッド教授と全員でミーテイングに臨む。
607NUSLKY.jpg
<シンガポール国立大学で会議>

会議の後は、カジノで有名になったマリーナベイサンズへ。トップフロアーにあるレストラン「クーデター」でIDPPの一期生である聴覚障害者のユーウェンさんと待ち合わせをしているという。57階の空中庭園に上がるにはお金がかかるのだが、「クーデター」に行くなら観覧料はいらないというのだ。
しかし、エネルギーの会社でIT担当者として忙しく働きながらIDPPの授業も受けているというユーウェンさんが手話通訳を連れて現れたのは8時近く。そのころには、周りがうるさくて話が出来ないほど。しかし、手話の世界では騒音は問題に鳴らない。アメリカ手話が出来る吉田君と二人は楽しそうに話していた。手話とは便利なものと感心するも、我々が彼の話を聞くには不適当だ。
そこで、急遽、私の提案で、彼に我々のホテルに来てもらい、話を聞くことに。
タクシーに分乗して、ホテルに戻る道すがら、ユーウェンさんと彼の手話通訳と三人になった私は、彼から本音の話を色々聞くことが出来た。
ホテルでは、10時過ぎまでユーウェンさんを囲んで、IDPPの一期生として、また、聴覚障害者の学生としての苦労話などを詳しく聞くことが出来た。
607MarinaSands.jpg
<夕食会はマリーナベイサンズで>

12時 NTIDデカロ教授打合せ
14時半 ホテル発
15時 シンガポール国立大学(アストリッド副学院長)
19時 夕食会
21時15分 IDPP一期生ユーウェンさんヒアリング
シンガポールに着いた [2012年06月06日(Wed)]
6月6日(水曜日)
午前中に、APCD出向中の日本財団職員の間遠さんとミャンマー案件など諸々の業務打合せを済ませ、お昼は、共同通信沢井支局長や本間記者と一緒。その後、急いでホテルのチェックアウトを済ませ、スカイとレインとエアポートリンクという二種類の電車を乗り継いで、空港へ。シンガポール行きの飛行機に乗り込む。
夜、7時半にシンガポール到着。ホテルには9時前にチェックイン。
IDPPの代表団にマニラから合流した米国の国立聾理工科学院の前学長で名誉教授のデカロさんからメールが入っていた。明日、12時に昼食をとりながら相談をすることに。
明日は、シンガポール大学のリークアンユー公共政策大学院で全員そろっての打合せだ。
607NightView.jpg
<シンガポールの夜景>

10時 APCD出向間遠さん
12時 共同通信沢井支局長
14時15分 ホテル出発
16時25分 バンコク発
19時40分 シンガポール着
IDPPミッションにシンガポールで再び合流 [2012年06月05日(Tue)]
6月5日(火曜日)
IDPPミッションのベトナム以降の過程を日本財団の同僚の石井君や、吉田君にバトンタッチして一旦、日本に帰国したあと、再び、IDPPミッションに合流するための出張だ。
ただ、元々は明日出発の予定でいたのだが、最後の訪問国であるシンガポールでの総括会議に参加する前に、バンコクでAPCD出向中の間遠さんと協議するため、一日早く出発して、バンコク経由とすることになった。
夕食時に、NHKバンコク支局寺沢記者と会って、障害者問題の現状に着いて説明。また、月末にミャンマーのネピドーで開かれる予定の国連障害者権利憲章批准記念式典の取材の可能性などについて相談する。

11時00分 成田発
15時40分 バンコク着
19時 NHKバンコク支局寺沢記者
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