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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ゆったりとした空気が流れる南国タイランド [2010年09月21日(Tue)]
9月21日(火曜日)          
北京からバンコクに着いてみると、一昨日のタクシン支持派の大規模集会の痕跡もなく、南国タイのゆったりとした空気がいつにも増して心地よい。
今日は、久し振りに朝日新聞の山本記者と昼食を一緒にとる。彼はバンコク駐在だったが10月早々の帰国が決まったとか。折角、親しくさせてもらっていただけに残念。日本での再会を誓い合う。
夕方、マルベニタイランドの内藤副社長と会う。カンボジア義肢装具士養成学校の新校舎建設の進行状況と完工式の日取りを相談。完工式には出来ればフンセン首相にも来てもらいたいので日程の設定に一工夫が必要。
内藤さんには、プノンペンのカンボジア盲人協会(ABC)本部ビル建設で土地の手当てやらなにやら大変お世話になった。ABC本部ビル建設に当たっての大変丁寧な仕事ぶりが評価され、今回のカンボジア義肢装具士養成学校の新校舎の建設に当たっては、施主のカンボジアトラストから建設を任せたいと直々の指名があったもの。
その後、フジテレビ江藤バンコク支局長も加わり3人で夕食。10月末にハノイで行われる予定のASEANオーケストラの取材の件などを打合せ。


               <トゥクトゥクがのんびり走るバンコク市内>

12時半 朝日新聞山本記者
18時 マルベニタイランド内藤副社長
19時 フジテレビ江藤バンコク支局長
中国の光と影 [2010年09月20日(Mon)]
9月20日(月曜日)          
朝8時、市内南部にあるホテルから本多さんと二人、タクシーに乗り込む。今日から北京大学で行われる日本財団グループの支援事業の関係者若手を集めたBABAセミナーのオリエンテーションで日本財団グループに関するプレゼンテーションをするためだが、その前に主催者であるIRCのラジャさんとの打合せも入っている。
北部の北京大学キャンパスまでは通常は一時間弱の距離。しかし、今日は途中で交通事故らしき現場を通ったこともあり1時間半かかってしまう。
北京大学の新校内に出来たばかりのモダンなホテルのロビーで、3人で打合せをした後、徒歩で10分ほどの北京大学国際交流センターに設けられたBABAの会場へ。今回の参加者は13ヶ国から26名。うち、女性が11人。
プレゼンテーションを終えたあと、メインスピーカーとして来てくれていたThe Nationグループの編集副主幹のカビさんと暫し雑談。彼はこの後、モンゴルに行きエルベグドルジ大統領と単独会見する由。何でもハーバード留学時代の知り合いなのだそうな。置き薬事業など日本財団のモンゴルでの事業について説明を求められる。置き薬事業の詳細は、たまたま今回のBABAに参加者として来てくれていた現地NGOワンセンブルウのオユン事務局長に任せ、私はひとり空港へ。


                <各国の民族衣装を着て自己紹介する参加者たち>

北京大学から車に乗ったとたん、雨が振り出した。街の様子をカメラに収めようとしていると、運転手がスピードを緩めると同時に、電動式の窓を開けてくれた。丁度オリンピック競技場、所謂「鳥の巣」の前。私がてっきりそれを写そうとしたものと勘違いし親切に気配りしてくれたもののようだ。折角なので一枚パチリ。すると、にっこり笑って窓を閉めてくれる。
中国人にとって今回の北京オリンピックを成功させたことは大変な自信になったようだ。今回久し振りに会った日本留学OBで北京市政府で働くフォンさんが話してくれたのだが、オリンピックの次の目標は北京を世界都市にすることなのだそうな。世界都市という言葉には余りなじみが無いが、どうやら「世界のトップレベルの都市と並ぶような一流の近代都市」、「世界のどこに出しても恥ずかしくないような都市」というような意味が含まれているようだ。気が付くと道路の脇にはあちこちに中国語のスローガン「国際品牌 世界城市」と英語のスローガン「International Brand --- World City」が踊る幟が下がっていた。


           <オリンピックの次の目標は北京を世界都市にすること>

しかし、今回の出張でも見たように、表面的には躍進ぶりばかりが目立つ中国にも影の部分が無いわけでは勿論ない。発展から取り残された人々や、政治的な弾圧に抵抗する不満分子の存在だ。笹川会長が9月15日付のブログで紹介しているように(https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2597)監視の目をかいくぐりながらも、中国国内にも反政府運動は存在しているのだ。私自身も今回の滞在中に反政府的な文言が書き込みまれた一元札を見ることが出来た。こちらは会長が見たゴムスタンプのような書き込みではなく、ちゃんとプリンターで印刷したもののようで、殆ど元々の印刷かと見まがうほど。よく見ないと見逃してしまいそうだ。
書いてあったのは「天滅中共開始快快退党団隊大難来時命能保」その意味は、「天が中国共産党を滅ぼすのが始まった。早く、退党せよ。そうすれば、大難が来た時には命が助かるであろう」という物騒なもの。腕が悪いのかカメラのせいか、ピンボケの写真だが、書き込みは2箇所。赤で囲った円の部分だ。


          <反政府運動によるものとみられる書き込みのある一元札>

バンコク行きの飛行機のなかではいつものようにタイの英字紙The Nationを所望。トップニュースは昨日開かれたタクシン支持派「反独裁民主統一戦線」による集会のこと。タクシン元首相を失脚させる2006年のクーデターから丁度4年。参加者6000人は4月の騒乱以来では最大規模。タイの方でも、政治的な安定には尚、時間がかかると言うことのようだ。



8時 ホテル出発
9時半 ASEANラジャ事務局長特別顧問
11時 BABAリトリート会議
13時半 北京大学出発
17時05分 北京発
21時15分 バンコク着
日曜日だが出勤日 [2010年09月19日(Sun)]
9月19日(日曜日)

                  <再開発された観光名所「什刹海」>

北京市内は、今日は朝から青空が拡がった。気持ちの良い秋晴れだ。なぜか、財団のメールシステムもコンピューターを色々試しているうちに回復した。白くなっていた私の携帯電話の画面も、いつの間にか正常になっていた。狐につままれたよう。
理事長が別件で、胡さんと一緒に出かけてしまったので、残された本多さんと私の二人は昼食を取りに街中に出掛けることにした。昼食まで少し時間があるので、少し街歩きをすることに。北京には何度も来ている私にとっても本当に久し振りの市内での自由時間。
ホテルからタクシーで、有名な鐘楼と鼓楼のある什刹海公園といわれる地区へ。3つの湖(西海、后海、前海)を囲むこの一帯には、胡同といわれる小道や四合院という昔の住宅など、古い北京の町並みを残し再開発された地区で、観光客にも人気のスポット。外国人以上に、中国人観光客が目に付く。近年、中国政府は内需刺激策の一環として、国内各地の観光スポットを整備し、中国人観光客の誘致に乗り出したようだ。
一時、中国では古いものは遅れたもの、新しいものが進んだものとされ、骨董には誰も見向きもしないという時期があったが、今では、若者にも骨董など古いものがブーム。胡同や四合院が地元の若者にも、国内からの観光客にも人気だ。中国のお金持ちは日本の骨董店で昔、中国から日本に流出した古美術を買い漁っているともいわれる。


                     <なぜかオバマTシャツが人気>

次いで、国際交流基金の杉田所長に勧められた前門の前の大通りへ。ここは中国にはまだ珍しい歩行者天国。中央部には既に路面電車のレールが敷かれ開通を待つばかりになっていた。大通りの両側は、レトロな町並みを再現され、北京ダックで有名な全聚徳、漢方薬の名店「同仁堂」など所謂、大鉄からリクエストされた「老舗が並ぶ大通り」そのもの。爽やかな天気だが、歩き回っているうちに汗ばむほどになった。
途中、店員や案内係、運転手などの中国人から何度も、「日本人か」と聞かれる場面があった。すわ、尖閣問題で文句を言われるのかと身構えてしまったが、総て肩透かし。「日本人だ」と答えると返ってきたのは、「そうですか」、「こんにちは」、「ありがとう」などの片言の日本語と笑顔ばかり。
日本でテレビを見たり新聞を読む限りは、反日デモや厳しいコメントばかりで、中国中が尖閣問題を契機に極端な反日ムード一色になったかのよう。しかし中国に来てみての実感からは、反日デモをする人たちがいる一方で、庶民のレベルでは、一々観光客を捕まえて文句を言うほどの問題ではないようだ。今回お会いしたマスコミ関係者からは「確かに我々は極端な例を探して報道していると言う側面はあるでしょうね」と自戒を込めた発言もあった

       <再開発されて歩行者天国になった前門大通りにはユニクロも>

夕方、北京大学国際関係学院の新旧副学院長らと今後の奨学金事業の方針についての会議。学院長の王教授は出張中で不在。
今日は日曜日だが出勤日という不思議な日。その訳とは、今年は、10月1日の国慶節が金曜日なので、それに続く土日を併せると3連休となるが、国務院からのお達しは、更に、4日(月曜日)から7日(木曜日)までの平日の4日間も休みとし7連休にする、というもの。尤もただ休みが増えよう筈もなく、その代わり、9月の19日、25日、26日、10月9日の4日間は、土日であるにも拘わらず公務員は出勤すること、とされているのである。
それだけではない。今年は、その直前の9月22日から24日までが中秋節でお休み。国慶節は太陽暦の10月1日に固定されているが、太陰暦に基づく中秋節は毎年、太陽暦上の日にちが異なるため、いつもこのようになるという訳ではない。そこで、今年は、年休を利用して中間の出勤日も休みにして、超長期の休暇に入る計画を立てている人もいるのだとか。

               <観光客で賑わう前門地区 漢方で有名な同仁堂>

兎も角、このような秋の連休シーズンを間近に控えて、北京市内の道路は久し振りに激しく渋滞。現地の新聞報道によれば、北京市内で移動速度が時速20キロ以下の渋滞状態になった箇所が一昨日の金曜日には140箇所に達したという。これは、今年初めの雪害時に生じた90箇所の記録を大きく塗り替える過去最悪記録だという。その原因は、雨が降った週末ということに加えて、中秋節と国慶節に繋がる長期休暇を前に、その準備の買い物に車を使う人が集中したためであると見られている。

                    

10時半 市内観光
16時 ホテル出発
17時 北京大学国際関係学院との会議
18時 北京大学国際関係学院夕食会
満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日 [2010年09月18日(Sat)]
9月18日(土曜日)
昨日の夜は早く寝たので6時前に目が覚める。ベトナムの状況が気がかりなのでメールをチェックしようとして更なる異変に気が付いた。財団のメールシステムに繋がらないのだ。はて、予告を見た記憶はないが、定期メンテナンスの週末に当たったのか。それとも、システムに故障でも生じたものだろうか。
普段の週末ならメールなんてない方が気が楽なのだが、今は別。カンボジアやベトナムなどこれから向かうところとの連絡は不可欠。困ったことになった。今日会う筈の北京大学からの日本留学生OBのフォンさんからの返事も、今頃はメールで来ているのでないかと思うが、見ることが出来ない。携帯電話の不調に加えて、財団の内部メールまで繋がらないとなるとこれは大変だ。
今回の出張はまるで何かに祟られているかのよう。あちこちで不測の事態が起こっている。そう言えば、ベトナムの事業パートナーのカバントランさんは数日前、娘さんと奥さんが交通事故に遭い病院に担ぎ込まれたので出張を取りやめる、と切羽詰った声で電話してきたままだ。その後、どうしたのだろうか。また我が家の長女の夫君も心臓に欠陥が見つかり緊急手術が必要になったと、娘から連絡があったのも気懸りだ。
どうも今回の出張は不吉だ、とぼやきつつ、フォンさんの携帯電話の番号に掛けてみるが呼び出し音はするものの、なぜか誰も出ない。気は急くがどうにもならない。
漸く、10時ころ、ホテルの部屋の電話が鳴る。フォンさんから電話。やはり昨日の夜メールをくれたのだという。ところが私から確認の返事がないので不審に思って電話をくれたのだと言う。
お陰で、無事、ホテルのロビーに車で迎えに来てくれたフォンさん夫婦と合流。日壇公園の中にある感じの良い中華レストランに連れて行ってくれる。


                   <とてもモダンなレストランの内部>

途中、北朝鮮大使館などが並ぶ通りを通り過ぎたとき、警察官が立ち並ぶ一角があった。フォンさんはロシアのメドベージェフ大統領か誰かが来ている筈で、そのため、ロシア大使館の警備が強化されているのでは、と言う。しかし、あとで確認してみるとこの辺りには日本大使館がある。ロシア大使館の場所、東直門はもう少し先だ。
今日9月18日は、満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日(1931年)。日本大使館でのデモを警戒する警官たちであったようだ。その日の夕方のニュースによれば、私たちが通過した直前の午前11時45分ころ、日本大使館近くに20代から30代の若者を中心に、尖閣列島での漁船拿捕問題を抗議する約40人のデモ隊が結集。これを上回る人数の警官たちがデモ隊を大使館入口に近づけないよう厳戒態勢を取ったとのこと。
結局たいしたことにはならなかった模様。とは言え、自信をつけた中国人が、今や日本より欧米に熱いまなざし、を送っているのは間違いない。フォンさんたちではないが、日本に留学したことのある中国人が、欧米に留学すべきだったと後悔している、と言う話は何度も聞いたことがある。中国はもう日本を追い越した。学ぶべきものは無くなったというのだ。日本人がバブル経済に浮かれて有頂天になっていた頃、もう欧米から学ぶものは無くなったと思っていたのと同じこと。


           <欧米風のタイトルをつけたファッション雑誌が溢れる>

フォンさん夫婦とは、日本財団の北京大学国際関係学院の院生に対する対日留学事業の現状について暫く話した後、尖閣列島問題を巡る話で盛り上がる。
北京市政府に勤めるフォンさんとしては、船長を逮捕した日本政府の対応は納得が行かないようだ。私からは日本政府の立場からの視点を説明するとともに、南シナ海での南沙諸島などの問題での、東南アジア諸国の中国の強大化に対する警戒心などを指摘。
領土問題は感情的な問題になりやすいが、日中両国ともに冷静な対応が必要という点では合意。フォンさんは、5年前に日本でお世話になったホストファミリーのお母さんとは今でも付き合いがあるそうで、最近も電話がかかってきて、9ヶ月前に生まれたばかりの升升(シャンシャン)ちゃんの写真を早く送るようにしかられたと嬉しそうに言って頭を掻いた。


            <日壇公園の中にある中華レストランの前で記念撮影>

食事を終えてレストランから出てみると雨は上がり、公園の緑が映える。すこしひんやりとする爽やかな空気だ。公園の入り口に、今の気温は18度という掲示板を見つけて納得。この公園の前の通りの商店に、何故かロシア語の表記が多いのに気付く。フォンさんによると、この辺りは古くからロシア人が多く住んでいるため、毛皮などロシアの産品を売る店が多いのだとか。

             <日壇公園の前はロシア人のショッピング場所>

夕方5時半、日本から到着した尾形理事長、胡一平さん、本多真紀さんらと合流し、車で一時間近くかけて北京大学の近くにあるレストランへ。一昨日以来の雨は完全に上がり素晴らしい秋空が顔を覗かせた。昔から歌にも歌われてきた北京が最も美しくなる季節、秋の到来である。
北京大学の実質ナンバーワンである閔維方教授、北京大学副校長兼国際合作部の李岩松さんら大学のトップの人たちが待っていてくれた。中国の各組織には一般に共産党を代表する人と、実務を代表する人という二人のトップがいることが多い。例えば、地方の組織単位である各省には、省共産党委員会書記と省主席が並立している。どちらの権限の方が大きいか、一般には党書記であると考えられている。
同様に、北京大学には校長の他に共産党委員会書記がいる。閔教授の肩書きは党委員会書記である。日本財団の笹川会長や尾形理事長とは古くから親交があり極めて親しい間柄である。


               <ロシア語だけで表記された店>


12時 北京大学日本留学生OBフォンさん夫妻
17時半 ホテル出発
18時半 北京大学閔教授らとの夕食会
今日も雨 世界銀行北京事務所へ [2010年09月17日(Fri)]
9月17日(金曜日)

                 <雨に煙る北京市内>

朝起きてみると、部屋の中は8時近いのに暗い。窓にかかっている厚手のカーテンを開けてみると外は雨。窓の下に広がる建国門外大通りは車が渋滞しているようだ。今日は世界銀行北京事務所で10時からのアポイント。タクシーさえ捉まれば10分もかからない距離だが、ホテルの前のタクシースタンドは長蛇の列。タクシーをあきらめ、近くの地下鉄の乗り場まで歩いて、地下鉄に乗る。
つい数年までは2つの路線しかなかった北京の地下鉄だが、北京オリンピック直前の突貫工事でいくつもの新規路線が開業。これが社会主義体制の強み。高速道路でも、高速鉄道でもお上が決定さえすればあっという間に出来てしまう。
わずか二駅で目的地の国貿駅に。傘を差した人たちに混じって世界銀行の入るビルに急ぐ。数多い出張だがこれまでは不思議なことに、私の出張時はいつも晴れか、雨が降るとしても、建物の中で会議や食事中あるいは、車の中。昨日に次いで2日間連続で傘をさして外を歩くとは、一体どうしたことだろう。


                 <世界銀行北京事務所の入るモダンなビル>

世銀での話は、モンゴルでの伝統薬置き薬事業に関するサーベイミッションの件。私からは、最近のモンゴル政府の方針を報告。
モンゴル保健省としては、置き薬事業の全国展開を内定し、国民健康保健の対象とする方向で検討中だが、基本的には国際金融機関からの借り入れに頼らず、自己資金を中心の展開を考えている。そのため、世界銀行からのローンを受け入れる可能性はなくなったと考えてよい。ただ、日本財団としては、置き薬システムの有効性を科学的に検証しておくことは重要であると考えており、引き続き、世界銀行による専門家の調査チームの派遣を希望していると説明。
これに対し、今回初めて会った、王さんの上司のランゲンブルナーさんからは、置き薬の事業を非常に高く評価する、調査チームの派遣にはぜひ協力したいとの発言があった。
そして、世銀のワシントン本部から近々出張してくる幹部に私も直接会って、モンゴルのみならず、東南アジア各国に広まりつつある置き薬事業の状況と展望を説明することが望ましいとの結論になった。そこで、私の名前で、会見を申し入れるレターを書くことになり、早急にドラフトを私が用意し、それをランゲンブルナー氏が目を通し内容を確認した上で先方に送ることになった。


                   <これが世界銀行北京事務所の受付>

ホテルに戻る途中、カンボジアでのラジオ教育放送事業の件で携帯に電話が入る。カンボジア教育省の全体会議が大臣の指示で延期になり、開始式典は原案通り、教育大臣ら幹部全員の出席の下で行われることになった由。
ただ、この事業の実施主体で我々の作ったNGO「ESCきずな」の名誉会長のブンサンボ官房副長官は、急遽決まったフンセン首相の米国訪問に同行するために欠席とか。彼にはスピーチをお願いしていただけに残念。
私は一人の時は昼食は取らない。ホテルの部屋に籠って、日本やベトナムとメールのやり取り。そうだ、世銀のランゲンブランナーさんに勧められた彼の上司のウリベさん宛てのレターも書き上げ送ってしまおう。
それやこれやで、部屋の中が薄暗くなっているのにも気が付かなかったが、ふと、携帯電話の画面を見ると、薄く白っぽくなっている。最初はパソコン画面を見続けたために、自分の目が霞んだのかと思ったが、そうではない。色々画面の設定を変えてはみるがどうにも戻らない。画面の色が薄いだけなら良いが、これが携帯電話自体の故障の前兆なら大変。そうでないことを祈るばかりだ。
夜は、共同通信の水野記者と夕食。ホテルに戻るとまだ9時前だったが、くたびれたのでメールをチェックしただけで早々に寝てしまう。

 
                  <スターバックスの漢字表記は「星巴克」>

10時 世界銀行北京事務所訪問
18時 共同通信水野記者
尖閣列島を巡る日中衝突さなかの中国出張 [2010年09月16日(Thu)]
9月16日(木曜日)
今日は、15日間の長い出張。最初の目的地は北京。自宅から近いので今回も羽田からの出発。しかし、いつものように国際線ターミナルは大勢の乗客でごった返し、まるでJRの駅構内のよう。漸く来月に迫った新しいターミナルの使用開始が待ち遠しい。
搭乗時間になり、飛行機の機内に入る直前に、とんでもないことに気が付いた。
いつも、身に着けている予備の財布を持って来るのを忘れた!!!これまで、200回以上出張しているが、こんなことは初めて。
尤も、忘れたのはあくまで予備の財布。もう一方の財布の中にはかなりの日本円と若干のドル、とクレジットカードも入っているので当座は全く困らない。しかし、忘れた方の財布には、使い残しの各国紙幣とドル現金が入っている。
出張直前に、今回の出張の訪問国5カ国総ての、手持ちの余り通貨をわざわざ整理して入れておいたのに、戸棚に入れたまま出てきてしまったのだ。一旦は、観念して機内に入るが、そうだ、明後日北京で合流する日本財団職員の本多さんに持ってきてもらおうと思いつく。
全日空北京便の飛行は順調、定刻より若干早めに北京空港に。空港を出たところで、予約していた車の運転手が鍵を車の中に入れたままドアを閉めて外に出てしまったため、車に乗り込むことが出来ない、と聞かされる。自分も財布を忘れて来たばかり文句を言える身分ではない。苦笑いしながら、車の鍵が到着するのを待つ。しかし、20分ほどと言われていたが、結局、50分も待たされる羽目に。
 
           <世界最大といわれる北京新空港内部 確かに広い>

車を待ちながら思いを馳せる。今回の出張は準備段階から波乱含み。当初の予定に無かったベトナム行きが付け加わり、15日間という日程になったのだが、出発直前になっても、あちこちのスケジュールが固まらず、あたふたさせられた。
例えば、明日の世銀でのミーティングも、予定が漸く確定したのは一昨日。また、22日に予定していた、カンボジアでのラジオ放送事業の開始式は、出張の出発直前の13日になって突然、同じ日に教育省の全体会議が丸一日開催されることになり、同省の役人全員及び県教育局の職員ら開始式に招待した教育関係者が誰も出席できないとの連絡が入り、延期か強行か再検討する羽目に。ハノイでの予定は最悪。ベトナム外務省との会合の時間は二転三転、ついに、日程が決まらないまま出発。
海外出張の場合、現地での予定が一部決まらないまま出発することは珍しくは無いが、ここまで主要な日程が総て未確定というのは初めての体験。


                     <ユニークな形のビルが増えた>

約一時間遅れで、北京のホテルにチェックインして間も無く、日本財団のASEANオーケストラ事業担当の横内さんから私の携帯電話に連絡。ベトナムで問題発生、至急現地に連絡しようと携帯電話にかけようとしても、繋がらないという。確かに、私の方でも何度掛けても繋がらない。こうなると、慌ててみても仕方がないので、メールを使ってこちらの考え方などを連絡することに。
一方、世界銀行の王さんからは、時間変更の連絡が入っていた。一方、ハノイ外務省との会議は、29日の11時に漸く決まったとの連絡。結局、北京のホテルでは到着直後から、夕方まで半日たっぷりメールで出張予定先の各地との連絡に忙殺される。
ふと気がつくと、国際交流基金北京事務所の杉田所長との約束の時間になっていたので、慌ててロビーに降りる。途中のエレベーターの中にはマツタケの料理の宣伝ポスター。そうか、丁度今は、マツタケの季節。数年前に雲南省でマツタケをたっぷり使った中華料理を食べたことを思い出す。でも、結論はマツタケの香りは中華料理には邪魔なだけということを発見。

                <ホテル内レストランのマツタケ料理の宣伝ポスター>

マツタケを尻目にエレベーターを降り、ロビーで杉田さんと合流。近くのレストランへ行こうとして雨が降っているのに気がつき、ホテルの傘を借りる羽目に。私はいわゆる「晴れ男」、出張中に雨に降られることは殆ど無い。雨季の東南アジアでさえ、雨が降るのはいつも建物の中にいるときか、車の中。徒歩で外に出る時は止んでいるといった具合。それなのに、今夜は雨の中を傘を差して歩く。
夕食には、杉田所長と大学が同窓のNHK中国総局記者のお二人、宮内さんと吉岡さんも合流。話題は、最近の尖閣列島を巡る日中の衝突。注目は明後日18日の反日デモ。この日は、満州事変の記念日。関東軍の自作自演だったと言われる鉄道爆破「柳条湖事件」が起きた日だ。マスコミの皆さんにとっては当分忙しい日が続きそう。
確かに、中国国民の間では、オリンピックや万博の成功、そして何より目覚ましい経済発展により日本を追い越し、世界第二の経済規模になったことによる高揚感のようなものを感じる。それが、一部に偏狭な愛国心となって表れているという面もあるようだ。しかし、個人的なレベルで日本に対する反感が広がっているかと言えばそうではないように思う。確かにマスコミ報道にはそのような話が出てくるが、それが総てかと言うとそうではない。むしろ、反日の場面、発言ばかりを選んで報道しているきらいもある。まあ、それがマスコミの宿命かもしれない。
事実、杉田所長によれば中国人の日本語学習熱は大変なものだそうな。国際交流基金によれば日本語を学習している人は世界中で365万人。そのうち、最大が韓国で96万人、次が中国で83万人、インドが3位で72万人と続く。一方、国際交流基金が昨年実施した外国人のための日本語能力検定試験の受験者は61万人、そのうち中国人は最大で33万人と過半を占めているという。経済的理由があるとは言え、単純に中国人を嫌日と見るのは事実に反するのではなかろうか。

                     <雨に降られるのは何年ぶりか>


9時30分 羽田発
12時20分 北京着
18時 国際交流基金杉田所長
シンガポールから帰国 新型スカイライナーに乗る [2010年09月01日(Wed)]
9月1日(水曜日)

昨夜遅くシンガポールに着き、一泊しただけで早朝の帰国便に乗る。
飛行機が房総半島の上空に差し掛かると、海岸線に沿って風力発電の巨大な風車群が立っているのが見えた。うかつにもこれだけ頻繁に成田空港を利用していながら、これまで気がついたことはなかった。いつの間に建てられていたものか、、、。
飛行機は、ほぼ定刻の午後4時過ぎ成田に到着。


                 <房総半島には風力発電の巨大な風車群が>

タイミングがうまく会ったので、成田からはいつものNEXではなく、京成電車の新型スカイライナーに乗ってみる。丁度前々回の出張からの帰国の当日、7月17日が開通日だった。このときJRのホームから初々しい姿を見てはいるが乗るのは初めて。
京成本線を経由する従来のルートに替えて、新設の成田スカイアクセスを経由するルートを通る。新設区間では最高時速160キロと高速にもかかわらずNEXに較べ揺れが少ないように思えた。これまでのスカイライナーより15分早く日暮里に到着。


                  <京成新スカイライナーで日暮里に到着>

6時 ホテル出発
8時15分 シンガポール発
16時20分 成田着
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