重度障害者となったマイさんのこと [2009年12月02日(Wed)]
12月2日(水曜日)
<Mai Never Gives upと題されたマイさんの著書> 国際的な障害者団体DPI=Disabled Peoples' Internationalのアジア・太平洋支部(DPI/AP)に事務局長のサワラックさんを訪ねる。DPIは障害当事者が障害の枠を超えて連帯するために設立された国際組織。120カ国余りが加盟する。日本財団は現在、DPI/APを通じてベトナムのハノイにベトナム初の障害者の自立支援生活運動(IL=Independent Living)を導入、そのための拠点となるIL Centerの設立を支援している。 日本財団は前事務局長トッポンさんが存命だった数年前までDPI/APに対し事業支援を行っていたので、その当時、私は事務局には何度も訪問している。しかし、その後、ある事情により支援を停止したため、DPI/APとの関係は疎遠になっていた。私にとっては今の事務所の訪問は初めて。教えられた住所を頼りに行ってみると、案に相違して高級住宅街の中にある瀟洒な一軒家が本部であった。歩み寄る私の姿に気づいてサワラックさんが車いすで出迎えてくれた。 <サワラックさんの陽気な歓迎を受ける> ベトナムでの障害者自立支援生活運動(IL=Independent Living)については、重度の肢体障害者など障害当事者が同じ仲間として助言するピアカウンセリングという手法を教えるため、タイからもDPI/APのメンバーが遠くハノイまでに出向いてくれている。最近、それとは別に、DPI/APから日本財団に対し、ASEAN(東南アジア諸国連合)事務局と組んでASEANの中にASEAN障害者フォーラムを設置しようという提案があった。今回の出張でベトナムでASEAN事務局長特別補佐官のラジャさんと会った際に、ASEAN事務局としての意向を受け、障害者フォーラム設立に向けた基本方針につき確認したので、それを踏まえて具体的な手順などに付いて事務局長のサワラックさんと協議するのが今回の訪問の目的。 <事務局のスタッフたちと記念撮影> もう一つ、私が楽しみにしていたのは、そのベトナムでのピアカウンセリングの指導員のリーダーとして活躍してくれているマイさんに会うことであった。マイさんはJALのスチュワーデスであった1999年に交通事故に遭い脊椎を損傷、首から下の自由を失うことになった。一時は、自分の人生に絶望し他人を拒絶し孤独の殻に閉じこもっていたというマイさんだが、DPI/APの当時の事務局長でマイさん同様に交通事故による脊椎損傷の被害者であったトッポンさんの励ましを受けて、障害者運動に積極的に参加するようになった、という。 今も身体の大半が麻痺のため不自由で、水を飲むためにも介助が必要と言う重度の障害が残るマイさんだが、流暢な英語を武器にDPI/APの幹部として、国際交流などの分野を中心に活躍している。物静かな中に強い意志と深い知性を感じさせる人であった。マイさんが自分の人生の転機について書いてベストセラーになったタイ語の本を購入。 <物静かなマイさん> 10時 DPI/AP事務所訪問 11時半 APCD二ノ宮所長 13時 DPI/AP事務所での協議 17時半 オフィスOh訪問 |