WHO伝統医療サミット始まる [2008年11月07日(Fri)]
11月7日(金曜日) 朝8時にホテルを出て九華山荘に向かう。朝の混雑を見越して、余裕を持ってホテルを出発したところ、拍子抜けするほど車はすいすいと進み、あっという間に会場に到着してしまう。 開会式はマーガレット・チャン総裁出席の下、中国の保健大臣を始め、80カ国から1000人が出席して行われるという大規模なものであった。基調講演でのスピーチを辞退したモンゴルに代わって、ミャンマーのチョウミン保健大臣がスピーチをした。ミャンマーも日本財団のモンゴルでの成功に刺激されて、昨年から自国内で置き薬を基本とする伝統医薬品のパイロット事業を開始、来年からは日本財団が協力して全国展開を始める運びとなっている。
<WHO国際会議の開会式>
チョウミン保健大臣はハンセン病対策などの事業を通じて、日本財団の笹川会長と大変親しく、今回も、再会を大変喜んでいた。また、私が来月、ミャンマーでの事業の打合せでミャンマー訪問を予定していると伝えたところ、ご自身が会うからスケジュールを調整するよう同行のティン・ニュント伝統医療局長に指示を与えた。 我々は、チョウミン保健大臣のスピーチを潮に一旦、市内のホテルに引き揚げることとした。 その後、社会科学院で開かれた日中交流30年史出版記念座談会に出席。この本は、笹川平和財団が支援したものである。 引き続き、笹川会長とマスコミ関係者との懇談会に同席して本日の予定は終了。
<会場は大規模なリゾートホテル> 8時ホテル出発 10時 WHO伝統医療サミット開会式 14時 日中交流30年史出版記念座談会 18時半 朝日新聞 市川中国総局長 19時 読売新聞中国総局河田総局長
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引き続き北京へ [2008年11月06日(Thu)]
11月6日(木曜日) 前日、米国出張から帰国したばかりだが、再び北京へ向かう。日本財団の担当者中嶋君、笹川記念保健協力財団の紀伊国理事長と3人一緒の旅。 今回の出張の目的は北京で行われるWHO(世界保健機関)主催の伝統医療をテーマの国際会議に出席するため。WHOは創立40周年となる今年、周年記念の特別行事として伝統医療をテーマにしたハイレベルの国際会議を行うことにした。これに、ホスト国として手を挙げたのがマーガレット・チャン総裁の出身地、香港の支配者、中国政府である。 そして、WHOが伝統医療をテーマの会議を40周年記念行事として行うことに、少なからず寄与したのが我々が4年前からモンゴルで行っている置き薬方式による伝統医療普及事業の成功と、それを紹介するためにWHOと日本財団が共催して行った昨年のウランバートルでの会議であったことは間違いない。その証拠に、WHOは今回の会議の冒頭での基調講演にモンゴル保健大臣の出席を求め(残念ながらモンゴル側の事情で、実現しなかったが)、民間財団としては唯一、日本財団に本会議でのスピーチを要請して来たのだ。明後日行われるこのスピーチは、今夕米国から北京に到着する笹川会長が行うことになっている。 北京に着くと、最近いつもお願いしている運転手の付さんが迎えに来てくれていた。私と紀伊国理事長は笹川会長一行と同じ別のホテルなのだが、先ず、国際会議の会場となる北京北郊のリゾート九華山荘に向かい、会場の下見をすることにする。 ところが、30分ほどで着く筈の九華山荘になかなか着かない。ベテラン運転手で九華山荘には自身が行ったことがあるという付さんにしても、オリンピックに合わせて、最近急ピッチで整備された高速道路網の中で迷ってしまった、とう訳だ。一時間以上かかって、ようやく、九華山荘に到着。 大変大きな敷地に大きなホテル棟が点在するという大規模な施設であった。主催者側は、参加者に対し会場内にホテルを用意した、という。しかし、ここでは、市内から一時間以上かかる場所で、会議以外のことをするには不便極まりない。会長や我々がわざわざ宿泊場所を市内のホテルにした所以である。 ひとり会場内のホテルに泊まる中嶋君を降ろし、私と紀伊国理事長は再び付さんの車に乗り込み市内へ。 ホテルに着いた後、7時から紀伊国理事長と共に、読売新聞中国総局河田総局長と会食。夜9時、アメリカから笹川会長らが到着。10時35分 成田発 13時40分 北京着 19時 読売新聞中国総局河田総局長 21時 日本財団笹川会長らと合流
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シカゴ経由で帰国の途に [2008年11月04日(Tue)]
11月4日(火曜日) 朝暗いうちにホテルを出発し、空港へ。シカゴ経由で帰国の途に。
5時 ホテル出発 7時00分 ダラス発 9時35分 シカゴ着 10時45分 シカゴ発
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笹川アフリカ協会の理事会 [2008年11月03日(Mon)]
11月3日(月曜日) 早朝から宿泊先のホテルの会議室で笹川アフリカ協会の理事会が始まった。今回の最大のテーマは、最終段階に入った、ビルゲーツ財団とのアフリカ農業事業での提携話。検討されている共同事業の資金規模が巨大なので、笹川アフリカ協会(SAA)の今後の活動計画は、総て、この提携話がどう進むかにかかっている。今回は久し振りに、アフリカ出身の理事二人がそろって顔を出してくれた。ベニンの元大統領シグロ氏とウガンダの元農業大臣で現在はFAO(食料農業機構)中国事務所代表のセキトレコ女史。 夕方からは、同じ場所で、アフリカでの農業普及員を対象にした笹川アフリカ農業教育協会の理事会。 アフリカ事業の理事会の開催場所にダラスが選ばれたのは、笹川アフリカ協会(SAA)の会長のノーマン・ボーログ博士の自宅に近いため。もともとは、今回の理事会については、ゲーツ財団のあるシアトルでの開催が決まっていたのだが、理事会には何としても出席しようという博士の意向を汲んで、ここでの開催が決定された。ボーログ博士は、ガンに侵されながらも90歳を越える高齢の体に鞭打って、この事業に並々ならぬ情熱を傾け、これまでは理事会には欠かさず参加していたのである。しかし、今回は残念ながら目と鼻の先にある自宅で静養中とのことで彼の姿を見ることは出来なかった。8時 笹川アフリカ協会理事会 16時 笹川アフリカ農業教育協会理事会 19時 笹川アフリカ協会関係者との夕食
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ダラスへ移動 [2008年11月02日(Sun)]
11月2日(日曜日) <日曜日の朝のボストン> 朝10時、ホテルの前から空港送迎専用バスに乗り、日曜日でがらんとした市内を抜けて空港へ。ホテルの前の並木は黄色く色づき、空気は身を切るように寒い。ボストンから4時間半、時差が一時間あるダラスに着いて気温の差に驚く。ボストンでは完全に冬が到来していたのに対し、ここではまだ半袖で往来を歩く人がいる。アメリカの広さを改めて実感。 夜は、エチオピアからやって来ていた笹川アフリカ協会のディレクターたちと会食。ホテルの車の運転手に薦められて、米南部ルイジアナ州の名物料理ケイジャン料理店へ。ここでは、なまずやザリガニなどが名物。しかし、エチオピア人の味覚には合わなかった様で、殆ど食べ残してしまう。10時 ホテル出発 12時10分 ボストン発 14時50分 ダラス着 19時 笹川アフリカ協会関係者との夕食
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二日目は早めに終わる [2008年11月01日(Sat)]
11月1日(土曜日) 今日も、前日同様のやり方で面接したが、参加者は昨日と比べると少なく、男女1名ずつ、計2名の合格者を選び、夕食懇談会も一時間ほど早く始めることが出来た。
<ボストン・キャリアフォーラム第2日目> 8時半 来春採用第2次面接(第二日目) 19時 第2次面接合格者との夕食懇談会
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