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大野修一(日本財団)
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MILIの5周年記念式典でスピーチ [2016年05月17日(Tue)]
5月17日(火曜日)
ヤンゴンは、今日も朝から猛烈な暑さ。朝の9時過ぎに私が滞在しているホテルの隣のホテルに徒歩で向かう途中、いつもの野外気温計を見て驚いてしまった。なんともう40度に達しているではないか。いつもなら5月の中旬には雨季が始まり、気温は下がり始めるはずなのだが、今年は遅れているようだ。
MILI5周年記念式典の会場に入ってみると、100人は夕に超える席が用意されていた。私が着いた時は、時間が早かったせいか、席はさほど埋まっていなかったが、定刻の9時半を超える頃になると殆ど埋まっていた。式典が始まった。
冒頭にアメリカ大使館の担当官がスピーチ。アメリカ政府はMILIがミャンマーでの障害者の法的地位向上のための事業を支援している。先の総選挙をミャンマー史上初のバリアフリー選挙におけるMILIの貢献などについてしゃべったが彼のスピーチは英語だけで通訳はなし。
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<朝の9時に40度>

その後、私はドナーを代表して挨拶をした。私は日曜日にMILIの幹部の3人に会った際、彼らに頼まれたスピーチの英文原稿をその日の夜のうちに完成させ、月曜日の朝一番にMILIに送っておいた。そのため、彼らは事前にミャンマー語の翻訳を準備しておいてくれていたので、私のスピーチはユヤトゥさんが逐語通訳してくれた。私は、その中でこの5年間の出来事を回想した。
彼らに初めて会ったのはバンコクにあるAPCDの紹介を受けてのこと。MILI設立直後の2011年の5月。あれからたったの5年で、当時、メンバーは7人だけだった組織が今では、常勤スタッフ59人、全国に24の支部を持ち、会員数2500人ものミャンマー最大の障害者組織へ成長したのだ。
当時、3人の創立メンバーを中心にした7人は、ミャンマーの障害者自身の意識を変え、一般の人々の意識を変え、政府の政策を変えようという意欲に燃えていた。私は、彼らの熱意に打たれ、その場で、支援を約束。そうして、日本財団とのパートナーシップが始まった。
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<100人ほども集まった>

その後、私が提案したのは、二つの事業。すなわち、2014年のASEANサミット記念行事であるASEAN障害者芸術祭と、障害者の 経済的自立支援のための仕組みである障害者ビジネス・インキュベーションセンターだ。
障害者芸術祭は、2008年にラオス、ベトナムで助成したのがきっかけ。その後、カンボジアで一週間にわたる芸術祭を実施し好評を博したことから、日本財団とは親しい関係にあったスリンさんがトップを務めていたASEAN事務局と協力して、ASEAN障害者芸術祭の構想が生まれた。
そして、その事前準備としてASEAN障害者芸術家ネットワークの構築に取り掛かったが、スリンさんの退任などで思ったようには進んでいなかった。そこで、2014年のサミットがミャンマーに決まったことをきっかけにMILIにこの企画を持ちかけたもの。しかし、いきなりでは難しいので、2013年に準備と地ならしを兼ねて、ミャンマーでの国内大会を提案したもの。
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<MILIの女性スタッフたち>

結果的には、MILIは、大変な苦労をしながらも、2013年の国内大会,2014年のASEAN大会を見事にやり遂げ、2015には自分たちで第2回の国内大会を企画、成功させた。
我々がMILIに提案したもう一つのことが、経済的自立に向けた仕掛けつくりだ。そのため成功事例を学ぶことを目的にしたワークショップの開催と、ICTの活用による自活を目指すための組織である、障害者ビジネス・インキュベーションセンターだ。
そして、日本財団は日本財団のロゴのついた中古車両を寄付。それを使った運送サービス業への進出を促した。これも、大きな成果を上げて進んでいる。
今では、ミャンマー最大で唯一の全国規模の横断型DPOとしての地位を確立 政府にも、国際機関にも頼られる存在になった。
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<経済的自立のための障害者ビジネス・インキュベーションセンター>

MILIは我々の期待をはるかに上回る成果を挙げた。日本財団の各国での支援の中での最大の成功事例となったと言うことが出来る。
ただ、急成長の結果、様々な課題を抱えているのも事実だが、これからも、3人の幹部を中心に、しかし、彼らを超える新しいリーダー層が出てくることを期待している。
日本財団は、今後もミャンマーでの支援を継続していく決意であり、明日は、ネピドーで新大臣に会ってくる、と結んだ。
式典の後、私はカーソンさん、マイケルさんを伴って、MILIの本部に向かった。エクシードが技術支援をしている国立リハビリテーション病院の義肢装具クリニックと協働して車椅子の装着サービスを行なうという構想について協議するためである。
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<MILI事務所で打合せ>

MILI事務所での打合せのあと、我々はMILIが式典にあわせて全国の支部の幹部らも呼んで開催していたスタッフミーティングに顔を出すよう頼まれた。
真剣な講習会かと思っていたら、歌やくじ引きなどの余興も入った慰労会のようなものであった。そこで、私は簡単なスピーチの後、手品を披露。
それらを終えて、我々3人は、MILIを後にした。ネピドー行きを明日に控えて、打合せをすることになった。夕食には少々早めの時間だったが、私のホテルの近くのシャン料理の店で打合せを兼ねた夕食をとった。カーソンさんはシャン料理に感激。今までヤンゴンで食べた中では一番おいしいと、帰ってマイクさんに報告したらしい。その夜、彼からは、レストランの名前と住所を求めるメールが送られてきた。
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<余興大会のようなスタッフミーティング>

09時15分 ホテル出発
09時半 MILI5周年記念式典
12時半 取材対応
12時45分 出発
13時半 MILI打合せ
15時 スタッフミーティングに参加 
16時 出発
16時半 夕食
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