3月19日(月曜日)
今日はこれから、陸路で首都のネピドーを目指す。出来れば飛行機で新空港を利用してみたかったのだが、今のところ、ヤンゴン・ネピドー間の空路は早朝にヤンゴンを出て昼過ぎにネピドーを出発する便一便のみ。今回のように日帰りで仕事をしようとすると、どうしても陸路に頼らざるを得ない。
現地でのアポに間に合うよう早朝4時半にエルウィンさんと二人でホテルを出発。途中、カーソンさんのホテルで彼をピックアップ、さらに、保健省前局長のティンニュント博士の自宅によって博士を乗せるころには5時になっていた。総勢4人が揃ったところで出発。
車は、100キロ以上のスピードで薄暗いハイウエイを飛ばす。相変わらず、広い道路にも拘わらず、交通量が殆どないので危険は少ないのかも知れないが、コンクリートの路面はお世辞にもスムースとは言えない代物なので、モーレツに揺れる。
<ようやく朝日が昇る>
しかし、スピードを出したおかげで、9時ころにはネピドーについてしまった。ものの4時間しかかからなかったことになる。私にとってはこれまでの最高記録。初めて陸路で行ったときはこのハイウエイも開通しておらず、一般道路を12時間かけて走ったことを思い出す。
エルウィンさん知り合いのホテルでお茶を飲みながら小休止。ティンニュント博士が、保健省とのアポイントを確認しようとするがうまくいかない。何と、保健省での会議の責任者になる筈だったタンゾーミン医学局長は、急用が出来て我々と入れ違いにヤンゴンに出張してしまったというではないが。それでは、何のために来たのか分からないとがっくりするカーソンさんに、「Don’t worry何とかするから」と博士。彼のいつもの口癖だ。
結局、局次長が代わりに面談してくれるというので、保健省に向かう。最初に、国際課でココナイン課長に面談し、カーソンさんに対するビザ発給問題について打ち合わせ。
<保健省のオフィス なぜか女性が多い>
その後、我々4人は医学局の会議室に案内され女性のティンティンレイ医学局次長以下保健省で医学教育を担当する部署の幹部に会い、我々がミャンマー政府に提案しょうとしている義肢装具士養成学校プロジェクトについて説明。今回の出張に先立ち、私の名前で保健大臣に提出していた趣意書は、既に大臣も目を通し、了解してくれているとかで、好意的な反応。
ただ、保健省のみならず、養成校設立時には、専門教育や実習面でパートナーになる見込みの、国立リハビリテーション病院や、国立医療技術大学の責任者も交えた関係者が一堂に揃う会議を開催したいので、そこで改めて事業の構想について詳しく説明してほしい、という要請があった。
<保健省医学局の幹部と打合せ>
医学局での打ち合わせを終えて11時半。昼食はヤンゴンへ戻る途中で取ることにし、再び、ミニバンに乗り込み、全員でネピドーを出発。途中、車は行きのスピードの出し過ぎが祟ったのかオーバーヒート。冷房を切らざるを得なくなった。外の空気を入れるが暑い。気温は35度くらいだろうか。
このハイウェイのほぼ真ん中に位置する場所にある唯一のサービスエリアに到着、昼食にありついたのは2時前。ゆっくり食事をしていると、携帯電話でなにやら連絡をしていたティンニュント博士が、「Good news! 医学局長とヤンゴンで会えることになった」と得意そうに言う。ヤンゴン出張中の局長をつかまり、今日の夜、特別に我々と会ってくれるというのだ。会合の場所は、ティンニュント博士の自宅、時間は夜9時。何と、タンゾーミン医学局長の自宅はニュント博士の自宅のすぐ近くなのだそうだ。
ヤンゴンに戻って来たのは夕方の5時。ホテルに戻り、シャワーを浴びて着替えをして夕食。そのあと、ニュント博士の自宅に行く。ほどなくして、タンゾーミン局長がやって来た。ネピドーでやったのと同じ話を繰り返す。
医学局長は、大臣も賛成しており、原則的には提案の線で進めたい。ただ、関係者とすり合わせをしておく必要があるので、来月中旬のミャンマー正月明けに改めて関係者が一堂に揃う会議を開催するので、そこで、カンボジアトラストと日本財団のプレゼンをやってほしい、と言われる。
4時半 ホテル出発
9時 ネピドー到着
9時半 保健省国際部長打合せ
10時半 保健省医学局次長打合せ
17時 ヤンゴン帰着
21時 保健省医学局長打合せ