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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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「置き薬」方式による伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典 [2011年12月17日(Sat)]
12月17日(土曜日)
<朝7時朝日が昇る>

早朝、外から聞こえてくる男性の歌声で目が覚めた。時間を見ると、まだ6時ではないか。ホテルの直ぐ外から、インドの歌謡曲のような音楽が聞こえている。まさか、早朝からカラオケでもあるまいし、と外をのぞいてみた。どうやら、海岸の砂浜の辺りにスピーカーが置かれているようだ。もし、直ぐそばにいたなら、きっと大音響に耳を塞がんばかりだろう。
外が明るくなったので、カメラを持って、散歩に出てみると、大勢の人が砂浜の向こうから続々と戻ってくるところに遭遇。尋ねてみると、今日は国民にスポーツを奨励する日だという。12月の土曜日は、4時とか5時に市内中心部に集まり、そこから皆で、海辺まで移動してラジオ体操のように音楽に合わせて身体を動かすと言うものだそうだ。
<早朝の国民体操集会に参加した人々>  

8時15分にバスに乗り込み、ホテルを出発。朝9時からシトウェ市内の公民館で、伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典が始まるのだ。8時半過ぎには会場に着席、ラカイン州政府首相の到着を待つ。
日本財団は3年前から、ミャンマー全土14州で順番に、医療過疎の村、500箇村に対するミャンマー伝統医薬品の「置き薬」方式による配布事業を開始してきた。バングラデッシュとの国境に位置する少数民族州であるラカインがその最後の州。これで、全土7000の村に対する配布が完了することになる。
好評に付き、来年からは、規模を3倍に拡大し、各州で更に1500箇村を追加、2014年末までに、全国6万5000の村の約半数に相当する2万8000箇村での配布が終了する見込みである。
ようやく、9時ぴったりに首相が到着。我々には目もくれず、急ぎ足で中央の席に着席、式典が始まった。時間に厳格な段取りは軍事政権当時のやり方そのまま、という印象を受ける。
フラマウンティン首相は軍人OBだが、前回お会いしたときは、物静かで穏やか、殆ど学者のような物腰だったのだが、今回は、厳しい規律の軍人そのまま、別人のように見える。
式典が終わったあと私は、連邦政府の保健省を代表して来賓として来ていた女性の保健副大臣と雑談した。どこかで見た顔だと思ったら、5年前に日本財団がWHO(世界保健機関)と共同でモンゴルで開催した伝統医療会議に来ていた人だった。
確か、ミャウンミャウンさんとか言って当時は副局長クラスの人だったが、大出世して副大臣になっていたという訳だ。私のことを覚えていてくれて雑談となったのだが、彼女は、大統領からの伝言として、「日本財団には、是非この薬箱を、全土6万5千の村々総てに届けるまで支援を継続して欲しい」と言う。私は、「先ずは、来年から始まる2万8千箇村への配布事業を成功させるよう努力するので、引き続き御支援いただきたい」と、答えておいた。
<私もミャンマーの民族服ロンジー姿で式典の開始を待つ>

式典を終えて、我々は市内のあるお寺に向かった。ここには、そこには、旧日本軍の戦死者の霊を慰めるための碑が祀られていることを前回の訪問時に確認済みである。今日は、ここでお坊さんを呼んで法要を執り行おうと言うのだ。
太平洋戦争中、最も悲惨な戦いと言われたインパール作戦から生還した戦友たちがこの地を再訪して建立したのではなかろうか。碑の背面には「祖国の名誉の為、この地に散った英霊よ安らかに」との文字。
集まってくれた5人の僧のうちで最も格が高いとみられる僧侶が、死者の霊を弔ってお経を唱えてくれた。ふと見ると、お坊さんの前にはマイクロフォン、我々の後ろには大型のスピーカーが用意してある。
やがて、お経が始まるとスピーカーからボリュームアップした音が流れ出したのだが、何と、エコー付き。うーん。有難いような、有難くないような、、、。ちょっぴりカラオケの風情を感じたお経だった。
<法要のお経はエコーがかかったマイク付き>

法要を終えると今度は、州政府庁舎に向かった。先程の厳しい表情とは異なり、相変わらず物静かだが、ずっと穏やかな顔つきのフラマウンティン・ラカイン州政府首相が待っていた。渡辺さんも交えて、笹川会長とラカイン州の現況、同州における日本財団としての今後の活動につき、暫し懇談。
日本財団としては、この薬箱を州内の学校にも配置し、サイクロンで破壊された校舎の修繕と併せ、学校現場での保健教育という切り口で、ラカイン州での支援事業を検討することになった。
ただ、会談の間中、フラマウンティン首相は控えめで、我々に対して、はっきり支援を求める発言をしなかった。他の途上国では、このような場では直接的な表現で、支援を要請してくる政府高官が少なくないが、ミャンマーの場合は、謙虚なのかプライドが高いからなのか、一般に、物欲しげな発言をされることはめったにない。痺れを切らした渡辺さんが、首相に対して、もっと具体的に支援を要請するよう促したほど。
<伝統医療病院の看護婦さん(赤いスカート)と看護助手たち>

その後は、一旦、ホテルに戻ってからシトウェ港の視察。そして、最後に空港近くにある国立シトウェ伝統医療病院を視察。ここは、20床ほどの入院設備まである本格的な病院。ミャンマー保健省自慢の全土14州総てに一箇所ずつ設けられた伝統医療専門の国立病院である。全部で7人の伝統医療師と、6人の看護師、看護助手が、年間約4500人の外来患者と、360人の入院患者を診ている。
伝統医療病院訪問を終えると、そのまま、シトウェ空港へ。帰りの飛行機も、我々だけのチャーター機。行きと同じATR製ターボプロップ機だが今度のは40人乗りのATR42。夕闇迫る中、5時過ぎにヤンゴン帰着。
街角にも、ホテルでも、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが目立つ。シトウェから戻ったばかりの我々の目には、ヤンゴンが大都会に見えた。



8時15分 ホテル出発                
9時 伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典
10時半 日本軍兵士顕彰碑視察
11時半 フラマウンティン・ラカイン州政府首相  
13時 シトウェ港視察
14時 国立伝統医療専門病院訪問
15時30分 シトウェ発
17時 ヤンゴン着
19時 関係者と夕食


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