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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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久し振りの学校訪問(2) [2011年06月05日(Sun)]
6月5日(日曜日)
建設準備の会合を抜け出し、村長の案内で、ナムリ村の生活を少し覗かせてもらうことにした。こんなに山奥の村だが、それほど貧しい村ではないようだ。村長の話によると、10年前に自力で近くの小川に水力発電機を設置、今は全世帯260軒に一年中電気が来ている。電気代は無料。確かに村の中には大きなパラボラアンテナがある。
                            <ナムリ村の家並み>

どんな番組を見てるんですか。すると、村長曰く。言葉は分からないが海外の番組を見ている。日本の地震の時も衛星テレビで見ていたよ。
この村の産業は農業だが、自給自足ではなく、換金性の作物であるタバコの葉が主な作物だという。それも、単にタバコの葉を生産するだけではなく、それをタマリンドなど色々なものと調合してから、タナペという葉で巻いてミャンマー特有の葉巻にして出荷しているのだという。即ち、現金収入があるわけで、山中の辺鄙な場所から受ける先入観は訂正する必要がありそうだ。
   
         <村で見かけたパオー族の娘さんたち>

村の視察から戻ってみると、集会はまだ続いていたが、昼食時間を過ぎたので、別室で、村人の心づくしの手料理を御馳走になった。ヤンゴンで食べる油の多いビルマ料理とは違って野菜の多い、比較的さっぱりしたおいしい料理だった。
                        <心づくしの手料理>

食事を終えて外に出ると、それまで青く晴れ渡っていた空が俄かに掻き曇り、突然のスコールがやってきた。激しい雨がトタン屋根の上にたたきつけるので教室の中では人の話が聞こえないほど。これでは、先生も生徒たちも雨季の授業は大変だ。
建て替えが急がれる旧校舎は雨漏りはおろか、そもそも外壁が竹を編んだだけというしろものなので、横からも吹き込んで来るに違いない。一日も早く新しい校舎が完成するのを祈らずにはいられない。     
雨が小止みになるのを待って、村人や子供たちに見送られてトラック隊は出発。

                         <ぼろぼろの校舎内部>

途中、タウンジーに程近いエタヤの町でもう一つの中学校を見学してタウンジーに戻ったのは夕方の5時。
何と、セイダナーの皆さんが夕食に連れて行ってくれたのは、ブドウ畑を臨むお洒落なワインレストランで。生憎、外は雨だったが、晴れていれば夕日が美しいのだとか。ドイツ人のオーナーが説明してくれたところによると、タウンジーの周辺だけで、二つもワイナリーがあるのだが、裕福になったミャンマー人の間にワインに対する需要が急拡大しているので、作るだけ売れる状態で、共存に問題は無いのだとか。
比較的涼しいタウンジーの気候がワイン作りに適しているとでもというのかと思って尋ねると、そうではない、という。カビなどの問題が大きく、ここまで来るには大変な苦労があったとか。何故そこまでしてここでのワイン作りに取り組んでいるのかと聞くと、「さあ、どうしてか自分でもわからない」と意外な答えが返ってきた。
赤、ロゼ、白を三種類試してみたが、「特に、自信がある」という白は絶品だった。ミャンマーワインなるものの実力を認識させられた瞬間であった。
 
            <何とブドウ畑にワインレストラン>


11時半 ナムリ村内視察
12時半 昼食
13時半 ナムリ村出発
15時 エタヤ小中学校
17時 ホテル帰着
18時半 夕食
久し振りの学校訪問(1) [2011年06月05日(Sun)]
6月5日(日曜日)
朝8時、セイダナーの白木さん以下7人のメンバーとピックアップ・トラック2台に分乗して、学校訪問に出発。途中、シャン州など少数民族地域を管掌する役所である国境開発省(正式名称が「国境地域少数民族・開発省」云々と余り長すぎるので、ミャンマー人もNaTaLaと略称で呼んでいる)のタウンジー事務所に立ち寄る。今年の建設予定校に地方政府のトップの意向をどこまで反映させるかについての、白木さんと担当課長の間の交渉に暫し立ち会った後、再び、出発。
               <牛車を追い抜く>

道は、湖上の民で有名な観光地、インレー湖の手前を左に折れ、次第に、山の中に入っていく。竹林の中を走る。途中、馬車とすれ違い、牛車を追い抜く。タクシー替わりのトラクターに、信じられないほど大人数の農民たちがぶら下がっている。総て、5年前と変わらぬミャンマーの農村風景だ。
段々と道は険しく、細くなり、すれ違う人も殆どいなくなる。こんなに山道を分け入って、学校なんてあるのだろうかと危ぶむ頃。突然、山のてっぺんに目指すナムリー村が現れた。260世帯、1,100人。少数民族パオー族の村だ。

                     <ナムリ小はこの丘のてっぺんに>

山間に点在する民家の間を縫ってすすむ小高い丘に通じる一本道。登りきった丘の上にナムリー準中学校が姿を現した。1年生から8年生まで、4人の先生の元、76人の生徒が学ぶ。日本の、小学校と中学校を併せた学校だ。
校庭を横切る形で入り口から校舎まで、小さな小学生を先頭に、全校生徒、保護者、村人、教職員等総勢約100名が二列の縦隊になって、我々を歓迎するために待ち構えてくれていた。
                            <子供や父兄たちが出迎えてくれた >    

この学校は1952年の設立。創立当時以来使われてぼろぼろの状態の校舎を新校舎に建て替える計画がセイダナーの本年度事業として計画されているのだが、我々が案内されたのは、1995年に建てられたという少しはましな新校舎の方。中は仕切られていないので、教職員、村人ら外で待っていてくれたほぼ全員が中に入り込んで学校建設準備のための集会が始まった。
              <学校設立準備のための集会>

この村の村長ソーフラさんが説明してくれた。数年前から自分たちで老朽化した旧校舎の建て替えを計画し、お金をためては少しずつ着手するというやり方で、工事を進めてきた。自分たちだけではこの先何年もかかるところだったが、今回セイダナーの支援で一気に校舎が完成することになりこんなに嬉しいことはない。確かに、校庭の反対側には、コンクリートと砕石での基礎工事が出来上がっていた。
ところで、村長さんは政府の任命ですかそれとも、住民による選挙ですか、と聞いてみた。村人たちの協議の結果選ばれたのだという。それで、任期は。特にありません、住民の支持があれば何年でも、私は10年目です。ところで、有給ですか。いいえ、無給です。私は農民です。

                     <村人たちだけで作ったという基礎>

7時半 朝食
8時 ホテル出発
8時20分 NATALA事務所訪問
10時半 ナムリ小学校到着
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