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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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バンメトートはベトナムのコーヒー生産の中心地 [2011年03月09日(Wed)]
3月9日(水曜日)
ハノイから同行してくれているカバントランさんと一緒に、ダクラク省の省都バンメトートに向かう。彼が主宰する国際NGO「HealthEd」が日本のNGO「AEFA」と組んで実施中の学校建設支援事業の対象校の一つ、ティントゥオン小学校はバンメトートの郊外にある。
ニャチャンから目的地までは凡そ220キロとのことだが、今回は現地で宿泊せず、今日のうちにニャチャンに帰ってくる予定だ。ダクラク省までは車で、片道4、5時間かかるということなので、今朝は朝食も取らずホテルを朝7時に出発、海岸沿いに国道一号線を北上する。
40キロほどで、高原地帯へ向かう国道26号線との分岐点、ニンホアの町に到着。フォーの朝食で腹ごしらえし、26号線を西へ向かう。たちまち険しい山道になる。比較的最近、山の斜面を強引に切り開いて道路の拡張を行ったらしく、道幅こそ余裕はあるが、路面には山から落ちてきた大小さまざまな岩がころがっている。帰りは、暗くならないうちにここを通り抜けねば危険だ。


                       <道路際にはコーヒーの樹が白い花をつけていた>
山道を抜けると、車はなだらかな高原地帯に入った。ダクラク省だ。道路際に、何やら白い花を一杯つけた潅木の林が続く。コーヒーの花だ、という。この辺りは、ベトナムのコーヒー生産の中心地なのだそうだ。
ベトナム戦争中、バンメトートには南ベトナム軍の重要な基地がおかれており、北ベトナム軍との間の熾烈な攻防戦で知られているが、もともとは、フランス植民地時代以来のコーヒー生産地。近年、ベトナム産コーヒーの品質は改良され、ベトナムはブラジルに次ぐ、世界第二位のコーヒー輸出国に躍り出ている。
コーヒーブームはこの辺りの経済改善に大きく貢献しつつあるようだが、もともと、カンボジアと国境を接するこの地域は「セントラルハイランド(中央高地)」と呼ばれるベトナムでも開発の最も遅れた場所だ。少数民族が多く住み、一般に、外国人の立ち入りは規制されている。ハノイ在住の日本のマスコミ関係者からも、マスコミの取材許可がなかなか下りない、と聞いている。
カバントランさんによれば、特に最近は、中東情勢もあり神経質になっているのだそうだ。当然、今回の我々の入域も予め当局の許可が取ってあるとのことだったのだが、、、。
携帯電話で何やら連絡を取っていた、カバントランさんが、突然焦り出す。入域許可を得ていた筈なのに、地元当局の担当者に連絡が届いていない、というのだ。あちこちに電話を掛け捲って漸く、バンメトートの教育部と連絡がつき、手配が間に合った、と聞き一安心。


               <エデ族の学校 ティントゥオン小学校>
ニャチャンを出発して4時間半。車は思った以上にこざっぱりした町に入った。ダクラク省の省都バンメトートだ。幹線道路に沿って、何やら、沢山の幟や看板が並べられている。カバントランさんによると、これらは総て数日後に始まるコーヒー祭りを知らせるものだとか。
今年でまだ3回目だというが、年々、規模が大きくなり今年は国内のみならず海外からの招待者も入れて数千人が参加する一大イベントなのだという。そのためにバンメトートへは、航空機の臨時便まで飛ぶという。その煽りで、近隣の飛行場では定期便が欠航になるという事態が生じているのだとか。
はて、入域許可が必要なセントラルハイランドと、コーヒーフェスティバルは両立しそうにないように思えるが、この時期だけは規制の対象外ということなのだろうか。


                <子供たちがエデ族の踊りを披露してくれた>

バンメトートのレストランで昼食。省政府のお役人二人が加わる。食事を終えて、全員一緒に車で45分ほど離れたチョンアナ郡ドレイサップ村へ。二人は我々の監視役ということのようだ。
ここのティントゥオン小学校は、HealthEdが日本財団の資金で3年前に建てかえたもの。1年生から5年生まで5学年、生徒総数324人の殆どが少数民族エデ族だ。
彼らの母国語はエデ語だが、小学校に入学する前の2年間の幼稚園生活を通じて標準ベトナム語を身につける、という。
AEFAのアレンジにより神奈川県の保土ヶ谷中学校と姉妹校提携をしている。職員室には日本の子供たちから送られた書道や絵入りのポスターなどが飾ってあった。


                               <授業を受ける子供たち>
ドレイサップ村の人口は約9000人。村を構成する9つの地区のうち、4つが少数民族エデ族の地区。うち、二つの地区はハンセン病のコロニー。昔、フランス人宣教師が、近隣地区からハンセン病患者を集めて、クリニックと一緒に開設したものだとか。この小学校の子供たちの親は総てこれらのハンセン病の元患者なのだそうだ。
ティントゥオン小学校の視察を終え、子供たちの両親が住む村を訪ねた。65歳だというある村人は、35年前にここから40キロ離れた村からこのクリニックに連れて来られたのだ、という。もう何年も前にハンセン病は完治してクリニックを出たが、ここに住み着いている。「何故って、ここではみんなハンセン病の元患者なので、白い目で見られることが余り無いから」なのだそうだ。

村人と話したりしてすっかり遅くなってしまった。間もなく4時になろうとしている。
 

暗くなるまでに山道を通り抜けて、ニャチャンに戻らねばならない。運転手も車を飛ばす。高度差は900メートルという山道に差し掛かったときにはとっぷり日は暮れてしまっていた。冷や冷やしながら下り坂を走り、国道一号線との合流点で遅めの夕食。ニャチャンのホテルに戻ったのは、夜の9時過ぎ。
              <教室には靴を脱いで、、、>

7時 ホテル出発                
8時 朝食
11時半 ダクラク省政府教育部関係者 
14時 ティントゥオン小学校訪問
15時半 ドレイサップ村訪問
19時 夕食  
21時 ホテル帰着
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