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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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マヒドン大学とIDPP設置協力で基本合意 [2011年01月20日(Thu)]
1月20日(木曜日)

            <広大なサラヤキャンパスにあるマヒドン大学本部>

朝8時、マヒドン大学の学生食堂にタイ国歌が流れた。朝食を取っていた学生たちは立ち上がり直立不動。APCD所長の二ノ宮さんに教えられて我々も慌てて不動の体勢を取る。タイでは毎日の習慣だとは知っていたが、実際に遭遇したのはなぜか初めて。
我々一行は総勢5人。昨日、ワシントンからバンコク入りしたアメリカン大学のデリック・コグバーン教授、ASEAN事務局長特別顧問のラジャさん、二ノ宮さんと彼のスタッフでこの障害者大学院担当の堀内佳美さんと私。これから、マヒドン大学幹部との打ち合わせに臨む前に朝食を取ろうと学生食堂を訪れたのである。


               <ピヤサコール学長らマヒドン大学最高幹部と会議>

マヒドン大学は、チュラロンコン大学やタマサート大学に比べると日本での知名度こそ劣るが、タイでは極めて格式の高い名門校である。マヒドンという名前は現国王の父君であるマヒドン公に由来する。マヒドン公はアメリカで近代医学を修めて帰国したのだが、若くして夭折。
タイ政府は、彼をタイの医学近代化のシンボルとして、最も古いシルラート医学校をマヒドン大学と改名し総合大学に昇格させたという訳だ。そのような経緯から、マヒドン大学の中心は今も医学部で、二つの医学部が設けられている。そのうちの一つシルラート医学部に付属する病院には、タイ王室専用の棟が設けられており、病気療養中の現プミボン国王は今もその病棟に住んでおられる。この病院は、ある調査機関による病院の国際ランキングでは日本も含む全アジアの病院中最高のランクとされているほど。現学長のピヤサコール教授は、シルラート医学部の前学部長で国王の医師団長を務めたという人物である。我々日本財団の支援によりマヒドン大学に設置したシリントン義肢装具士学校の理事会にはいつも出席していただくなど懇意にしている。


             <情報学部のジャレンスリ学部長(女性)を挟んで>

今回は、今年の9月の開校を目指して準備中のASEAN IDPP(障害者公共政策大学院)のパートナー校にマヒドン大学が名乗りを上げたため、本準備プロジェクトの責任者であるアメリカン大学のコグバーン教授に当大学の最高幹部にプロジェクトに関するプレゼンテーションをやってもらうともに、大学としての意思を確認するための会合。
30分以上にわたるコグバーン教授の説明をじっと聞いていたピヤサコール学長は「この素晴らしい構想を支持する。是非、一緒にやりましょう」と意志表明。その後、我々は大学院担当のバンチョン学部長らと協議を続け大枠での合意に達した。その後は、情報学部のジャレンスリ学部長の案内で学内を見学させてもらった。


               <情報学部の素晴らしい校舎から中庭を望む>

学内見学を終えて、キャンパス内のとてもおしゃれなレストランで昼食を取った。ベトナム行きを始めこの一週間近く行動を共にしていたASEAN事務局のラジャさんとは、これでお別れ。
我々は、コグバーン教授、二ノ宮さん、堀内さんとAPCD(アジア大洋州障害者発展センター)の事務所に行き、予算面での打ち合わせを続けた。
この間、英語の得意な堀内佳美さんは視覚障害者用の音声ガイダンス付きのパソコンを駆使して会議の様子をメモしてくれた。今回、コグバーン教授のタイ訪問に当たっては、ホテルの手配、航空運賃の払い戻しなど一切の事務は堀内さんが仕切ってくれ、毎日のコグバーン教授のホテルへの送迎、会議の場所への案内も彼女が仕切ってくれたのである。前回のシンガポール出張時は、全盲の彼女が一人で帰って来たのだという。
彼女に秘訣を尋ねると、「私は人間性善説です。自分自身の経験で、殆どの人が親切で善良であることを知っています」という答えが返って来た。障害者を深く知る専門家である二ノ宮所長は、「障害者でも最小限の配慮さえすればどんな仕事でも任せられますよ」、と微笑んだ。堀内さんは二ノ宮さんご自慢の部下なのである。


                <庭園の中のおしゃれな学内レストラン>

予算の打ち合わせの後、夕食で集まることにして散会した。私は一旦ホテルに戻り、用事を済ませ交通渋滞もあって約束の時間に10分以上遅れて、指定されたレストランに集合。今夜の深夜便で米国へ帰国するコグバーン教授は、堀内さんに付き添ってもらってホテルに戻り、荷物を持ってレストランにやって来た。堀内さんはタイ語も堪能なので車の運転手など英語を解さない人との交渉役にはうってつけ。コグバーン教授も彼女にすっかり依存しているようだ。
堀内さんが視覚障害者であることに気が付いたレストランのウエイトレス達は誰も皆とても親切だった。驚いたのは、会計の時、私が堀内さんを指し、「この人、タイ語上手でしょうと」と言ったら、彼女らは一瞬きょとん。堀内さんのタイ語が余り上手なので、さんざん喋っていながら、今の今まで彼女はタイ人だと信じて疑わなかったというのだ。堀内佳美さん、頭が良いだけでなく、努力の人でもある。
夕食を終えて、コグバーン教授は堀内さんと一緒に空港へ。私は遅れて合流したテレビ朝日の西支局長の車でホテルに送ってもらった。


6時45分 ホテル出発
8時半 マヒドン大学ピヤサコール学長
10時 情報学部訪問
13時 昼食
14時半 APCDで協議
19時 テレビ朝日 西支局長
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