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犬山城 (01/18)
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ボートレース事故の犠牲者を悼む「服喪の日」 [2010年11月25日(Thu)]
11月25日(木曜日)
今回の出張に同行した日本財団の二人の若手職員の田中さんと中嶋君は、直前のマレーシアでの日程変更などで、準備段階からして大変だったのだが、現地でも今回は特に変更が多く、現地関係者との調整や連絡にてんてこ舞いだった。というのも、今週の月曜日22日に起きた恒例のボートレースで、見物客が将棋倒しに遭って多数亡くなった悲惨な事故によって、我々のカンボジアでの日程も様々な影響を受けざるを得なかったためである。
特に今日は、カンボジア政府が、事故の犠牲者を悼む「服喪の日」と定めたため、予定していた行事を実施できるかどうかが懸念された。幸い、義肢装具士学校の新校舎竣工式と、国立伝統医療学校の入学式という二つの式典は、カンボジア政府の関係省庁の理解もあり、恒例の伝統舞踊が中止になっただけで、ほぼ予定どおり挙行されることになった。
ただ、新校舎竣工式では、主賓のメンサムアン副首相に対し、日本財団から犠牲者のための3万ドルの支援金を贈呈することになり、そのための、シンボリックな目録のようなものが必要となり、昨晩、プレアビヒアから帰った後、田中、中嶋の二人が中心になって、金色の額入りの「目録」を苦労して作ってくれたのだ。
こうして、準備万端整えて、7時20分、再び、憲兵隊のパトロールカーに先導されてホテルを出発した。市内のあちこちに、半旗が掲げられているのを目撃した。


               <ボートレース事故の犠牲者を悼む半旗>

メンサムアン副首相、イトゥサムヘン社会福祉大臣も到着し、8時過ぎに、カンボジア義肢装具士学校(CSPO)新校舎竣工式が始まった。運営主体の英国のNGO「カンボジアトラスト」の常務理事のカーソンさんがスピーチで述べたのは、CSPOの1994年の創設以来の経緯であった。
当初の目的は内戦やその後の地雷事故などで手足を失ったカンボジア人を救済するために、国内のカンボジア人自身を国際レベルの義肢装具士に育てようというもので、カンボジア国内の需要を満たした時点で学校は解散する予定であった。
ところが、その目標がほぼ達成された90年代末になって、カンボジアだけでなく、東南アジアの他の国でもハイレベルの義足を作ることのできる技術者のニーズが多いことが判明し、CSPOはカンボジア以外の国からの留学生を中心とした義肢装具技術者の養成校に衣替えすることになった。
こうして、これまでに、CSPOは19の国から154名の留学生を受け入れてきた。今現在も、北朝鮮を含む9カ国から34名の学生が学んでいるのである。誠に、カンボジアでは唯一の留学生の方が自国民より多いという極めてユニークな学校になっている。


             <テープカットをするメンサムアン副首相(撮影:富永夏子)>


一方、日本財団はカンボジアトラストなどと組んで、東南アジアの他の国での義肢装具師養成校の設立に乗り出し、これまでに、タイ、スリランカ、インドネシアで実現させ、来春には、フィリピンでの学校が開校する見通しである。
現在、アジアの義肢装具師学校は他には、パキスタンやベトナムなど数校しかなく、日本財団が支援する、この地域唯一の国際資格一級認定であるバンコクのマヒドン大学のSSPO校を中心とする、5つの技師装具士養成校群がアジアのネットワークの事実上の中心となっている。
式典の後、カンボジア人の若き女性の校長、シサリーさんが新校舎に副首相以下の来賓を案内した。彼女自身がこの学校の初期の卒業生である。4700平米の広大な敷地に建つしゃれたデザインの2600平米の平屋の建物は内装も美しく、丁寧な仕事ぶりが伺える。施工管理してくれた丸紅の内藤さんも嬉しそうだ。
数年前に、日本財団の資金援助を受けて建てられたABC(カンボジア盲人協会)の本部ビルを見た、カンボジアトラストの当時のカンボジア代表で現在はスリランカ代表になったメアリースコットさんが、私にABCのビルを建てた業者を紹介してほしい、と言ってきたことから再び丸紅の内藤さんにお願いすることになったもの。私も鼻高々であったことは言うまでもない。

           <義肢装具士学校新校舎に副首相を案内するシサリー校長(右端)>

メンサムアン副首相、イトゥサムヘン社会福祉大臣と笹川会長の懇談会の後、我々は一旦、ホテルに戻り昼食の後、今度は国立伝統医療学校の上級コースの開始式に参列すべく、別のホテルに向かった。今回も、憲兵隊の先導である。
昨年の設立以来2年目を迎える国立伝統医療学校に今回、入学するのはすでにカンボジア各地で活躍する現職の伝統医療師の内でも上級者である50人。すでに、4か月先行して中級コースをスタートさせていたもう50人の伝統医療師共々、これから6ヶ月間の研修を受けることになる。
今回の式典には、昨年の卒業生約50人も顔をそろえていた、日本財団が派遣しているアドバイザーの高田さん(https://blog.canpan.info/acupuncture/)らの指導により、彼らを中心に、カンボジア伝統医療師協会を発足させるのだ。この学校が、カンボジアの伝統医学の復興の中核になっていくものと期待したい。


                <国立伝統医療学校の入学式>

オウクモナ副大臣と笹川会長の挨拶を終えて、保健省に移動。世界保健機関(WHO)のカンボジア駐在代表やマムブンヘン保健大臣と笹川会長の面談に私も同席。退席する際には、マムブンヘン保健大臣に「幻のクメール焼き復興プロジェクト」の窯で焼きあがった壺を進呈。
今朝の、義肢装具士学校での式典でも同様に、副首相や、社会福祉大臣にも贈呈し、先ほどは保健副大臣にも差し上げたばかり。クメール語の通訳で本プロジェクトの責任者でもある山崎さんは笹川会長の通訳に加えて、自らも本事業の説明に大童。大臣たちが、この焼き物に興味を持って、製品を来客への贈答品などに使ってもらいたいものだ。


               <マムブンヘン保健大臣にも焼き物を進呈>

保健大臣との面談の後は、カンボジア盲人協会(ABC)へ、ブンマオ事務局長を訪問。笹川会長直々の来訪と激励に自らも盲人のブンマオ会長は感激したことだろう。
もともと、今日の午後5時からは、日本財団グループの事業の受益者だったり、今もパートナーだったりする人々を招いてのカクテルパーティーが予定し、ブンマオ事務局長も招待していたのだが、カンボジア政府が本日を、事故の犠牲者を悼む「服喪の日」と定めたために急遽取りやめることになったことから、こちらから訪問することにしたもの。
カクテルパーティーが予定通り、実施できておれば、子財団の笹川平和財団が日本に招致した国会議員たち30名など、全部で100名近い参加者が相互のネットワークを構築できたのではないかと考えると、やむをえない状況とはいえ、大変残念なことであった。代わりに、一部の日本人関係者だけで日本料理店でひっそり、懇親会をもった。


7時20分 ホテル出発
8時 義肢装具士学校新校舎竣工式
9時半 Men Sam An副首相面談
12時 昼食
13時 国立伝統医療学校開始式
14時半 WHOカンボジア代表面談
15時 保健大臣Dr. Mam Bun Heng面談
15時半 カンボジア盲人協会ブンマオ事務局長
18時 日本人関係者夕食会

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