まだまだ続く、不思議の国インド [2009年02月10日(Tue)]
2月10日(火曜日)
<ブバネシュワールの街角の商店> 朝起きて、鮮やかな色をした熱帯の花が咲き乱れるホテルの庭を写していると突然カメラが故障。露出の自動調節がうまく行かなくなったのか、撮った写真が時々真っ白になってしまうのだ。インドには強烈過ぎるエネルギーがあるようだ。 日本財団の担当者の本多さんが今朝日本から到着することになっていたのだが、飛行機の遅れで予定していた便に乗り継げず、私とはすれ違いになる、との連絡を受ける。 BABAセミナーは始まったばかり、今週末までの会期だが、私は後を本多さんに任せて、今日はもう飛行場に向かうことになっている。ムンバイ、バンコクと飛行機を乗り継ぎ、明日の朝にはプノンペンに着いていなければならない。 朝食の後、民芸品を作る職人が住む村の見学に向かうBABA一行を見送ったあと、私はホテルに残ったアメリカン大学のグッドマン国際関係学部長と面談を求められる。アメリカン大学も提携校である国連平和大学の事業のことなどを話しあう。双方の関心分野に共通点も多く、ワシントンでの再会を約す。 11時になってラジャさんが到着したと連絡が入り、朝食兼昼食を食べる彼のテーブルで慌しく打ち合わせ。彼は、このセミナーを主宰する団体IRCの代表者だが、数ヶ月前にASEAN事務局長のスリン博士に頼み込まれて特別顧問に就任。このところ、しょっちゅうスリン事務局長と行動を伴にしているため多忙を極めている。慌ただしく、取り敢えず必要な話だけに絞って相談。 このBABAセミナーの終了後の15日、シンガポールで再び彼と合流し、ASEAN日本財団連携協定の話をすることを確認し、彼を空港から連れてきたばかりの車でホテルを後にする。 ブバネシュワールとムンバイの空港で面白いことに気付く。まず、ブバネシュワールの空港で男子トイレの場所を探すが、女子トイレはあるのに、どこを探しても男子トイレが見つからない。それもその筈、なぜか、ここには、男子トイレはなかったのである。??? 用足しは、レストランの中にあるトイレを使うしかない。勿論、ここには女子用もあるのである。即ち、トイレのジェンダーバランスが無視されているということ。同じような、男女別トイレの非対称性とでもいう現象が、ムンバイの空港でも見つかった。ここでは男子用と女子用トイレが並んでいたのだが、看板が非対称であるため、一見すると片方しかないように見える。つまり男女の別を示す看板が、方や(男子用)壁に垂直に立ち、方や(女子用)、壁に並行に貼り付けられているのである。日本人なら必ずどちらかに統一するところだが、インド人には気にならないようだ。この面白いトイレの様子を、故障気味のカメラを使ってだましだまし撮影に成功。 <インドのトイレの看板は男女「非対称」 右の黒い地の看板が男子用> 前回、大変な目にあったムンバイの空港では6時間の乗り継ぎ時間であった。空港の工事もあらかた終わり 今回は国内線から国際線への移動も分かりやすくなっていたので少し安心して、ゆったり構えているとやはり失敗してしまった。 国内線ターミナルから国際線ターミナルへの連絡バスの待合室でのこと、ちゃんと表示板も出ていたし、そこに係と思われる男たちがたむろしていたので、ここが連絡バスの待合室かと確認。20分おきに来るというバスを待つため、最前列のベンチで待つことにする。前方には、バス乗り場に通じると思われるドアもある。 しかし、20分待ってもバスは来ない。係り員たちもいなくなってしまった。しかし、乗り継ぎの便まで時間はたっぷりある。インド式時間なんて、まあ、こんなものであろうと本を読み続ける。ついに、40分経ち、60分経ちさすがに心配になってくる。後ろを見まわしてみるが、数人の人が待っているのみ。 更に10分経っても何事も起きないので、さすがに立ち上がり、後ろの方に回ってみてびっくり。まったく、私のいた方角とは反対の端に、バス乗り場があったのだ。これには、苦笑い。インドを甘く見てはいけない。 夜11時半の便でバンコクへ出発。ほっとする。 7時半 朝食 8時 アメリカン大学ゴールドマン教授 11時 ラジャさん 11時半 ホテル出発 13時15分 空港到着 15時15分 ブバネシュワール発 17時15分 ムンバイ着 23時20分 ムンバイ発 |