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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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急遽、バンコク経由に変更してスリランカへ [2011年12月20日(Tue)]
12月20日(火曜日)
<朝日の中、金色に輝くシェダゴンパゴダ>

昨日、笹川会長一行が帰国し、ミャンマーでの行事が無事終わったので、今日はゆっくり朝寝。目が覚めたのは8時過ぎ。昨夜は、10時頃に床についたので10時間ほども寝ていたことになる。外は快晴、真っ青な空を背景に、本物のシェダゴンパゴダが文字通り金色に輝いている。
爽やかな気分と言いたいところだが、鼻が詰まり、肩も凝っている。身体の芯が冷え切っているのを感じる。風邪なのか、気が緩んだためなのか、深い疲労感が残る。そこで、疲労時の私の特効薬ガラナ粉末を取り出して、多めに服用。今回の出張ではガラナを飲むのは初めてだ。
私は今日の午後ヤンゴンを出て、シンガポール経由で今夜中にスリランカに行かねばならない。そして、明日は朝5時に出発して、陸路で、スリランカの奥地、旧タミル人支配地域に行く長旅が待っている。目的地はキリッノチ、スリランカの北部、以前は、タミル族の反政府組織「LTTE」 の本拠地があったところだ。
日本に帰国するまであと3泊を残すのみだが、そのうち、2泊は行程上、十分な睡眠時間が取れないことがわかっているので、今は体調を維持しておかねばならない。
<中心都市コロンボからLTTEの本拠地があったキリノッチを目指す予定 ブルーの線がそのルート>

10時にミャンマー外務省OBで我々の仕事を手伝ってくれているエルウィンさんにホテルに来てもらって、今回のミャンマーミッションで決まった新事業や、浮上した新しいアイデアなどについて報告。今後の仕事の進め方などについて相談する。
その後、部屋に戻り、メールを打ったりしていると冷え切った身体の節々が痛み出す。少しでも温まろうと備え付けの電気ポットでコーヒーを淹れたりしているうちに12時半。ティンニュント前保健省伝統医療局長が来る時間だ。
ロビーに降りていくと、ニュント博士が久し振りに会ったという知人と話しこんでいたので、彼をそのままにして、私はホテルの外へ。少しでも、外の陽に身体を当てて温まろうと考えたのだ。太陽に当たった側から身体が少しづつ温まっていくのを感じながら、ミーアキャットの気持ちが少し分る気がした。体温が下がると運動能力が低下するのでそれを防止すべく、二本足で日向ぼっこをするというアフリカの小動物である。
慌しくニュント博士との打合せを終えて、ホテルをチェックアウト。飛行場へ向かう。車の中では、いつもとは逆に、陽の当たる窓側に身体を置いて、少しでも温まろうと努力。

<ヤンゴン市内を走る日本製中古バス オーバーヒート防止? 後部エンジンのドアは開けたまま>

空港に着くと、シンガポール便の出発が一時間以上遅れる見込みであると知らされる。それは困る。スリランカ行きへの乗り換えに間に合わなくなってしまう。
今夜のうちに必ずスリランカに到着出来るよう、わざわざバンコク経由ではなく、遅延の少ないシンガポール乗り換えにしたのに、それが徒になったようだ。
暫くやりとりをした挙句、結局、バンコク・ルートで座席が手に入ることが分り、バンコク経由に変更。これなら、コロンボ到着時間は10分ほどの遅れで済むという。スリランカでの事業パートナーであるセワランカ財団に携帯で連絡。こういうとき、携帯電話は便利だ。
バンコク行きの振り替え便はミャンマー航空機。機内で配られたミャンマー政府の英字機関紙New Light of Myanmarには昨日開港式を迎えた首都ネピドーの新国際空港についての記事があった。
それによると、新空港ターミナルの広さは、66万平方フィートで、旧首都であるヤンゴンの空港や第2位の都市マンダレー国際空港を5割方上回り同国最大の大きさ。この空港の建設資金のかなりの部分は中国政府からの借款で賄われたといわれており、式典には、ミャンマーのサイマウカム副大統領の他、中国の戴秉国・国務委員が参加したと報じられている。
しかし、大変興味深いのは、この記事には、中国が果たした役割も、中国政府への感謝の言葉も一切書かれていなかったこと。
戴国務委員は、大メコン河流域圏(GMS)サミットに出席のため、ミャンマーに来ていたのだそうだ。GMSサミットというのは、タイとベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアに中国を加えたメコン川流域の6カ国が、3年に一回開催している首脳会議。メンバー諸国が回り持ちで開催、今回はミャンマーが主催して12月19日と20日の両日、ネピドーで開催していたものである。この会議には、各国が首相や大統領を代表として送ったのに対し、中国だけが副首相の次のランクである国務委員を出した、というのも興味深い。
最近の、ミャンマー政府と中国政府との微妙な関係が窺われるようで、大変面白く感じた次第。
<新空港の竣工式を報じるミャンマーの政府系英字紙>

日向ぼっこで、寒さこそ収まったものの、ヤンゴンからの機内で、体調は絶不調に。今度は腹具合まで悪くなった。常備薬の小箱の中から生薬製剤によるとっておきの下痢止めを取り出して飲む。悪い物を食べたりして下痢になったときは、毒素を体外に出す必要があり、それを薬で無理に止めるのは禁物だが、疲れや、風邪などによる下痢の場合は、その限りではないと聞く。
その後も、バンコクの待合室や、コロンボへの機内でも、飲み物や食事を一切断り、絶食作戦。ひたすら体調の回復に注力する。
夜10時20分にバンコクを飛び立ったコロンボ行きの飛行機が、スリランカに到着したのは丁度、真夜中の0時10分過ぎ。深夜にも拘らず、コロンボ空港には、学校建設事業の現地パートナー、セワランカ財団の渉外部長ウデニさんが来てくれていた。そのまま、コロンボのホテルに向かうのかと思ったら、明日の北部行きの便を考え、予定を変更してコロンボ郊外の漁村ネゴンボに向かうという。
ネゴンボはこの間までNISVA(技能ボランティア海外派遣協会)のシニア・ボランティアの皆さんが干物作りを指導する事業が行われていたところである。小さなホテルにチェックインしたのは1時半。荷物を整理して、疲労困憊した身体をベッドに横たえた時には2時を過ぎていた。
<漁村の小さなホテルにチェックイン>

10時 エルウィン元外務省ASEAN局長
12時半 ティンニュント前保健省伝統医療局長
14時 ホテル出発
17時30分 ヤンゴン発
19時15分 バンコク着
22時20分 バンコク発
24時15分 コロンボ着
01時半 ネゴンボのホテル到着
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