置き薬プロジェクトの件で世界銀行へ [2010年12月14日(Tue)]
12月14日(火曜日)
<夜半、ホテルの前の通りにはうっすらと雪が積もっていた> 時差があるので夜中の2時頃に目が覚めてしまう。カーテンを開けて、ホテルの前の通りを覗いてみると、通りにはうっすらと雪が積もっていた。しかし、どうやら粉雪は止んだようだ。安心して、再びベッドに潜り込むが4時前に再び目を覚まし、メールをチェック。 漸く8時、再び森さんと朝食を取りながら今日の一連の会議について打合せ。朝9時にタクシーに乗り込み、世界銀行本部ビルへ。外の空気は肌を突き刺すような寒さだが、空は快晴。気持ちの良い朝だ。 あっという間に、世界銀行本部ビルに到着。私が20年前に勤務していた当時の本部と同じ場所にあるが、建物は全面的に改修して荘厳な外観に。威圧的とさえ言えるビルになった。当時と最も変わったのが入館手続き。身元チェック、荷物チェックなどセキュリティー上の手続きが何倍も厳格になったのだ。その為、手間取り約束ぎりぎりの時間に中に入る。 <雪化粧したワシントンの朝> 東アジア大洋州局で保健部門の責任者、ウリベ博士に会う。今年9月、世界銀行の北京事務所を訪問した際、王さんとランゲンブルナーさんから本部の責任者であるウリベさんとの面談を勧められ、それ以来、ウリベ氏のアジア出張に合わせての面会を何度か試みたが双方の都合が付かず、果たせなかったのだ。 ウリベ博士はさすがに事前に十分資料に目を通していたらしく、我々の事業について良く承知していた。モンゴルやその他のアジア各地での置き薬方式による伝統医薬品配布事業を、非常に革新的で友好な手法であると評価すると発言。 <世界銀行本部ビルの威容> しかし、我々が世銀の北京事務所と相談してきた世銀による現地調査ミッションの派遣については否定的。世銀本来のエキスパティーズがある分野ではないので、WHO(世界保健機関)のような機関がその任に当たるべきとの意見。 ただしもし、WHOが中心となって諮問グループのようなものを設置するのであれば、そこに世銀が、国家レベルの政策面でのアドバイザーとして参加するのは可能とののことで、今後、ベトナムのように新規に置き薬事業を開始する場合、ゼロから第三者によるアドバイザー機関のようなものを作り、モニタリングさせる場合に、世界銀行の専門家の参加を検討することになった。 一旦、ホテルに戻り、昼食の後、再び森さんと一緒に世界銀行に戻り、今度は、民間財団担当のバスキーさんを訪ね、10月に行われた世界の有力民間財団の責任者と世銀総裁ら世銀幹部との初会合の様子を聞く。 日本財団には、笹川会長の参加を招請する連絡があったのだが、スケジュールが合わず、出席を断念した経緯がある。尋ねられるままに、日本財団の概要とポリシー、現在実施中の主たる事業に付き説明。是非、日本財団とも連絡を密にしていきたい、ということで、次回以降への参加につき協議。 <世界銀行本部ビルの内部> その後、IFC(国際金融公社)に回り、昨年もお世話になった田中さんの紹介で、2つの部局で日本財団とIFCとの協力関係の可能性につき、それぞれの責任者であるブリディ局長、増岡局長らと意見交換。 その結果、具体的な計画で合意するまでには至らなかったが、いくつかのアイデアが生まれた。私にとっては、大変参考になるヒントが多く得られるなど、収穫大。IFCの二つの局での話が盛り上がったために、気が付くと予定時間を大幅にオーバーしていた。 夕食は岩竹さんのお世話で、19時の約束で、バンコク特派員時代以来のお付き合いのNHK米国総局樺沢記者や、家族ぐるみで親しくさせていただいているIFC世銀OBの菊地さんらを交えて、市内の中華料理店で取ることになっている。田中さん、森さん、私の3人が駆けつけたときには、19時半になっていた。皆さんごめんなさい。 <巨大なクリスマスツリーが飾られたIFC本部のホール> 8時 朝食 9時 ホテル出発 9時半 世界銀行東アジア大洋州局保健部ウリベ博士 14時半 世界銀行民間財団担当バスキー氏 17時 IFC(国際金融公社)田中氏 17時半 IFC(国際金融公社)ブリディ局長 18時半 IFC(国際金融公社)増岡局長 19時半 NHK米国総局樺沢記者 |