CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«義肢装具士学校の波紋は日本にまで及ぶ | Main | 記者会見は地元記者だけ»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2016年12月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
https://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
ついにASEANオーケストラ本番へ [2010年10月24日(Sun)]
10月24日(日曜日)
ついに、その日がやってきた。史上初めてASEANメンバーのすべての国、10カ国の国民で結成された80人編成の本格的なオーケストラが、ASEANサミットの公式行事としてデビューするのだ。昨年暮れからその実現に向けて奔走してきたのは指揮者の福村芳一さんだが、私自身もそのお手伝いをさせてもらう形で、若干の準備にかかわってきた立場なので、まことに感慨深いものがある。
今年はベトナムがASEANの議長国。一年ごとにメンバーが回り持ちでなる議長国がASEANサミットを開催する習わしだ。このサミットの参加者は本来ならば、ASEANメンバーの10カ国だけで良い筈だが、次第に参加希望国が膨らみ、今では第二日は日中韓やインドなどが加わり10+6。おまけに米ロがオブザーバー参加。来年からは正式に10+8になるそうだ。そんな訳で、このASEANオーケストラは18カ国首脳の前での初披露となる予定だ。
折しも、ベトナムの歴史では丁度1000年前の西暦1010年は、時の皇帝リコンウアンが現在のハノイの地に昇竜(タンロン)と名付けた首都を遷都した記念すべき年。ベトナム政府は、1000年祭を10月10日に行うことにした。10月10日は、2010年の10の字と合わせると、10、10、10とゼロが3つ重なる大変珍しい日。月末からのASEANサミットと併せ、ハノイは道路を清掃し、記念の文字の入った花壇を作り、道路には横断幕や幟を立てたりと、お祭り騒ぎである。
ハノイでは10月が気候的には一年中で一番良い時期、と聞いていた。しかし、ハノイに着いてみると、今日は残念ながら靄がかかりどんよりした空。結構蒸し暑い。お世辞にも爽やかな秋とは程遠い。果たして、ASEANオーケストラはうまく行くのだろうか。


                <ハノイは、爽やかな秋とは程遠い蒸し暑さ>

ハノイでのASEANサミットにあわせてASEANオーケストラを結成し、コンサートを開くというアイデアは昨年の11月の何気ない会話から始まった。国立ホーチミン市音楽院付属オーケストラの音楽監督を務める福村さんの呼びかけで、定例コンサートの前の晩に今回の発起人となった4人がたまたま集まったのが出発点だが、その席で、ASEANオーケストラというアイデアを出したのは確か私だったと思う。ただ、アイデアを出しただけで、後は人任せに出来ると思っていた。ところが、おっとどっこい。事はそれほど簡単ではなかったのである。次々生じるハプニングが福村さんたちを翻弄したのみか、ここ数ヶ月ほどの間は、私までもが、この準備に関わることに。
オーケストラの公演は、当初は中部の都市、ダナンでも計画していたが中止。26日にホーチミン市で、次いでハノイで開催されるASEANサミットの公式プログラムとして2回にわたり行うことにした。即ち、28日には国立オペラ座で、サミットに出席する各国のファーストレディーたちに対する、所謂「ご夫人用プログラム」として約2時間の演奏。さらに、翌29日には、東アジアサミットの公式晩餐会ギャラディナーの冒頭の15分間のショートパフォーマンスの予定である。

     <何とか出来上がったASEANオーケストラコンサートのパンフレット>

まこと、ここに至るまでには様々な曲折があった。
第一の問題は、我々のもう一人のパートナーでホーチミン音楽院院長のフオンさんが民間人でそれも南ベトナム出身であったことが大きいようだ。ベトナムは人ぞ知る北優位の官僚国家なので、南の人間が北の人間を動かすことは難しい。そもそも、中央官僚は地方の人間には冷淡なのである。もう一つの問題は、ベトナム政府内でのヒエラルキーかも知れない。我々が最初にアプローチしていた文化省と、サミットを仕切る立場の外務省との力関係にあったのではなかろうか。
それやこれやで、決まった筈のものが決まっていなかったり、いつまでも決まらなかったり、簡単に反故にされたりで、文字通り右往左往させられた。早い話が、ハノイでの公演がいつなのか、どこでやるのかすら二転三転したのだ。今でも完全にはっきりしたとは言い切れない状況だ。
また、プログラムの小冊子もそうだ。原稿がいつまでも決まらないために、当初予定していた日系の広告代理店は降板。急遽、代役を立てたものの、いろんなことが決まらないために、原稿の確定、修正は遅れに遅れ、最終的に印刷が出来たのは、本当にぎりぎり。それも、訂正されたはずの最終稿が訂正前のものが使われていたり、公演中に使う予定のビデオやその際に使われる台詞の脚本は数日前になってもまだ作成中、といった始末。
また、約束したはずの音楽家が家庭内の事情で来れなくなったり、上司が許可しないと言い出したり、決まっていたはずのリハーサルの場所が取れなくなったり、およそ日本なら考えられないような様々な問題が直前の今も噴出、福村さんは大変だ。


                       <コンサートのプログラム>

チケットについても、最初、文化省との合意では日本財団は50枚もらえることになっていた。ところが、突然、外務省から300枚弱の処理を頼まれ大慌て。そこで、ハノイ在住日本企業関係者などを含む300人分の招待客リストを作っていたら、今度は、外務省、文化省との三者協議の場ではそれが白紙に戻された。結局、日本人を中心に我々には150枚ほどの割り当てになったが、最終的にはそれでは何十枚も足らない状況になり、文化省に割り当て数の増加を掛け合う始末。チケットが足らなくなり奪い合いになるというのは、うれしい悲鳴だが、余りクラシックには関心が薄いのではないかと思われる政府関係者にも有力者だからと、面子を潰さぬためだけの理由で渡された様子。その結果、あちこちから足らない、何とかならないか、と言われて担当者は悲鳴。
勿論、一番苦労されたのは、音楽監督として総てを仕切った指揮者の福村さんと、裏方として彼を支えたマネージャーの齊藤さんだ。さらに、もう一人、ASEAN事務局長の特別顧問のラジャさんも大活躍。スリン事務局長のバックアップを早々に取り付けただけでなく、問題が生じる度に、スリン博士の直筆のレターを切り札に使ったのである。
まだまだ、安心は禁物だが、ここまで来れたことを思うと感慨深いものがある。


            <スリンASEAN事務局長もメッセージを寄せてくれた>

17時50分 成田発
21時35分 ハノイ着
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント
ブログパーツ レンタルCGI