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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ノーベル賞と無縁の有名校、モスクワ工科大学 [2009年04月22日(Wed)]
4月22日(水曜日)

   <モスクワ工科大学の豪壮な正面玄関>

朝、デカロ教授と一緒にホテルを出て、市内のモスクワ工科大学キャンパスへ。1830年エカテリーナ女王によって作られたという歴史を誇るこの大学は、ソ連時代から連邦内各地から最優秀な学生が集まる理工系の超エリート校として有名であった。特に、宇宙開発では有名で、ソ連の宇宙飛行士の90%はこの大学の出身者だと言われる。エリート校だけあって学内の設備はなかなか立派であった。

         <とても豪華な大学講堂>

しかし、この大学は、ソ連の軍産学共同体の中核として、宇宙兵器の開発をリードしてきた大学でもあった。これだけの大学なら卒業生の中には多数のノーベル賞受賞者がいるだろうと思って聞いたところ、意外な答えが返ってきた。ゼロなのだ。その理由は、研究の内容が総て国家機密とされ対外的に発表することが許されなかったためとか。
その伝統は今も根強く残っており、大学に入るためのセキュリティーチェックは厳格をきわめている。それのみか、一旦、学内に入れたとしても、単独行動は許されない。導きいれられた校内の作りはどこか刑務所の中を思わせるものだった。考え過ぎか。


    <セキュリティーの厳しい学内>

この大学は、日本財団が支援する国際聾唖高等教育ネットワーク(PEN-International)のロシア本部、とでも言う位置づけにある。モスクワ工大は、ソ連時代の1934年に、いち早く聾唖者の学生の受け入れに踏み切ったことで知られる。現在の聾学生数は予備課程の50人を加えると250人。全学生数1万8000人という数字と比べると小さいが、大きな数だ。しかし、何故か、障害者の受け入れは聾唖者だけに限られている。視覚障害者は不適格と考えられているようであった。車いすの姿も見られない。
一般の教室で聾の学生が一般の学生に交じって授業を受けている様子を見学。手話通訳が聾学生の前に陣取り付きっきりで通訳していた。専門分野の手話通訳の養成は大変だ。


     <手話通訳の付く授業風景>

その後、聾学生のためのサポートセンターで聾学生のためのコンピューター教育の様子を視察。このセンターとコンピューター機器は、日本財団の支援によるものだ。


    <聾学生のための特別コンピューター教室>

Pen-Russia会議に参加した後、夜はフョードロフ学長とロシア料理店で夕食。フョードロフ博士は、モスクワ工大学長の他にも、プーチン首相の特別顧問、ロシアアカデミー会員、全ロシア理工系大学長会の会長など要職についている実力者だが、英語はできず、寡黙。彼が身を乗り出したのはロシア文学の話になったときくらいで、宇宙工学などチンプンカンの私達との話はあまり弾まなかった。デカロさんが私にそっと耳打ちした。彼を数年前にアメリカでの会議に招待したのだが、入国ビザがでなかったんだよ。


9時半 ホテル出発
10時 モスクワ工科大学
13時 Pen-Russia会議
18時 モスクワ工大学長と夕食会
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