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大野修一(日本財団)
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久し振りのベトナム行き [2015年12月16日(Wed)]
12月16日(水曜日) 
本年最後の海外出張は、久し振りのベトナムから。今回の出張は元々、カンボジアで続けて来た先生の卵に対する奨学金事業、「ESC-Kizuna」の理事会が開かれるタイミングに合わせて、予てから懸案であったベトナム行きをその前にくっ付けたもの。帰国便の経由地、バンコクではAPCDの二ノ宮所長らとの打合せもすることになった。
ハノイ行きの機内で、気が付いた。今回の便は中国沿岸部上空のルートを飛んでいる。きっと、フィリッピン付近に台風が来ているのでそれを避けてのことだろう。
お陰で、飛行中は、概ね、視界は良好だったのだが、ハノイに近づくにつれ雲が多くなった。台風が西進したためではないかと思われる。
1216clear.jpg
<中国上空までは晴れ渡っていたが>

以前は、比較的頻繁に行っていたハノイだが、ここのところはずっと行っていない。用事が全くなかった訳ではないが、その都度、他の仕事とスケジュール調整がうまくいかず、断念した経緯がある。最後に行ったのは何時だったろうかと調べてみたら、何と丸2年前、2013年の12月だった。
そう言えば、あの時も寒い季節だった。それにしても、あれからそんなに時間が経ってしまっていたとは自分でも驚いてしまう。
ハノイに着陸してみると曇り、気温は16度なので東京とあまり変わらない気候だった。空港のターミナルがすっかり新しくなっていたのに先ず驚かされた。設置されていた金属板の伝えるところによると、この新国際ターミナルは昨年12月に日本のODAで竣工したばかりだという。
1216airport.JPG
<空港もすっかり立派になっていた>

空港と市内を結ぶ高速道路も、一新されていたが、こちらにも日本のODAを示す日の丸の看板が立っていた。ハノイ(河内)という名前の元になったホン(紅)川には、素晴らしくモダンな橋が架かっていた。これも日本のODAで出来たばかり。
私は、ハノイに30年ほど前、初めて来たときのことを思い出した。あの時は、ホン川を渡る橋もまだ工事中で凄まじいほどオンボロの橋を通った記憶がある。道路も迂回路だったためか、あぜ道のようなものだった。その道路脇には、タイヤが泥の中にすっぽり嵌り込んでしまい、横倒しになりかけたトラック。その横をヒヤヒヤしながら、すれすれに通り抜けたことを思い出す。
市内にも、ホテルすら殆んどなく、政府役人の宿泊所に泊めてもらった記憶がある。ベトナム戦争の傷跡をいたるところに感じることができた。その時と比べると何と言う変わり様だろう。
1216highway.jpg
<市内と空港を結ぶ高速道路>

二年振りに見るハノイ市内には、新しい建物が増えて、街がグンと近代的になっていた。
前回と同じホテルの玄関で、何度か見かけた記憶があるボーイがタクシーのドアを開けて、「お客さん前にも来たでしょう。覚えてますよ」と話しかけて来た。聞いてみたら、このホテルでもう9年も働いている由。
ホテルの前の大通りにあった地味な建物は取り壊されて、こぎれいなビルが建っていた。バーガーキングが店開きし、その隣には何とデリバリーピザの店まで。ベトナム式つけ麺、ブンチャーの店も半野外式の伝統的スタイルではなく、冷房完備の看板とガラスのドアのついたモダンなレストランスタイルで店開きしていた。
思わずハッとして、私のお気に入りのブンチャーの店を探してしまった。幸いにも、その店は以前のまま、通りを挟んだ反対側で、昔通りのスタイルで営業中。大勢のお客さんで賑わっていた。
1216burger.JPG
<米国系資本のハンバーガーの店の隣にピザの店が並ぶ>

しかし、モダンになった道路の反対側と対照的に、ちっぽけな店が軒を連ねる通りのこっち側も再開発されるのは時間の問題のように思えた。そうだ、今回の滞在の間に、絶対、食べに行ってみよう。
今日の午後に訪問しようと考えていた障害者団体「ハノイ自立生活センター(ILC)」とのアポが明日にずれ込んだので、「ベトナム障害者支援組織(VNAH)」のハノイ事務所長、ハイさんに連絡。予定を繰り上げて、5時半にホテルで落ち合うことに。
米国生まれの国際NGOであるVNAHは、日本財団とは1990年代以来の関係。私もハイさんとは古い付き合いだ。ホテルのロビーでビールで再会を祝って乾杯の後、レストランへ。
ところが、ハイさんお勧めの店に行ってみると屋内は満席状態。「普段はそんなに混まないので予約していなかった」とハイさん。「でも、外の席なら空いていますよ。どうですか」とウエートレスに聞かれて絶句。えっ、この寒さで外?
1216openrestaurant.jpg
<ハノイのレストラン 外と中に隔壁がない>

確かに、外のテーブルでコートを着たままで食事している人がいるではないか。
よく見ると、中のテーブルの客も殆んどが皆、コートを着たままで食事中。店の外と中に隔壁がないので、外の空気がそのまま入って来る構造なので、中の席もそれほど暖かい訳ではないのだ。そうだった、これがハノイスタイルだった。
ハノイの寒さに備えて、今回はしっかり防寒具を用意して来たので、私はハイさんに「外でも構わないよ」と言ったのだが、雨もパラつき始めたので、ここでの食事は断念。
すると、道路を隔ててすぐ反対側にレストランがあったので、そこに入る。今は、こぎれいなレストランが増えたので、食べる場所には困らないのだ。
ベトナム料理の夕食の後、タクシーを拾ってホテルに戻った。
1216heater.jpg
<ホテルの部屋にはヒーターがあった>

ホテルの部屋はひんやりとはしていたが、それでも、寒さに震えるということはなく一安心。それというのも、冬の季節にハノイに出張して、ホテルで寒さに震えたことが何度かあったからだ。
ハノイの冬は時には東京並みに冷え込むこともあるというのにもかかわらず、安宿では冷房はあっても、暖房設備がないことが少なくないからだ。
恐らくは、財力のない貧しい社会主義国として常夏の南部や中央部と全国一律で暖房のない生活スタイルを選択せざるをえなかったのではないだろうか。ベトナム人は質実剛健なのだ。
今回のホテルはそこのところを考えて私としては、VNAHの紹介で定宿にしている二つのホテルのうちでは高い方のこのホテルにしたのだった。前回、2年前の訪問時の冬は記録的な寒さで、ホテルに寒いと訴えたところ、電気ストーブを貸し出してくれたことを思い出す。今回、部屋に入るとすでにオイルヒーターが置いてあったのには感激。

08時55分 羽田発
13時10分 ハノイ着
19時 VNAHハイさんと夕食
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