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大野修一(日本財団)
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車椅子の組み立て工場を見学 [2015年05月20日(Wed)]
5月20日(水曜日) 
朝8時、障害者公共政策大学院(IDPP)の卒業生ジョニさんが夫人と一緒にやって来た。ホテルのレストランの屋外スペースで、朝食を取りながら話し合った。
ASEAN諸国の障害者の若者に公共政策の修士号を取ってもらい、ASEAN各国や国際機関で、障害者に関する政策、制度作りに従事してもらおうと言う目的で5年前に設立したオンラインコース。当初はASEAN域内の大学に本部機能を担ってもらおうと計画していた。
そして、公募に応募して来てくれた障害者の中から、ジョニさんが選ばれ、シンガポール国立大学に一期生として送り込まれたのだった。その時は、オンラインコースではなく、通常の滞在型のコースであった。
彼は、視覚障害者というハンディにも拘らず、優秀な成績で卒業し、その後、暫くは、IDPPの仕事を手伝ってくれていたのだった。
520joni.jpg
<ジョニユリアントさん夫妻とマイケルさん>

その一年後に、オンラインコースが始まったが、色んな経緯から、IDPPはアメリカン大学国際関係学院のマスターコースとして発足。しかし、現在ではアメリカン大学は撤退、代わって、マレーシアのマラヤ大学とマルティメディア大学、それに、フィリピンのアテネオデマニラ大学が加わり、文字通りASEANの修士号プログラムとして運営されている。
ジョニさんに彼が去って以降のIDPP事業の様子を説明するとともに、今後の方針について説明した。すると彼からは、今はIDPPに関与していないが、いつも、名誉ある一期生としてIDPPのことは誇りに思っているし、機会ある毎に宣伝している、という言葉が返って来た。
彼自身のその後を尋ねると、帰国後は、自身が中心になって設立したSIGAB(Institute for Inclusion and Advocacy of Persons with Disabilities) という名前のNGOを中心に活動中。その間に、シンガポール国立大学から選ばれて助成金を受けたり、今年に入ってからはアジア財団のフェローに選ばれてアメリカに行ったりと大忙しだとか。
520UPC.JPG
<UCPウイールズの本部前で>

食事の後、マイケルさんも加わり、4人一緒で暫し懇談。ジョニユリアントさん夫妻と別れ、マイケルさんが運転する車でUCPの工房に向かった。道々、マイケルさんから話を聞いた。UCPの正式名称はUCP Wheels for Humanity。設立は1996年。これまでに世界70カ国で活動したが、現在、海外支部があるのはここインドネシアとエルサルバドルのみ。
UPCインドネシアの設立は6年前の2009年。マイケルさんは昨年まで責任者として奥さんと一緒にジョクジャカルタに住んでいたのだと言う。
彼によると、インドネシアには3000万人の障害者がおり、うち、200-300万人が車椅子を必要としているが、貧困者が多く、経済的に手に入れることは困難だという。
520mfg.jpg
<障害者の人たちが組み立てを行っていた>

ジョクジャカルタ州は今もスルタンが、知事という立場ではあるが州を統べているインドネシアで唯一の場所であるが、このスルタン知事は障害者支援など民生に熱心で、昨年、全土に先駆けて州独自の健康保険制度を導入、障害者の半数が加入。ジョクジャカルタ州は障害者政策ではインドネシア最先端の州なのだ。これには、ジョコビ大統領も注目しているのだとか。
UCPインドネシアの本部に着いた。副代表のヘニさんがマイケルさんと一緒に、内部を案内してくれた。事務所では5-6人のスタッフ、大きな建物は倉庫。ジャカルタを初め、上海などの部品メーカーから購入したというパーツが並んでいた。ベトナム製のものもあった。倉庫の片隅に作られた組み立て工房では3人の障害者が働いていた。車椅子以外にも、三輪車なども作る。手押し式のユニークなものもあった。
520handcar.jpg
<車椅子以外にも様々な乗り物が作られていた>

スリさんという車椅子の女性スタッフは、インドネシアでは有名人物だ。彼女は、一昨年、ジャカルタ・バリ間1200キロ走破したのに続き、昨年には、アチェからジャカルタまで2200キロを走破。インドネシアのテレビや新聞がニュースに取り上げ、大統領就任直前のジョコ・ウィドド氏に面会の機会を与えられた。そして、彼の大統領就任式にも招待された。
彼女は23歳の時に、交通事故で半身不随の身になった。その後、10年間ほどは死にたいと思っていたという。しかし、ボランティアで視覚障害者のための点字図書制作に参加したのをきっかけに、生き方を変えた。そして、その数年後、車椅子でも運転可能な改造バイクを手に入れたのをきっかけに、積極的な姿勢に転じ、今ではUCPインドネシアのスタッフとして活躍している。
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<愛車に乗るスリさん>

私は、マイケルさんに昨年WHOが初めて開催した障害者支援技術(Assistive Technology)関係者が集まる国際連携(Global Alliance)の会議の場で初めてマイケルさんに会ったのだが、その時まで車椅子が、丁度、義足のように一人一人のユーザーの年齢や、身長、体型にあわせてカスタマイズしないといけないということを知らなかった。
マイケルさんが、その時に私に持ち掛けたのは、日本財団が東南アジア6カ国において築き上げて来た義肢装具士の専門教育機関のネットワークを、車椅子の世界でも実現出来ないか、という観点からの協業であった。
そして、今回私は、マイケルさんのお陰で彼の話がいかに正しいか、にも拘らず、如何に理解されていないか、を学んだのであった。
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<ユーザーのためにカスタマイズされた専用車が完成>

マイケルさんは、先ず最初に私を案内して、UCPの工房に隣接する車椅子のクリニックに私を案内してくれた。そこには、14歳の脳性麻痺のリンダン君という男の子が両親と一緒に車椅子専門家の説明を受けていた。聞くところによれば、生まれつきに骨の障害を負ったリンダン君の両親は、彼が7歳の時に市販品の中国製車椅子を買い与えたという。
7年間使い続けて来た訳だが、UCPの専門家によれば、市販のものをカスタマイズしないで使い続けて来た結果、無理な姿勢での装着となり、彼の内蔵には無用の負荷がかかった結果、このままでは重篤な病気になることが必須だったという。
そこで、UCPでは、彼のサイズと身体状況に合わせた車椅子を制作。今日がその初めての装着指導の日なのだとか。
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<車椅子利用者の家庭を訪問>

その後、UCP制作のカスタマイズされた車椅子のユーザー家庭を2カ所訪問した。
いずれも、貧しい家庭であったが、特に最初に訪れたハルディンさんという名前の若い男性の家は、父親も先天性の身体障害者、妹はダウン症という家庭で、貧しさが胸を突いた。
私は当初、「自分の子供は見せ物ではない」と家庭訪問を拒絶されるのではないかと、密かに心配していたのだが、どの家族も至って陽気であった。
恐らくは、娯楽や息抜きが滅多に無い家庭で、外国人の訪問が珍しかったのか、我々の訪問を嫌がるどころか、楽しんでいる様子であった。
いずれの場合も、UCPのお陰でカスタマイズされた車椅子のユーザーとなり、それまでと比べると格段に生活の幅が広がった。しかも、健康面でもリスクの少ない車椅子を使うことが出来るようになった、と喜んでいた。
私にとっては、車椅子の深い世界を知った一日だった。

08時 ジョニユリアントさん
09時45分 ホテル出発
14時45分 UCPWheels本部訪問
19時 夕食会 
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