3月24日(火曜日)
<パリ・リヨン駅の壮麗な建物>
朝8時半、ホテルの外に出る。すると、空模様が怪しい。傘を取りに戻り、傘を持って出かけることにする。出張中は何故かいつも「晴れ男」で、傘を使うことがほとんどない私にとっては珍しいこと。
地下鉄の駅はとても混み合っていた。朝のラッシュ時間だからかも知れないが、それにしてもここまで混んだプラットホームは初めて。なにか事故でもあったのかも知れない。
幸い、間もなく電車がやって来たが、これだけの人が乗り込むと車内はギューギュー詰めになる筈。フランスやヨーロッパの電車で、押し合いへし合う電車というのは記憶に無い。
<UNESCO本部の朝>
さて、どうするのかと見ていると、立錐の余地がない程、乗客が乗り込んだところで、プラットホームにいた人は乗り込むのをストップ。日本なら押し合って乗るところなのだが、、、。
そして、みんな当然のように次の電車を待ったのだ。
幸いにして、間もなく、やって来た次の電車はさほど混んでいなかったので、問題は解決。
さらに、地下鉄を乗り継いで、向かう途中、構内の乗換え通路で検札に会う。立て続けに、珍しい経験。
私は何故か、「諸文化間の和解」という今日の会議のテーマを思い出していた。
< 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合>
UNESCO事務局の会議室で「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合が始まった。
お昼になると私は、先週バンコクで会った渋谷さんの奥さんのマルシアさんに紹介してもらったバネルジー知識社会部長と待ち合わせて、一緒に外のレストランに向かった。
昨年11月にUNESCOが開催した障害者のためのITC会議などについて話を聞くためである。バネルギーさんが企画の中心人物だったと聞いたのである。彼とは初対面であったにも拘らず話が弾んだ。
食事を終えて、彼の執務室に案内されそこで彼の3人の部下にも会わせてもらった。
<外は冷たい雨が降っていた>
食事を終えて事務局に戻り、午後も再び、「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合。午後5j時半、会議を終えて外に出る。すると、冷たい雨が降っていた。かなりの本降りだが傘をささずに歩く人も少なくない。
ホテルに戻る途中の地下鉄駅で下車。昔、パリに住んでいた時から贔屓にしている中華料理屋で一人夕食を取る。35年程も昔のことなのだが、店の構えもオーナー一家も変わらず。ホテルに戻り、テレビを点ける。夜のテレビは専ら、フランス南部の山中に墜落したドイツの飛行機についてのニュースを繰り返していた。
<飛行機が落ちた>
08時半 ホテル出発
09時半 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合
10時45分 第1セッション
13時 UNESCOバネルジー知識社会部長打合せ
14時30分 第2セッション
16時00分 第3セッション