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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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障害者芸術祭終わる [2013年10月19日(Sat)]
10月19日(土曜日)
10-19 temple.jpg
<今日は仏教のお祭り 寺院の前は人だかり>

今日は雨も上がり朝から晴天。芸術祭は最終日。
会場に向かう道すがら仏教寺院の前を通ると大変な人だかりがしている。今日19日は仏教の重要な行事である「雨安居(うあんご)」明けの満月の日。ミャンマーでは僧侶に貢ぎ物をし、同時に目上の人に贈り物をする習慣があるそうだ。そのため、今日は休日なのだそうだ。
それなら、芸術祭の会場の入りは少ないのかと思いきや、そうではなかった。むしろ、昨日を上回る人出でごった返していた。それもその筈、ここはれっきとしたお祭りの場でもあったのだ。
敷地内に仮設店舗やテントなど臨時の営業スペースを設け、有償で一般の物販店や食堂を入れて営業させたほか、ホールの中では障害者支援をしている地元や国際的なNGO12団体がブースを出して、物品の販売をしている。しかも、協賛メーカーが提供してくれた商品は無料で提供されている。
むしろ、日を追ってこの芸術祭のことが近隣の人の知るところとなり、祝日ともあって大勢の人が物珍しさから集まって来たのではなかろうか。椅子席の1,200席がすべて埋まり、後の方には立ち見の人もいる。
10-19 1standing.jpg
<立ち見が出るほどの盛況>

彼ら野次馬のお目当ては恐らく二つ。
一つは、有名芸能人だ。有名歌手である「親善大使」のお二人の他、トップクラスの芸能人が10人以上もノーギャラで参加し、舞台で障害者と歌ったり、踊ったりしているのだ。
もう一つの、お目当ては、コカコーラを始め、地元の紅茶やヌードル、ミネラルウォーターなどの会社計6社の協賛メーカーが提供している飲み物や食品が無料で味わえるということのようだ。特に、人気はインスタントラーメン。
ボランティアたちが、わざわざ、封を破りお湯を注ぎ箸と一緒に渡してくれるコーナーの前には長い行列が出来ていた。中には、受け取ったカップをすすりながら、家路を急ぐ様子の子供たちもいた。足は裸足、粗末な身なりだ。無料ラーメンを聞きつけてやってきた近所の貧しい家庭の子供たちか。
元々、今日は最終日ではあるが、閉会式は行わないということになっていた。それは、今回の障害者芸術祭は来年のASEANフェスティバルに向けた「始まり」を告げる行事に過ぎないという主催者MILIのメンバーの考えからのものであった。
10-19 celebrity.jpg
<モーミンさんはミャンマーでは超有名な伝統舞踊の振付師で舞踏家>

ところが、急遽、夕方にちょっとした式典をやりたいという連絡が入った。開会式に欠席した米国のミッチェル大使や、笹川会長が来ることを知った組織委員会が、慌てて決めたのだ。社会福祉省から日本財団に対して記念品の贈呈をしたいという。そして、米国大使と日本財団会長、APCDの二ノ宮所長らにもスピーチをしてほしい、という。
しかし笹川会長からは、既に初日の開会式でスピーチは済ませたので、今度は私が話すようにとの指示。そこで、MILIの幹部と相談の結果、私のスピーチは全部ミャンマー語ですることになった。
私が作った英語の原文を、今回のフェスティバルのMILIの担当責任者で、ヤンゴン外大の女学生で英語の堪能なゼマピューさんにミャンマー語に訳してもらった。そして、2−3時間かけて発音の特訓。お陰で何とかメッセージは通じたようで、会場は大いに盛り上がった。その後、米国大使が英語でのスピーチ。特にボディーガードが付いている様子もなく、リラックスしてかれこれ1時間ほども楽しんでから帰って行った。
ところが、閉会式の後も芸術祭は続いたのだ。次々と障害者の歌や踊りが披露され、ポップソングの時には観衆の手拍子が鳴り響き、大歓声が轟くなど、会場の熱気は高まる一方。最終日ということで、夜に入ると親善大使のお二人が揃って顔を出した。それだけでなく、他にも有名歌手や俳優などの芸能人が次々に現れ、夜に向けて益々賑やかさが増して行った。
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<親善大使の有名歌手もユニフォームを着て来場>

全ての演目が終了するのは、初日のように11時過ぎになるかもしれないというので、私は一足先に失礼して会場を後にした。後日、聞いたところによると会期中の3日間での来場者は延べ9000人にもなったとか。
ホテルに戻る道筋も、夜遅くだというのに賑やかだった。お祭りということで、今日は遅くまで寺院にお参りしたり、露店を冷やかして歩く人出があるようだ。
ホテルに戻ると、前に広がる湖に沿った公園の方からは、そぞろ歩きする人々のざわめきが聞こえて来た。タイのロイカトンそっくりのランタンが空に上がるのも見えた。それだけでなく、爆竹の音さえ聞こえる。おもちゃの打ち上げ花火をする音も夜遅くまで続いていた。
雨安居明けに向けては、例年は爆竹や花火等を上げるのだが、爆弾騒ぎが続いたので今年は禁止になったと聞かされていたのだが、、、。結局は、禁令と言えども厳重なものではなかったのか。それとも、犯人の見当がついてしまったので、警戒が緩んだというのだろうか。何だか良く分からない爆弾騒ぎであった。

09時 障害者芸術祭
17時 閉会式
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