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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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国連総会障害と開発に関する閣僚会議 [2013年09月23日(Mon)]
9月23日(月曜日) 
時差があるので、夜中に目覚めてしまう。昨晩に続いて、3本のスピーチ原稿の手直しやメールチェックをして過ごす。
朝になったので、ホテルを出て、徒歩で国連事務局ビルへ。国連の前にはニューヨーク市警のマークを付けた多数の車両が並び、一般の交通は規制されている。世界の国連加盟国から首脳や閣僚が大勢集まると言うので、さすがに物々しい警備体制だ。
入り口で、昨日もらったパスを提出。ところが、不思議な事が起きた。本来は、私と石井グループ長の二人だけが閣僚会議の行われる本会議場に入ることが出来るパスを入手。一方で、中安、本山の両職員は、別室に通され、同時中継のテレビ画面を通じて傍聴出来るようにすると聞いていたのだが、4人ともすんなり本会議場に入ることが出来てしまった。物々しい警備にも拘わらず、運用のミス、というお粗末さ。
それは兎も角、案内されたのは、本来の本会議場は改装工事中と言うことでプレハブ作りの仮設の建物の中に設けられた会議場だった。
09-23 policecar.jpg
<国連本部の前の通りはパトカーなど警察車両ばかり>

会議場に並べられた椅子には各国の代表団が座るので、我々4人は、壁を背にした傍聴のための席に座る。今朝、石井グループ長からラウンドテーブルでの発言は各国の閣僚が発言を求めたため、日本財団の発言の機会はなくなったようだと知らされていたので、折角の機会なので、米国側代表団の席に座っていた著名な障害問題専門家のジュディーヒューマンさんに挨拶。発言出来た場合には、このような考えを発表するつもりだったと打ち明けたところ、彼女からはそれは同感だというコメントをもらう。
そうこうするうち、国連総会「障害と開発に関するハイレベル会合」が始まった。障害当事者代表として、盲目の歌手、スティービーワンダーが登壇。歌を交えて、スピーチ。
09-23 StevieW.jpg
<盲目の歌手、スティービーワンダーが登壇>

長年専門家として国際障害者支援事業に携わってきたAPCD所長の二ノ宮さんによれば、国連総会「障害と開発に関するハイレベル会合」が開かれると言うのは、「障害者の10年」として80年代初頭に始まった国際的な障害者支援活動の頂点に立つべき大イベントなのだそうだ。
2011年に、WHOと世界銀行が共同で作成した「障害に関する世界報告書(World Report on Disability)」によれば世界人口のおよそ15パーセントに相当する10億人余りの人々が何らかの障害をもち、その80パーセントが開発途上国に暮らしていると推定されている。
ところが、障害者は、「国際的に合意された開発目標の中に全面的に含まれているとは言えない」状況にあり、障害をもつ人々が開発のすべての側面にアクセスすることができ、かつ包摂される必要がある。そして2015年以降の国連の開発アジェンダについても、すべての障害をもつ人々への十分な配慮がなされるべきだというのが国連加盟国の問題意識なのだという。
傍聴している我々の前の通路を、ダークなスーツ姿の一団が足早に通り過ぎ、先ほど私が挨拶したヒューマンさんを囲むようにして着席した。米国のケリー国務長官だった。
kerry.jpg
<米国のケリー国務長官も姿を現した>

そうこうするうち、1時過ぎになったので、私は石井君らと別れ、別室で公式サイドイベントとして行われるアシスティブテクノロジーについてのパネルに急いだ。
すると、カーソンさんが急ぐように手招きする。慌てて私の名前が付された席に着く。左隣りはWHO西太平洋事務局長のシン博士、右側は、フィリピン人のライッサさん。爆弾テロで両足を失いながら、日本財団が支援するマニラの義肢装具士養成学校の教員が作った義足で立ち直った若き女学生だ。
旧知のライッサさんと雑談を交わす間もなく、パネルが始まった。聞いてみると、13時半開始と聞かされていたパネルの開始時間はいつの間にか、13時15分に繰り上げられていたのだった。
ホスト国であるフィリピン政府を代表してアルマメント法務副大臣がスピーチ、次いでWHOのシンシン博士、ライッサさんと続いた。彼女は、自分が両足を失った経緯を述べるとともに、義足を装着することで今では、ランニングもボクシングまで楽しめるようになったと語った。そして、日本財団やカンボジアトラストに感謝すると言ってくれた。
彼女のスピーチの後、私も昨日カーソンさんに手伝ってもらったスピーチ原稿を読み上げた。
09-23 AT.jpg
<アシスティブテクノロジーのパネル>

アシスティブテクノロジーのパネルが終わると、他の参加者に対する挨拶もそこそこに、私は、慌てて会場を抜け出し、外に出た。障害者公共政策大学院事業の件で、ワシントン大学のデッリック教授との約束の時間が迫っていたためであった。
国連本部の前では何やらデモが行われていたが、急いでいたのでスローガンを見る間もなく通り過ぎる。
ところが、息せき切って約束のホテルについては見たものの、デッリック教授との打ち合わせの場所が分からない。ホテルのフロントに尋ねてみるのだが、それらしき会議室の予約が入っていない。おかしいと思い、彼の携帯に電話するも、その番号は使われていませんと言うメッセージが流れるのみ。
彼のメールアドレスにメールするなど、色々試してみるが万事休す。途方に暮れているところへ、彼のアシスタントのマヤさんが登場。そうして、暫くしてデリックさん本人も現れた。
09-23 demo.jpg
<国連本部の前では何やらデモが行われていた>

聞いてみると、彼は昨日のうちに、今日の会合の時間を遅らせてほしいと私にメールしてくれていたことが判明。そのメールには、新しい電話番号も付されていた由。
どうやら、国連総会がらみで多くのユーザーが一斉に色んなメッセージを送信したために、メールシステムにものすごい遅れが生じたもののよう。それは兎も角、無事会うことが出来たので、ホテルのロビー脇のカフェで彼と二人で打合せを行った。
夜は、日本財団のメンバーに日本障害者フォーラムの藤井議長や事務局長の原田さんを加えた6人で、ホテル近くの日本料理店で食事。

07時45分 ホテル出発
09時 国連総会障害と開発に関する閣僚会議
10時 障害と開発に関するラウンドテーブル1
13時15分 障害者補助技術に関するパネル会合
15時30分 デッリック教授打合せ
19時 日本障害者フォーラム藤井議長
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