6月22日(金曜日)
<カイン州へ サルウィン川を渡る>
昨日に続いて、早朝4時の出発。同じように、エルウィンさん、カーソンさん、テインニュントさんを拾って、4人で出発。
行き先は、カレン族の住むカイン州の州都パアン。州政府の首相に挨拶してから、リハビリテーション病院を視察、その後、伝統医療病院や薬草園などを廻って、夜にはヤンゴンに戻って来る予定。
パアンでは、薬草学の専門家の佐竹先生を中心とする、間遠、中嶋ら日本財団の面々と合流する計画。彼らは、私より先にミャンマー入りし、ネピドーの保健省伝統医療局での打合せを済ませた後、カイン州に隣接するモン州に入り、薬草栽培事業の関係先などを視察して、昨夜はモーレミャインに泊まったのだ。
ヤンゴンを出て国道8号線を東へ進む。2時間ほどで、夜明けの雨の中を托鉢する大勢のお坊さんの行列に遭遇。50人ほどもいるだろうか。間もなく、バゴー(ペグー)の町に入る。13世紀から16世紀にかけて、モン族のバゴー(ペグー)王朝の首都として栄えたところだ。
<大蛇の皮の乾したものが土産物屋の壁にかかる>
パゴーからさらに一時間ほど走ったところで、シッタン川を渡り、モン州に入る。モン族を中心に、カレン族などの住む少数民族地域である。道路の両側には、それまでの水田に代わり、ゴム園や果樹園が増えてくる。程なくすると、車は大きなドライブインの前で停まった。焼きそばで朝食。
お土産物売り場には、パイナップルやランブータンなどの果物が並んでいる。ふと、売店の壁を見ると大きな蛇の皮。この近くのジャングルには大蛇がいっぱいいるのだそうだ。
ドライブインを出て、さらに南東に向かって走る。左手には山が迫って来る。山の向こうはタイだ。テインニュント博士によると、この辺りは、昨年まで政府軍とカレン族などの武装反政府勢力との間で戦闘が続き、以前は至る所に検問所があり、我々ミャンマー人でも自由に通行出来なかった。検問がなくなったのは、ほんの数ヶ月前のことだという。確かに、あちこちに検問所がそのまま残されているが中はからっぽ、誰もいない。
<今も残る検問所跡 中は空っぽ>
さらに一時間ほど走った9時頃、大きな川にかかった鉄鋼製の橋を渡る。これが、イラワジ川と並ぶミャンマーを代表する大河のサルウィン川であった。この川を越えるとカイン州都のパアンだ。暫く、走ったところで我々のバンが停まった。パアンは目前だというのに。
テインニュントさんが書類を出して何やら説明すると、通行を許された。検問が無くなったとは言っても、さすがに、州都パアンに入る前には検問所を通ることになっているようだ。
ところが、検問所を過ぎてまもなく、車は再びストップ。今度は、オートバイに乗った警察官と銃を構えた武装警官が乗ったトラックが現れたので、何事かと身構えてしまったが、彼らは、州首相を表敬する我々を州庁舎へ案内してくれる護衛警官たちと判明。警察車両に先導されて、州都パアンにあるカイン州政庁へ。
<州都パアンにあるカイン州政庁を訪ねる>
州庁舎についたところで、佐竹先生ら先発部隊と合流。一緒に、大きな応接室に案内されると、そこには、州政府首相が州政府幹部と我々を待っていてくれた。当方より、日本財団のミャンマーでの活動の概要を説明するとともに、笹川会長が日本政府より、ミャンマー少数民族福祉向上大使を拝命したこと、それを受けて、今後、カイン州など少数民族地域を中心に活動を拡大していく考えであること、また、現在、カイン州で準備中の置き薬配布事業、薬草栽培指導事業、モバイルクリニック事業、などについて説明した。
すると、州首相からは、日本財団のミャンマーでの活動についてはよく承知している。カイン州での事業計画に感謝する。事業実施に当たってはカイン州は全面的に支援する、との発言があった。
昨夜遅く、ネピドーから帰ったばかりにも拘わらず、我々のために、たっぷり一時間を割いてくれ、非常に友好的な雰囲気での表敬訪問となった。
<地雷に吹き飛ばされた義足 パアンリハビリテーションセンターで>
州庁舎を出て、一行は二手に分かれることにし、私はカーソンさんらと、パアン・リハビリテーション・センター(HORC)へ。検討中の義足配布事業を、カイン州で行うことの是非と、その場合の拠点をどこに置くのが良いのかを検討するためであった。予め、保健省経由で訪問を伝えてあったので、女性の所長らHORC幹部がセンター内部をくまなく案内してくれた。ここの義足サービス部門を支える二人の義肢装具士はいずれも、日本財団がカンボジア・トラストを通じて支援してきたカンボジア義肢装具士養成校(CSPO)の卒業生で、カーソンさんの昔の教え子であったのには感激。
とある部屋には、かれらが処置する前に患者が使っていた粗末な義足が記念に吊り下げてあったが、そのうちの一つが、下半分がめちゃめちゃに壊れていたので、その理由を尋ねると、この患者は義足をはいていて、再び、地雷を踏んでしまい、義足を吹き飛ばされたのだ、という答えが返ってきた。この地域では、約7割もの患者が地雷や戦乱の犠牲者だという。
リハビリテーションセンター訪問を終えて、国立パアン伝統医療病院で佐竹先生のグループと再度合流。昼食をご馳走になって、2台の車でヤンゴンに戻った。ヤンゴン帰着は8時前。それから、皆で、ホテルのレストランで夕食を取った。
長い一日だった。モン州、カイン州では一日中、雨が降ったりやんだりだったが、結局、傘は使わずじまい。
4時 ホテル出発
10時 カイン州首相表敬
11時半 パアンリハビリテーションセンター訪問
13時 国立パアン伝統医療病院訪問
14時 パアン出発
20時 ヤンゴン帰着
20時半 夕食